山奥ニートの日記

ニートを集めて山奥に住んでます。

夢の話なんで読まなくていいです

夢:AmazonPrimeで『ビーバップハイスクール』を観た後、ちょっと調べたら大阪にある廃校を使ってその世界観を再現してる場所があるらしいと知った。近いし行ってみたら、正門からではなく変なところから入ってしまって、よくわからないまま校舎を歩いていると、なるほど確かに不良高校生っぽいコスプレをした40歳くらいの大人たちがそれぞれの教室で好きなことをしていた。僕はコスプレなんてしてないので、場違いなんじゃないかと不安になる。もしかしたら正門から入ったら入り口の所にコスプレしてない人は世界観を壊すから立ち入り禁止、なんて書いてあるかも。どうしよう。とりあえず本来の入り口を目指して歩いてみると、廊下に大きな紙が貼ってあり、手書きでここのルールが書いてあった。この場所は『ビーバップハイスクール』ファンによって自主運営されているらしい。同時に、家具メーカーの見本市も兼ねていて、そのおかげで家具が充実しているそうだ。確かに今まで行きしなに覗いた教室には立派な家具が置いてあった。利用料は、法人向けが一年で30万、個人向けは一年で10万円、一日券はいくらか忘れた。一年で10万円って安いなー、それでここで生活できるわけじゃん。共生舎といい勝負だな、と少しライバル心を燃やす。というところで、目が覚めた。はっきり覚えていたので、寝ぼけながら隣にいる妻にこんな夢を見たと話す。

という夢を見た。起きた後、隣にいる妻に僕が夢の話をしたかどうか聞く。やっぱり話してないらしい。そういえば話している時に、喉が震える感覚がなかった。目が覚めたと思ったのが夢だったのか。

寝る前にAmazonPrimeに見たい映画ないかなーと探していて、そこで『ビーバップハイスクール』のタイトルを目にしたんだろう。ちなみに観たことはない。学校に家具が置いてあるのは、昨日キンブル(名古屋の激安リサイクルショップ)の話をしたからだろうか。ファンが自主運営は『四畳半神話大系』の話を昨日して、京大の学生寮を思い出したんだろう。共生舎より安い、というのは流がブログでギークハウス真庭に住むって記事を読んだからだろうなー。正門から入らないせいで不安になる、というのは僕の根源的な恐怖だ。少しふざけたせいで、とんでもない事になってしまうんじゃないかという不安。しかし、「夢から覚めるという夢」は現実と夢の境界がわからなくなるから、あまりやらないでほしい。

 

『発達障害の僕が「食える人」に変わったすごい仕事術』感想

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僕はたぶん発達障害じゃない。

財布や鍵を無くした事は一度もないし、2つの事の妥協点を見つけるのは好きだ。

だけど、見ての通り机はぐちゃぐちゃ。

部屋の隅にはゴミ山ができている。使わないものはすべてそこに放り込む。

ニートだからそれで困ることはあんまりない。

けど、よくないとは分かってる。

 

作者の借金玉氏はブロガー、アルファツイッタラーだ。フォロワー数は3万人近い。

怒涛の連続ツイートと、新しい言葉を作るセンスと、ツイート上の喧嘩で有名だ。

「ポリコレ棒」という言葉は彼が作ったそうで、僕もよく使う。(ポリコレ棒=誰かを叩くために使われる人権的な正しさのこと)

喧嘩のほうは、この本の発売日前日にもバトっていたのが記憶に新しい。発売まで我慢してたのが、ようやく解禁。かなりの荒れようで、争い事に不慣れな僕は少し覗いただけで縮こまってしまった。

 

そんな借金玉氏が書いたこの本は、ツイート上の刺々しさが取れて読みやすい。

 

