虚無Tubeを仲間と見たら超面白かった
id:neji-koさんの記事まとめ
子供がYouTubeの“虚無”動画を見すぎている。それらの動画は素人がフリー素材で作ったつまらない動画ばかりだ。子供のためにやめさせるべきだろうか、という記事。
id:akasofaさんの記事まとめ
実際にうちの子供はこんな動画を見てます。虚無ですという記事。
これらの記事を読んだ時、その子供が見てるという動画を見てみた。
つまらないものばかりでうんざりしてすぐ消した。
興味深い話題なので、他の山奥ニートにこの話を議論したくなった。
「この動画見て、つまらないでしょ。最近の子供はこんなの見てるんだって」
そう言って見せた。
しかし、そいつは笑いながら最後まで動画を見たのだ!
嘘だろ、どう考えてもつまらない動画だ、と思って自分ももう一度見てみる。
あれ、面白いぞ?
お酒を少し飲んでいたのもあるかもしれない。
でも一人で見てた時と、山奥ニート仲間と見たときでは全然違う印象になったんだ。
例えばこれ。よく見れば合成がとても丁寧だ。ちゃんと作られている。BGMのクラシックがなんだか悲しくって、慌てる建物の表情とのギャップが面白い。解体動画ってなんだか好きだ。最後に風車が立つのがちゃんとオチになってる。
お次はこれ。サムネで見る気が失せたけど、動画を再生してみると子供の頃見たNHK教育のCGを思い出す。口を開けたり閉じたりしながら軌道上を決まった動きをするのが面白い。「はっはっは〜」っておっさんの声がいい味出してる。惑星を食べてから、その惑星になるまでの間が絶妙だ。地球を食べたから地球になるのかな?(予想)→本当に地球になった!(結果)というのはいないいないばあと同じ、人間に染み付いた原始的な遊びだ。
一番好きのはこれ。見ながらゲラゲラ笑ってしまった。車が走っている→ものにぶつかって壊れる、という流れが予想と結果であるのはさっきと同じ。こちらはさっきより少し高度で、たまにフェイントがある。「ここで車壊れるかな?」と思わせておいて壊れないパターンがある。骸骨にぶつかるところなんか最高。脈絡がなさすぎて笑う。人間、特に子供は死に対して興味を持つようにできてるんだろうな、そのほうが生き残りやすいから。
今となっては、これらの動画をなんでつまらないと思うのかがわからない。
言っとくけど、僕らが山奥に住んでるからって大麻でラリってるわけじゃないから!
一人で見ると理性が上回って動画に意味やストーリーを求めてしまうけど、誰かと一緒に酒を飲みながら見たらこれらの動画は超面白い。
わけわからんロゴが回る動画だって、GIFとしてTumblrで回ってきたらLikeつけるかも。
うちの山奥ニートG君が作った動画よりずっと面白い。音量安定してねえし、ノイズ入ってるし、大事なところカットしてるし、本当の虚無動画っていうのはこういうのなんですよ。
お父さんお母さん、安心してください。
うちのG君のクソ動画は再生数12回で、上記のid:akasofaさんのお子さんが見てた動画は面白くて再生数多いです。
子供でも、ちゃんと面白いものとそうでないものわかってますよ。
一人で見ると大人の理性のせいで色々考えちゃいますが、友達と一緒に見てみると、少しバカになれて子供の頃の感性を取り戻せます。
僕らがやってた昔のテレビゲームって、今見るとしょぼくて一人じゃつまんないですよ。でも、友達とやったら今でも楽しめるんじゃないかな。
子供の好きなものが理解できないなら、一度友達と一緒にそれをやってみてはどうでしょうか。
日記 2017/01/18
昼12時に目が覚める。とても天気がいい。あったかい。でも布団の中でだらだらネット。任天堂はニンテンドーラボで消耗するゲームを作りたいのかなと思った。ゲームって一度発売すると買い換える必要がない。でもダンボールなら消耗して買い替えが必要になるし、中古で売られることもない。消耗品は儲かる。
