山奥ニートの日記

ニートを集めて山奥に住んでます。

生田武志の『フリーター≒ニート≒ホームレス』の要約、感想

Ⅰ 労働のインセンティブの変容

・高度経済成長期は国と一体感があり、一生懸命働いた分だけ国が豊かになった。現在は先行き不透明

    =「国のために」働くというインセンティヴの焼失

長山靖生「仕事と恋愛したい若者たち」と表現する。学歴や家庭環境によって決まる「見合い結婚」から、本人の意思を重視する「恋愛結婚」への変化。 

    =「会社のために」働くというインセンティヴの消滅

・バブル期の裕福な親にフリーターの多くは仕送り「されて」いる。 

    =「家族のために」というインセンティヴの消滅

・残るインセンティヴは「自分のために」である。それは2つに分けられる。どちらになるかは、学歴、経済階層によってある程度決定される。

・高学歴層の親は子どもに教育費をかけるため、子どもの全能感を高め、夢と現実のギャップを拡大してしまう。

    =「自分(探し)のため」

・低学歴層の親は子どもの学業・就職に無関心で、子どもは当座の現金が入ればそれでよいという意識をもってしまう

    =「自分(の生存)のため」

フリーターとは「(会社=社会)=私」の否定形である。したがって、それは論理的に二つに分かれる。すなわち、「会社≠(社会=私)」あるいは「(会社=社会)≠私」である。

・ひきこもり「経済生活を成り立たせるためには、自分の価値観や倫理観を犠牲にしなければならない」

・ひきこもりに対する労働のインセンティヴの問いは「家族問題」に限定されている。これでは解決は遠のくばかりだ

つまり、「(会社=社会)≠私」の一番強い拒絶がひきこもりってこと。

ぼくの家は比較的裕福なので、まさに高学歴層の親のパターンに当てはまって耳が痛いw

ちなみにインセンティヴとは、あることをやるときにその目的となるもののこと。ごほうび。やる気のもと。

誰が言ってたのか忘れたけど「ニートなんてうんこと同じだ。でも健康のためにはうんこに蓋をするのではなく、ちゃんと見ないといけない」って言ってたのと思い出した。

以下フリーターに関する覚書

・フリーターで障害を過ごした場合、夫婦共働きで子どもも住宅も車も持たなかったとしても年間の終始は常にゼロに近く、しかも50代半ばで確実に家系は破綻するとされる(丸山俊『フリーター亡国論』2004)

・「やむをえず型」(31%)、「夢追求型」(25%)、「モラトリアム型」(44%)の3つに分けられる(堀有喜布編『フリーターに滞留する若者たち』2007)


Ⅱ カリカチュアとしての日本の家族 ―――「会社人間+専業母親+専業子ども」

・海外の場合、成人したら他人なのでひきこもりにならずホームレスになる。

・高度経済成長期が近代的「核家族」(「会社人間+専業母親+専業子ども」)を定着させた。

・専業母親=子どもを生きがいに=心理的・経済的な依存

・定年後、友達も趣味もない会社人は、社会性がないのではないか

「誰でも、あるひとつの生き方を選べば、その他のすべての生き方を捨てることになります。

 選ぶということは、そういうことでしょう。

 そうして選択されなかった生き方は、その人にとって、その家族にとって、影の部分になります。

 ひきこもりの子どもたちを見ていると、まるで親や家族のそのような影の部分を生き直そうとしているかのようだ、と思うことがしばしばあります」

 (田中千穂子『ひきこもりの家族関係』2001)

カリカチュア=デフォルメされた絵のこと。

「子どもは家族のの影」って、ゾッとする表現だ。


Ⅲ 「フリーター・ニート・ホームレス」そしてジェンダー

・女性パート労働者は70年代から増え続けた。生活保護以下の安い賃金だったが、夫の補助という位置だったので問題にならなかった。

・多くの男性フリーターが「やりたいこと」や正社員に向けての「仮の姿」であるように、女性フリーターの多くは「家庭に入る」までの「仮の姿」

・結婚できない(しない)女性には自分の「存在」を認められない社会環境(男性における「就職」と同じ)

・女性フリーターの特徴(小倉千加子『結婚の条件』2003)

  ・「結婚願望」

  ・「フリーター男性を結婚相手としては拒絶するフリーター女性の多さ」

  ・「典型的パラサイトシングル」=「親に基本的生活の面倒をみてもらいながら、つらい仕事を避け、バイトの給与はほとんど小遣いにして、旅行や買い物を楽しみながら、結婚を待っている」

・女性フリーターの特徴により、彼女らの逆転の唯一の選択肢である結婚をどんどん難しくしている

・一発逆転を捨ててみんなが大人しく就職し結婚し子どもを作るのが、少子高齢化を目の前に迎えた「国家のため」、老いていく親世代の「家族のため」、つまりは「世のため人のため」なのだろうか?