鬱の時期にハム将棋を17時間やっていたという話は、僕にもまるっきり同じ経験があるから驚いた。

僕が大学に行かなくなった頃のことだ。本当に朝から晩までハム将棋をやっていた。効果音がやたらと大きくて、サイトを開いたら真っ先にミュートする。将棋とは名ばかりで、こちらが決まった手順で駒を動かすと、相手も決まった手順で対応する。考える必要がほとんどない。頭を使う遊びはできなかった。なぜハム将棋なのかと言えば、他のゲームが上手くなるより将棋が上手くなったほうが、これからの人生で役に立つと思ったからだ。決まった手順で進めるだけだから、それで将棋が上手くなるわけがない。それでもほんの0.00001だけでも役に立つことをしてる気がして救われた。そうやって1年くらいひきこもっていたら、いつの前にか鬱は治っていた。

ハム将棋に時間を費やすような無駄な時間って、鬱から治る段階として必要なんじゃないかな、と僕は思う。

でもそうする余裕がないことのほうが多いだろう。

僕だってハム将棋やめられなかった結果、大学辞めている。

借金玉氏の本にはその回避方法が書いてある。ハム将棋に夢中にならず、やるべきことをやるための方法が。

 

そういえばこの前、発達障害ギークハウスのEQさんに英語圏のインターネットミームADHDのことをリスと揶揄するって話を聞いた。

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「私は気が散りやすいわけじゃないんだよ、私はただ… ちょっと!見て!リス!」

せわしなく動くリスと、ADHDを重ねて言っている部分もある。それに、秋に埋めたドングリを、どこに埋めたかわからなくなってしまう点も。

対して、借金玉氏は本の中で「無駄に終わっても、『ドングリ』を埋めておこう」と呼びかけている。

子供の頃、リスが冬に備えてドングリを土に埋めて多くの場合そのまま忘れてしまうという話を聞いたとき、僕は「間抜けな話だなぁ」と思いました。しかし、現在の僕は「リスはメチャクチャ賢い」と思っています。(p.175)

この部分は借金玉氏の考え方が一番よく出ている所だと思う。

発達障害の症状はなくせない。それを前提とした上でどうするか。

リスはリスのまま行こう。でもリスにはリスの知恵がある。

 

「僕はもう順位は気にしません、自分のレースを自分のスピードで走ります。(そで)」と借金玉氏は言う。

にもかかわらず、文中では「勝ちたかったら全力を出すしかないわけですよ。(p.151)」と書いている。

順位は気にしない。でも勝つ必要はある。

一体借金玉氏は何と戦ってるのか。

周りにいる同期や上司や定形発達じゃない事は確かだ。

 

借金玉氏はphaさんに影響を受けたと公言している。僕だってphaさんに憧れた部分は大きい。

生意気なことを言うのを今回だけ許してほしい。

借金玉氏と僕はphaチルドレンの光と影な気がする。

どっちが光でどっちが影かはわからない。

借金玉氏のツイートを光属性とは呼びづらいけど、社会的な立場で言えば会社員とニートでどう考えても僕のほうが日陰者だ。

借金玉氏は様々な工夫をしてこの日本社会でやっていこうとしている。一方で僕は日本社会が嫌なら新しい社会を作ってしまえと思っている。

向いているベクトルは正反対だ。

実際にお会いした事はないけど、きっと性格も全然違うんだろう。

 

だけど僕は彼の強さに憧れる。

リスはリスのまま生きていくしかない。

ナマケモノナマケモノのまま生きていくしかない。

でも弱いままでいいわけないよね。

やっていきましょう。

したいことリスト

・ギターやる

・ハーモニカもらったから練習

・バンドを組む。「山奥ニートのテーマ」とかつくろう

・ギターはFが難しすぎるからウクレレもやってみたい

・近くに越してきた人の家に何日か住み込んでマッサージ教えてもらう

・鈴木真央さんとミニコミ誌をつくる

・レンタルニート仲陽介となんかやる

MTG動画つくる

・山奥ニートのドキュメンタリーつくる

・山奥ニートの演説をつくる(坂口恭平みたいな)

・川の音を撮る

・川の映像を撮って、GIFにする

・ブログ書く(1.折り紙の話、2.武蔵小金井の話、3.蟻の話)