14時くらいに母屋へ。途中、鶏が散歩してて少し驚く。天気がいいから、居間のカーペットを干していた。叩けば叩くだけ埃が出てくる。この前、大きなこたつをもらったので模様替えしているようだ。窓も開けていて、暖かい風が吹き込んでいた。昨日の夜の牛丼が美味しくてたくさん食べたのでお腹は空いてない。気分が良かったので、炭酸水を作って飲む。炭酸水は酔わないビールだ。よく冷やして一気飲みすると気持ちいい。副作用はトイレが近くなることくらいだ。
部屋に戻って出版社の人へメール返信。ビジネス会話に慣れてないので、失礼に当たらないよう、慎重に文面を考える。時間がかかる。
夕方ごろまた母屋へ。模様替えが住んでいて、部屋の中央に大きなこたつ、端っこに中くらいのこたつという配置になっていた。小さいこたつは隣の部屋に移動された。テレビではNetflixから犬夜叉がずっと垂れ流しされていた。たまには居間で生放送しようとノートパソコンを持って来てこたつに陣取って、とりあえずいつものRSS巡回しようかと思ったところで、散歩させていた鶏が行方知れずになったとの報せ。みんなで一緒に探す。外は既に暗くなっていて、懐中電灯が必要だった。結局、何度も探したと思っていた植木鉢の裏にうずくまっていた。見つかって良かった。その間にやっさんがキムチ鍋を作ってくれた。飲みたい気分だったので、僕は冷凍庫にずっと眠っている2kgくらいの砂肝を、解凍してにんにくと醤油で焼いて鍋に添えた。出来に満足したので、お土産の黒霧島を水割りで飲む。犬夜叉面白い。高橋留美子はバランスがいいなぁ。老若男女楽しめる。
ヨシ君がボードゲームしようと言ったので6人で『お邪魔者2』をやる。中央のこたつにいた組には隅っこに移動してもらう。うまく出し抜いて1位になったけど、泥棒に集中攻撃されて3ポイント奪われてしまった。泥棒強すぎる。1位は最後に集中攻撃されるので、3ポイント以上差をつけて勝たないといけない。お邪魔者側も勝利条件の厳しさの割にリターンが少ないし、ゲームバランスがなんだかなぁ。道繋げ系+正体隠匿というコンセプトは好きなんだけど。そのあと『ニムト』『コヨーテ』をやった。ニムトは何回やってもわからん。コヨーテはだんだんと定石ができて来て、裏か表かの駆け引きがより明確になってきて良い。
ゲームの後にはるはらさんに小屋暮らしの話を少し聞く。G君が動画を投稿して居間に来た。何人かで見る。G君が動画制作を楽しんでいるようで何よりだ。日付をまたいでから、居間でYouTube生放送をした。G君も一緒に画面に映ってくれた。一人じゃない放送も好きだ。楽だし。1時間やって疲れたので部屋に帰った。結構お酒を飲んだようで頭がガンガンする。寝る。
過去記事掘り起こし
山奥ニートを始めたのは2014年4月から。
昨日今日と前のブログの記事をこのブログに移す作業をしている。
Tumblrから直接インポートする方法はないようで、一つずつコピペして画像をアップロードし直した。これが思いのほか時間がかかって、MPが減っていく。
2014年は今の元小学校の建物ではなくて、古民家に住んでいた。
最初は2人、夏頃に2人増えて4人になった。
もうはるか昔のことみたいだ。
数えてみると山奥ニートはもうすぐ4周年になるようだけど、感覚的には何十年も経ったかのようだ。それくらい山奥での暮らしは変化に満ちていて、今までの普通のニート生活より濃い毎日だったということだろう。
せっかく昔のブログ記事を掘り起こしたので、印象深い記事をピックアップして載せておく。
NPOの理事長がなくなったという記事
村の人と一緒に宴会をした記事
ねずみとの戦い。夜通し生放送をして、ねずみの侵入経路や何をしているか視聴者に見ていてもらったことがある。
住んで三ヶ月経った時の感想
初めて狩猟的なことをやった時のこと
隣の家が火事になって、消火活動をした話
phaさんに会いに行った時のこと
都会田舎計画の話
そして2015年の4月に今住んでいる廃校になった小学校へ引っ越した。
山奥ニートと不便益
山奥に住んでいて、不便じゃないんですか?
