山奥ニートの日記

ニートを集めて山奥に住んでます。

山奥ニートとNPO

今まで色んな人に聞かれるたび、モゴモゴとお茶を濁していた。というのも、NPOと聞いただけで拒否反応を起こす人が多いからだ。NPOなんて「会社」と同じ程度の意味しかないのに。

さて、僕らのNPO法人共生舎の話。

僕らがお世話になっているNPO法人共生舎理事長の山本さんが平成26年4月1日に亡くなりました。

共生舎は山本さんの人柄とポケットマネーで成り立っていたので、存続のピンチになった。

僕らも食費・光熱費出してやるからと言われて来たのだけど、亡くなってしまったのならその約束も反故。そういうわけでバイトを始めたというわけです。

僕としては一方的においしすぎる話だったので、援助してもらえなくて当然、なんかもらえたらラッキーくらいの気持ちだったので、その点については文句も驚きもない。

さて、NPOの総会だ。

社会経験のない僕は初めて会議を見たわけだけど、どうにもあれはくだらない。誰が新しくトップに立つのかだって、まるで中学生の委員長決めだ、自分以外の誰かが手を挙げるのを待つだけ…。いい大人が情けない。

結局共生舎は存続することになったのだけど、それだって山本さんの遺志に「やめる」と言い出す勇気がある人がいないから、そういう結論になったように僕には見えた。

まあ、共生舎だって、僕にとってあればラッキーくらいにしか思ってないんだけど、あればあったで「NPO法人」という肩書きがあるから寄付やなんかも少しはもらえるだろう。イベント費用の足しくらいにしかならないだろうけど、それでもないよりマシだ。ちなみに補助金はもらってないらしい。

そういうわけで、山奥の家で、たまにバイトして、あとはのんびり暮らす。誰でも遊びにきていいよ、というスタンスは続く。行こうかと思っていたニート・ひきこもり諸君は心配しなくていい。

山本さんには2回しか会っていない。だから正直、亡くなったことに対して悲しさはない。

山本さんは山奥のあの家に若者が住んで、それぞれがそれぞれのペースで生活することをずっと夢見ていた。亡くなる直前、共生舎のことだけが心残りだって周りの人に漏らしていたそうだ。そして、僕らがあそこに住むと決めた報告をした一週間後に亡くなった。

僕は2回しか会ったことのない爺さんの遺志を受け継ぐほど感傷的じゃない。

でも貧乏症だから、遺されたものを誰も使わないっていうなら、僕がそれを使わない手はない。