・本を書け本を

・ラジオやる。「葉梨はじめのオールニートニッポン

・四国の寺に行く

・ギルドハウス十日町で修行する

・ファイナルカレーつくる

・ラー油つくる

・イベントバーエデン名古屋で山奥ニートバーやる

・名古屋は地元なので、貸し切って身内でもエデン名古屋つかいたい

・カメラのレンズ壊れたままなのでレンズ買う

タブレット壊れたままなのでタブレット買う

ゴールデンウィーク気分が抜けない

ゴールデンウィークの間は、例年通りお客さんがたくさん来て賑やかだった。今年は一番多い時は20人くらいいたようだ。共生舎から一歩外に出るとただの山奥の過疎地域なのに。

ニートに連休なんて関係ないと思われるかもしれないけど、山奥ニートの場合は違う。

お客さんがお土産にお菓子やお酒を持ってきてくれて、連日お祭りのようになる。だからほとんど毎日が休みである山奥ニートにとってもGWやお盆、正月は非日常だ。

ただ、会社員の場合は連休が終われば半ば強制的に日常に戻るけど、ニートの場合は何にも強制されることがない。

だから連休気分がいつまで経っても抜けなくて、お客さんが残してくれたお酒を昼間から飲んでだるくなっている。

おまけに一日中強い雨が降っていて、どうにも気分が上がらない。

僕は離れに住んでいるから、尿意を催すたびに雨水が溜まって川のようになった母屋への道を、じゃぶじゃぶと渡っていかなくちゃいけない。せっかくお風呂に入っても、自分の部屋に行くまでに台無しにされてしまうからたまらない。

そういうわけで、ここ数日は何をするでもなく母屋のリビングにいる事が多い。本を読んだりボードゲームをする程の元気もなく、どうしようもない。

そういえば、いつのまにか長期滞在者が2人増えていた。

ちょうどいいくらいの流動性だ。そのくらいがいい。

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イベントバーエデン名古屋へ行きました

イベントバーエデン名古屋へ行きました。

2日間ひたすら飲んで食べて寝るという狂気の世界でした。

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イベントバーエデン名古屋について説明します。

このお店は、東京にある本店のフランチャイズです。

名古屋駅から3駅くらいの、烏森という駅から徒歩1分、走れば30秒の高立地です。ちなみに烏森で「カスモリ」と読みます。僕らが住んでるゴミ地区といい、何かが引き寄せるのでしょうか。

ここでは日替わりでいろんな人が一日バーテンをやります。名古屋周辺に住んでる変な人はやってみたらいいと思います。僕もそのうちやるかもしれません。この前の東京エデンが大変すぎたのでやらないかもしれません。

オープンは今年4月1日。

3月に話が持ち上がって、4月にオープンするというスピード感です。

一階部分が店舗、二階三階がADHDギークハウスになっています。住人が下の店舗で働けば経済が回る仕組みになっています。住居と店舗が一体になっている形態はシャッター商店街で問題になったりしますが、それでもなくならないくらい強いシステムです。

家賃払えない人が現れるという、シェアハウスにつきまとう問題をひとつ潰せているのはいいなぁ。

また、コンビニが目の前にあるので買い出しが容易というのが強い。

コンビニで仕入れると割高に思えますが、倉庫を借りていると思えば安いもの。

最低限だけ仕入れて足りなくなったらコンビニで調達すれば、在庫をかかえて困ることはないし、いつでも商品が最高の状態に保たれていることになります。

街を家の一部として見る、というのはphaさんが著書に書いていましたが、それは店にも応用できるわけですね。

そういったメソッドは本家エデンのえらいてんちょう(eraitencho)によって作られたものですが、そこに名古屋エデンのないしま(@naishima)さんの細やかさが加わることで、名古屋エデンは一回り強くなっているように見えます。