よく聞かれる質問だ。
住めば都とはよく言ったもので、一番近い信号が車で一時間走った所にあるこんな山奥でも、慣れてしまえばあまり苦にならない。
それに、技術は日々進歩している。
インターネットがなければ、とても山奥になんて暮らす気にならない。
逆に言えばインターネットさえあれば、世界中どこにいたって大して変わらないと僕は思ってる。
東京に比べたらテレビ局は少ないけどAbema、Netflix、Hulu等使えば関係ないね。
欲しいものがあれば、ほとんどのものはAmazonで買える。
外の人と話したかったらTwitterや生放送をすればいい。
妻とはあまり会えないけど、Skypeでいつも繋がっている。
人類の叡智をもってすれば、山奥すら快適だ。
便利なのはいいことだ。
一方で「不便益」という言葉がある。
不便だからこそ、良いことがあるという考え方だ。
「若い時の苦労は買ってでもしろ」と言ってるわけじゃない。
山奥ニートがそんな事言うわけないじゃないか。
それに酸っぱい葡萄の話でもない。
たとえば、貯金箱。
蓋を開けるだけで簡単に入れたお金を取り出せる貯金箱と、一旦お金を入れてしまったら割るまで出せない貯金箱、どちらがいいだろう。
蓋を開けられる貯金箱のほうが便利だ。割らなきゃ出せないほうは、間違えてお金入れちゃっても取り出せないし、お金を下ろすためにいちいち割らなきゃいけない。地球にもやさしくないね。
でも、お金が溜まりやすいのは割らなきゃいけないほうだ。
蓋があったらちょっとお金がなくなるたびに、出して使って貯まらない。
蓋があるほうが便利なのに、不便なほうが目的にはあっている。
これが不便益の考え方だ。
介護の世界では「バリアアリー」という言葉があるそうだ。
バリアフリーじゃない、バリアアリー。バリア、有り。
バリアアリーのデイサービス施設には、わざと長い階段や、段差が設けられている。スロープやエスカレーターをいつも使っていたら足の筋力が弱ってしまう。何の苦労もなく生活していたら、ボケだって進行していくだろう。
わざと不便さを残すことで、お年寄りが自分の力で生活できるように特訓している。
僕の住んでいる共生舎は住所を公開している。
遊びに来たければどうぞ、とも言っている。
普通インターネットに住所を公開したらヘンな奴が来るだろう。
でも今のところ、そんなにヤバい奴が来たことはない。
僕が思うに、その理由は山奥だからだ。ここに来るには相応の覚悟がいる。初めて来るほとんどの人は口を揃えて「想像以上に山奥でした」と言う。山の中では携帯電話だって繋がらないんだ。だからしっかりとした事前準備なしにはここに辿り着けない。
僕らはこの山に守られている。これも不便益だろう。
繰り返して言うけど、苦労するのがいいことだとは思わない。苦労なんてしないほうがいいに決まってる。
でも、苦労するのがイコール不幸ではない。
もし苦労=不幸なのだとしたら、この集落にいる村の人はどうなるんだ。未だに薪を割ってお風呂を沸かしてる人だっている。年金貰えるんだから、もっと便利な町に移り住めばいいのに。お湯なんてガスで一瞬で沸かせるし、スーパーも近くて便利だろう。
でもそうしない。山奥が好きなんだって。
逆も言える。苦労しないことが幸せではない。ニートは親の金で飯が食えて羨ましいと言う人がいるけど、そんな事はない。多くのニートは焦りとプレッシャーの中で戦っている。経験者の僕が言うんだから間違いない。
便利なことと、幸せなことは直接結びつかないんだ。
