実家でゴロゴロするのも飽きてきたし、どこかしら行くだろうと買っておいた青春18切符の期限が迫ってきた。
どこが行こうかなーとあれこれ探してたら、このHPを見つけた。
NPO 創健舎
○居場所としての創健舎地域、血縁、地縁がバラバラになり、どこにも「居場所」がない人がいます。居場所がない方は創健舎に来てみて下さい。衣食住すべて無料です。お金は一切頂きません。
ただ遊びに来たい方でもOKです。
僕とやってることまったく同じじゃん!
田舎でなんでも屋として生計を立てながら、居場所作りをしている。
こりゃもう行くっきゃないってことで、さっそくメールを送る。
そうしたら農繁期で人手不足だそうで、ついでにトマトの収穫の仕事手伝ってと言われた。
旅先で金を稼げるなら願ってもないことなので、もちろんオッケー。
18切符で九州大分を目指す。
当然鈍行では1日じゃ着かないので、途中いい寄り道の場所はないかと探してたら、phaさんがDMで、尾道が空き家再生やっててアツいと教えてくれたので中継地点として寄ることにした。
・1日目
始発に乗って、尾道を目指す。乗り換えは名古屋→大垣→米原→姫路→相生→岡山→尾道の6回。所要時間は7時間30分。
とはいえ僕は電車に乗るのが好きなので、別に苦じゃない。
電車に乗っている時間は、ぼーっとすることが許される。自分で何もしてなくても、移動してるってだけで何かしてることになる。堂々と胸を張ってぼーっとできるこの時間が好きで、僕は暇でやる気のない時は環状線の電車に乗ってひたすらぐるぐる回る。(ちなみにあまり長く乗りすぎると一周分のお金を取られる)
午前中からビール飲んでほろよいで音楽聴きながら車窓を眺めてると、あっという間に尾道だ。
僕はたいへんに晴れ男なので、雨に降られるなんてありえない。
尾道にはちょっとした思い出がある。
前回に尾道に来たのは、僕は大学生で、友達と一緒に車で四国と広島を旅していた時だ。
その時の日付は2011年の3月12日。東日本大震災の次の日だった。僕はもう気が気じゃなくて、観光どころじゃなかった。Ustreamで流れるNHKのニュースをずっと見ていた。町は濁流に飲み込まれ、原発が爆発してた。
僕はもう帰ろうと言った。旅行してる場合じゃないと。でも友達は帰ったところで何もできないのだし、今まで通り旅を続けようと言った。彼は一ヶ月後には社会人になることが決まっていたから、何週間も旅するのはこれが最後だということもあったのかもしれない。
その時の苛立ちは今でも覚えている。
話がそれた。
尾道では「あなごのねどこ」というゲストハウスに泊まった。
空き家を改装したゲストハウスだ。一泊2800円。
僕は空き家再生はまだやってないけど、なんか近いうちにやることになりそうな気がする。
今の繁忙期は、「ヘルパー」として2人の大学生が滞在していて、宿代をタダにしてもらえる代わりに宿と併設されてるカフェの手伝いをしていた。
なにそれ羨ましい。僕もやりたい。
本物のスタッフさんは、次々に空き家の説明を聞きに来る人の対応に追われていて、ほとんど話せなかった。(あと若い女性で話しかけづらかった)
そのかわり、「ヘルパー」の学生のりょうかんくん(@ryokan_1123)が相手してくれた。彼はモチベーション溢れまくっててやばい。頑張ってる年下を見ると、いつもサボってばかりの僕は後ろめたい気持ちになるぜ。
他のお客さんにはドイツ人の女性がいて、片言の英語で話して楽しかった。ドイツと言えば今の僕にとってボードゲームなので、よくやるのか聞いてみたらモノポリーとかはドイツ人ならみんなやってるらしい。その時、トランプがあったのでドイツ人が「モンキーゲームをやろう」と言い出した。なんだそりゃ、と思って説明を聞いたら何の事はない、ジジ抜きだった。が、今「Monkey game」とかでググっても出ないなー。ババ抜きは「Old Made」の訳ってのはたくさん出てくるんだけど。