僕は名古屋産まれ、名古屋育ちです。

名古屋は三大都市圏として東京、大阪に次ぐと言われますが、僕が名古屋を都会だと思ったことは一度もありません。

「名古屋は偉大なる地方都市である」というのは非常に上手く名古屋を言い表しています。

名古屋は人は多いし仕事もたくさんありますが、サブカルチャーに関しては福岡や金沢など他の都市にはっきりと劣ると感じます。

そんな名古屋に「変な人たちが集まる場所」ができたことは、十分に革命的な出来事です。

イベントバーエデンが面白いのは、店員と客の境目があいまいなところです。

日替わりでバーテンが変わるので、ある日は店員だけど、別の日は客というのが当たり前になります。店員より店に詳しい客がいるのはエデンでは普通のことです。

名古屋エデンで飲み疲れたら、上の階でごろ寝させてもらえるかもしれません。店舗と住居の境目があいまいになっていきます。

店に来て「ちょっとコンビニ行ってくる。何か買ってくるものある?」と言って一時退店する人がいます。どこまでが名古屋エデンなんだか境界があいまいです。

そうした境のあいまいさが、関東なのか関西なのかあいまいな名古屋に偶然にもよく合っているように思えます。

名古屋人に「名古屋って関東なの? 関西なの?」と聞くと、必ず少し不機嫌そうに「どっちでもない。名古屋は名古屋だ」と答えるでしょう。

同じようにイベントバーエデンがなんなのかは「エデンはエデンだ」と答えるのが一番正しい気がします。

こんなあいまいな場所がもっと増えていったらいいのにな。

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 写真提供:ジャネイロ氏 (@Mandorio0510) | Twitter

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何度でも嫌いなものを食べる

嫌いな食べ物は少ないほうだと思う。

でも、切り干し大根は嫌いだ。

元々茹でた大根の匂いが好きじゃないんだけど、切り干し大根は更にそれが強調されて臭い。噛んだ瞬間、口いっぱいに大根の汁と匂いが広がる。あの茶色のしわしわな見た目も粋じゃない。

切り干し大根とは、半年に1回くらい遭遇する。

自分で頼まなくっても、お弁当の片隅に入っているし、居酒屋のお通しでもたまに出る。

切り干し大根は僕の口に合わない。そうわかっている。

それでも僕は、出てくるたびに食べる。

だって、歳を重ねるごとに味蕾が減って、味に鈍感になっていくと言う。小学生の時は嫌だったピーマンも、今では普通に食べられる。苦味に慣れたのか、舌が衰えたのかはわからないけど、子供の頃に比べて嫌いな食べ物は格段に減った。つまりこれから先も、僕が老いていくたび切り干し大根を好きになる可能性が上がるということだ。

だから僕は毎回、切り干し大根を口に運ぶ。

じゅわっ、もわっ。

うーん。

今回もダメだった。あとは誰かにあげる。

でもこの一口は、僕がどんな人間なのかを確認するための儀式なんだ。

食わず嫌いをするほど、自分に自信がない。

半年後の僕は、今の僕と別人だと思っている。

人間は一ヶ月で30兆個の細胞が入れ替わるそうじゃないか。どうして同一人物だと言い切れる。

 

多くの人は、自分を知るということを過小評価してる。

自分の好きなものと嫌いなものがわからなければ、どうしたら幸せになれるかもわからないってことじゃないか。

好きなものをたくさん集めて、共通性を見つけて、新しい好きなものを見つけやすくしていくのだ。

ゴールが決まらないのに走り始めるのは非効率的だ。70年の人生を、できるだけ幸せで埋め尽くしたい。寄り道なんかしたくないんだ。

そのために、好きなものと嫌いなものの再確認が必要だ。

好きなものはいい、自然ともう一度触れたくなるから。

問題は嫌いなものだ。

嫌いなものの近くにいる必要はないが、離れすぎると自分の嫌いなものが変わっていた場合に損をする。嫌いなものは少ないほうがいい。逃げるにもコストがかかるから。

別にアレルギーがあったり、ひとくち食べただけで気分悪くなるほど嫌いだったら無理することはない。そこまでのリスクを負う話じゃない。

でも、ちょっと嫌いだなー程度のものは、定期的に今でも嫌いかどうか確認するべきだ。あなたは昔の自分と変わっていないと思ってるかもしれないけど、実は昔のあなたは死んでいて、記憶を持ったコピーと入れ替わってるかもしれないんだから。そのコピーは限りなく昔の自分と同じだが、切り干し大根についてだけは違った反応を見せるかもしれない。