ある程度の相関はあるだろう。まったく関係ないわけじゃない。
でも、不便なことにも良いことがある。
山奥に来て、一番考えが変わったのはこれかもしれない。
今日お昼にイタチが捕まった。かわいい顔してるけど、うちの鶏を何羽も惨殺している。こいつらは食べるために殺すんじゃない、遊びで殺すんだ。殺すんなら食べろよ……。
大きさからしてメスだ。メスのイタチは殺しちゃいけない事になっている。遠くに逃した。もう来るんじゃない。
ホームレス小谷さんと比較すると、自分の原点が見えてきた(かも)
ホームレス小谷さんの事は前から知っていた。
「世界一ハッピーなホームレス」というキャッチフレーズで活動している人だ。
最近、FROGGYというサイトで彼のインタビューが公開されていた。
炊き出しに行くことをツイートしたり、今寝ている公園を当てたらダンボールがプレゼントされるとか、すげー面白い。BASEで一日50円でなんでも屋をやるのも面白い。
ホームレスなのに結婚しちゃうのも面白い。僕はニートなのに結婚したので、その道の先輩だ。
ホームレスになって生活レベルが上がったそうだけど、僕も山奥に来たおかげで美味しいものを食べられる機会に何度も恵まれている。
しかし、面白いと思う一方で、ホームレス小谷さんとは大きな隔たりを感じる。
僕はホームレス小谷さんみたいになれない。できない。やりたくない。
他人から見たら同じ事をしてるように見えるかもしれない。
僕が目指す「一流のニート」と、ホームレス小谷さんの「世界一ハッピーなホームレス」は何が違うんだろう?
ホームレス小谷さんのブログやツイッターって、宣伝ばかりなんだよね。
ブログによると「天才万博」というフェスを主催しているらしい。すごい。
イベントの主催をするなんて、僕にはとてもできない。
主催なら、そりゃ精一杯宣伝するよ。当たり前だ。
2017年1月9日現在、ホームレス小谷さんのツイッターは「レターポット」の自動投稿で埋まっている。
「レターポット」とは、キングコング西野さんが作ったウェブサービスらしい。
ホームレス小谷さんはキングコング西野さんの家に住んでいた事があるそうで、繋がりがあるんだろう。その時の恩義で宣伝しているのか、それとも単に知り合いが作ったサービスが面白くて夢中でやってるだけなのかも。
でもなんだか、そういう宣伝を見ると「ホームレス」も「一日50円で豊かに生きていく」も、結局ビジネスじゃないかと思ってしまう。
今までと違うビジネスの仕方をしているだけ。
ビジネスが悪いこととは言わない。
それに、僕がイベントやメディアに出る時、何度も宣伝ツイートをしている事を忘れたわけじゃない。でも、本当はしたくないと思ってるんだ。だけど僕を呼んだせいで主催者が大損したら気の毒だから、宣伝する。これからもするだろう。ニート祭り2018よろしくね。
なんなんだ!
なにが言いたいんだ僕は!
自分でもはっきりとはわからない。
ただ僕が思う「一流のニート」は自分を宣伝なんかしないと思うんだ。
自分を宣伝するってことは「仕事ください」と言ってるのと同じだ。それはニートではない。求職者だ。
「世界一ハッピーなホームレス」は自分を宣伝するんだろうか?
まぁしてもおかしくない。ホームレスは求職しててもホームレスだから。
僕は「一流のニート」になりたいんだ。
それも、物心ついた時からずっと。
このブログの右側にだって書いてある。
「山奥ニート」はそのための手段に過ぎない。
そんなことを、ホームレス小谷さんを見て思い出した。