・その前提だった「国家・資本・家族」構造は高度経済成長期の特殊な状況下でのみ成立したもので、このスタイルは決して長続きしない。

・「国のために」「経済のために」「家族のために」 これらの言葉は労働のインセンティヴを持ち得なくなった若者には無意味だ。

ただ、労働のインセンティヴを相対的に失った若者たちが、自ら先祖返り的にある種の血族的「共同体」へと一気に流れこむ事態はありえるのかもしれない。

・新たな「連帯」「統合」が構想され実現しなければ、右翼運動などの「国家」、既得権益の攻撃するかのように見えるベンチャー「企業」、自分の存在価値すべて投入できる「血族」的民族主義への同一化が起こりうる。

・自分がこの社会の中で生きている価値を、「社会を構成している一員という当事者性」を、どう持ちうるか、問われつつある。

自分は男なのでジェンダーはピンとこなかったが、読めば納得。男性の就職と女性の結婚が同じというのはとてもわかりやすい。クレしんの松坂先制みたいに、ネタとして結婚が遅い女性が扱われることがあるけど、自分の就職に置き換えてみるとかなり欝になる話だ。

「共同体」と同一化する兆候はすでに出ている。たとえばネトウヨなんて完全に民族主義だ。企業はホリエモン逮捕があったものの、それ以上に孫正義が目立つ。

Ⅰにあるように「国」「会社」「家族」を3つ一組で考えるべきだが、家族についての復帰の流れは今のところ見えない。

しかし震災によって家族の大切さは多くの人が感じただろう。このことについては思うところあるので、あとで書く。

またここで著者は阪神大震災に多くのひきこもりがボランティアに参加したことを、フリーター・ひきこもりが存在意義を求めていることの論拠のひとつにしているが、今回の震災では果たしてどうだったのだろう?

ちなみにぼくもボランティアに行こうとした(でもあっという間に人数オーバーになったので結局いけなかった)


π 「Ⅳ」へ向けての間奏

・「会社人間+専業主婦」という構造に対する新しい考え型をさがそう

 「フルタイム労働+専業主夫

  =従来の「性別役割分担」の単なる裏返しにしかならず、構造を(柔軟に)強化するものだ。

   そもそも専業主夫を抱えられる結婚相手はめったにおらず、結局未婚・晩婚化が進行する

 「家族・ジェンダー・労働」のリストラクチャリング

  =フルタイム労働とパートタイム労働の区別の解体が必要。Ⅳへ。


Ⅳ 労働・家族・ジェンダーリストラクチャリング(闘争としての協力ゲーム)

・正社員になれるかはいす取りゲームである。

「いすを分け合う」

  =ワークシェアリング

   オランダでは正社員とパート・アルバイトの区別がない。(同一賃金・同一労働)

   夫婦それぞれが週休三日で働く「コンビネーション・シナリオ」をオランダ政府は推進

「いすを増やす」

  =NPONGO

   オランダではNGONPOが「国家・資本」と対等に近い位置を占めて活動している

   NGONPOは「国家・資本」への「NO(対抗運動)」という意味を持っている。

   これらの活動に国民の半分以上が関わっている=会社ではない社会に対する繋がり

   雇用保険NGOの「公的就労」に投入

・フリーター、ひきこもり、野宿者のお互いの理解が日本社会の矛盾や限界、そして新たな「ゲームの規則」を浮き彫りにするかもしれない。

著者は「いすを増やす」ことの例として、NGONPOならぬ「NFO(Non-Family Organization)」を挙げている。これすごく面白い。思い浮かんだのはギークハウスプロジェクトだ。震災の不安もあって、これからニート・フリーターによる共同生活は増えるんじゃないだろうか?

ワークシェアリングをひとつの問題の解決として挙げているけど、あくまで一例といった感じ。新しい価値観、ワクワクするね。

今の雇用形態が限界を迎えていることは東電を見ていれば誰の目にも明らかだし、電力不足で何かが変わらざるを得ないだろう。さらに就職難になって真っ先の困るのはぼくら底辺だけど、これ以上やばいことになったら流石に何か新しい動きが出てくるんじゃないの?

しっかしこうしてみると自分の勉強不足を痛感する。要約できてねー。wordじゃないから見にくいんだよ、なんて自分に言い訳。