そうじゃない事を確認するために、僕は切り干し大根を何度でも食べる。

そっか、今の僕はまだ切り干し大根が嫌いか。

でも次の僕はどうだろう。

2/26日記、本を書き始めた

妻の家に居候中。

7時に会社に行く妻を寝ぼけながら見送る。二度寝。10時に起きる。そろそろ本を書き始めなきゃ。

書籍化の話はフリーの人を含めて、10人の編集者から声をかけてもらった。中には大手出版社もあって、本当に嬉しいことだ。早いもの勝ちで後は断ったほうがいいのかな、でもそうやって途中で話が消えたら嫌だなと思ってphaさんにどうしたらいいか相談したら、とりあえずたくさんの編集者に会って気が合いそうな人とやればいいと言われた。なるほど。ニート気質と合わないチャラい編集者だったらたしかに困る。ニート祭りで東京に行ったついでに何人かの編集者と会った。結局、一番最初に具体的に会う話をしてくれた編集者さんとやることにした。これから編集者さんが会社に企画通したりしなきゃいけないだろうから、まだ確定ではないけど書籍化に向けて大きな一歩だ。とりあえず書き始めてみて、進み具合で締め切りを決めましょうと言われた。

そういうわけで、本を書くやる気出すためにショッピングモールに自転車で行く。フードコートでノートを広げて書くことの再確認。既に大体決まってる。パソコンを開いて、書いてみる。山奥ニートの概要とどういう場所に住んでいるかを説明したところで2000文字。思ったより少ない。一冊の本で10万文字らしい。これならエピソードも入れられそうだ。ネタならたくさんある。大丈夫。せっかくイオン来たのでマックでチキンクリスプハンバーガー、エッグチーズバーガーを食べる。400円。安い。エグチが密かにコスパ最強なのではないかと最近思い始めた。食べたらやる気なくなって、モールの本屋に行ってみる。やっぱりブロガー的な本ってほとんど置いてないなぁ。売れる本にするのは編集者さんがやってくれると思うけど、ちょっとビジネス書っぽい表紙にしてくれたら売れそうだなぁ。限界集落ニートに日本の未来がうんぬんかんぬん。まぁあんまり意識すると偉そうな感じになっちゃいそうでよくないな。いつもどおり淡々と書こう。

ショッピングモールのソファーに座って、少しネタ出し。狩猟や山菜のことをがっつり書く余裕がありそうだ。最初にヨシ君が鹿を仕留めた時のことを思い出す。母子が一度に箱罠にかかったんだったなぁ。子鹿の悲鳴はどんなものだっただろう。もう3年も前だ。山菜についてはもっと村の人に話を聞きたいな。山奥に帰ったら散歩をしよう。

パソコンの電池が切れてしまったので、そのまま今日の分は終わり。結局2000文字しか進んでないけどまぁいいや。いやよくないけど。スーパーでほろよいジンジャーエール味を買って飲む。おいしい。いつでも酒が飲めるのが都会の利点だ。気軽にお金を使ってしまうから欠点でもあるけど。道端で酒を飲めるのは日本の特権だ。

帰りにツタヤに寄って、DVDをいくつか借りる。初期衝動を思い出すために黒澤明の『生きる』を選んだ。後は、この前見た『ワンダーウーマン』が個人的に微妙で、『キャプテン・アメリカ ファーストアベンジャー』のほうが面白かった気がしたから、借りて確かめてみる。前に一度見たけど、その時は他事をしながらだったんで今度はちゃんと見よう。レトロ感を好ましく思った覚えがある。

家に帰ると19時。まだ妻は帰ってなかった。しばらくネット見てたら20時近くになって帰ってきた。お疲れ様。晩御飯は昨日作ったおかずで十分。豚肉と里芋を煮たやつ。妻は明日早いらしく、すぐに寝た。僕は眠れないので、妻との会話の中で出た落語の芝浜、それも談志のを見た。Wikipediaによると、財布を拾うシーンの風景描写を詳しくする派と、しない派があるらしい。僕はする派のほうが好きだな。そのせいなのか談志のはそんなに好みじゃなかった。電気消した中で見たので、目がシバシバしてそのまま寝た。