他にドイツ人とみんなで色んなことを話した。サッカー見て本田の金髪は嫌いだとか、香川真司を知ってるか聞くこと自体馬鹿馬鹿しいくらい有名だとか、鳥取砂丘の写真見てこんなの絶対ウソだとか、もみじまんじゅうを説明するのに苦労したりした。
これだけ外国人いじるのが楽しいってことは、僕が外国人になった時は向こうも僕と話したがるんじゃないだろーなー。今すぐに外国に行くわけにはいかないけど、英語のTwitter垢作るのは楽しそうだと思った。
あなごのねどこ
言うほど尾道に猫多くない気がする
ハムスターが多すぎるペットショップ
「尾道焼き」は砂ずりが入っていた。
・2日目
尾道→別府。移動時間10時間15分。
18切符の地獄として静岡は有名だけど、実は広島~下関もなかなかしんどい。
なんか聞いたことない駅で乗り換えさせられるのがうんざりする。山口県民ごめん。
ブックオフで100円で買った文庫本を読みながら、iPodに入れた深夜の馬鹿力とオードリーのANNを聴きながらじっと耐える。
そうして下関まで来ると、ようやくここまで来たかって気分になる。
乗り換えに時間があったので、海峡ゆめタワーに登った。
僕的にはふぐより名物な、下関に停車中に起きる停電。この後、関門トンネルを走っている最中にもう一度停電する。何も知らないとビビる。本州は電気が直流で、九州は交流だから関門トンネルの中に電気が通ってない区間があるらしい。停車中にも停電するのはちゃんと回路の切り替えが行われるかのチェックだそう。
さて、別府に着いたら駅からすぐのところにある「駅前高等温泉」に行く。
ここは2階で宿泊することができる。その値段、なんと一泊1600円。浴衣も用意してくれる。
クーラーも効いてるし、前来た時にとても気に入ったからまた来たいと思っていた。
別府は温泉街なのに気取ったところがなくて好きだ。ずっと田んぼや山ばかりのところにいきなり現れるこの歓楽街は、さながら豊後のオアシス。夜遅くまで居酒屋やキャバクラで賑やかだ。
この日は土曜日で、駅前高等温泉もすぐに満員になった。僕が浴衣でぶらっとしようと思って外に出たら、ボロボロのスケッチブックを持ったバックパッカーがいた。彼もここに泊まるつもりだったけど、残念ながら少し遅かったらしい。
飲み屋街を散歩しているうちに、彼とは3回すれ違った。ざまあみろーと言うつもりで話しかけたくなったけど、ぐっと我慢した。
・3日目
別府から、目的地である創健舎までは2時間ほどなんだけど、日中は仕事があるってことで、別府観光をした。
錆びたパイプから蒸気が吹き出していて、完全にスチームパンクの世界観。
湯けむりが30mくらいの高さまであがってて、スケールでかい。
写真真ん中にいるの自分です。
温泉卵って名物として完璧だよなー。観光名所と食べ物が直結してるんだもん。
6コで300円。うまい。
大分といえばからあげ。500円。うまい。
そんなこんなでいつの間にか会う約束の時間が近づいてきた。
創健舎へ向かう。
創健舎の後藤くん(@kenkengoto)に迎えに来てもらった。
創健舎について色々聞いてきた。
- NPO創健舎は組織というよりも今のところ後藤くんの個人活動だ。
- 後藤くんは北海道で酪農の見習いをして、アルゼンチンでやるつもりだったけどいろいろあって今は地元に戻って活動中。
- 空き家を借りようと思ったが、いい感じのが見つからず、今は実家を本拠地としている。
- 後藤くんが住んでいる豊後竹田は、そこそこ町だ。スーパー銭湯クラスの温泉があるし、定食屋もある。
- 仕事は子守などもあるものの、やっぱり農家の手伝いが多いっぽい。
- 共育学舎に滞在していたことがある。
- 飯も温泉もビールも奢ってくれた。
- 後藤くんはイケメンだ。
とり天。うまい。
後藤くんは僕より随分しっかりしていて、アクティブに見えたけど、働きたくないって気持ちはおんなじみたい。
九州で退屈してる人は、連絡取ってみると面白いかも。
・4日目
後藤くんが最近やっているプチトマトの収穫の手伝いの手伝いをした。
真っ赤になったプチトマトを、ひたすら採る。
熟れ過ぎたプチトマトは割れてしまって売れなくなる。だから食べ放題。果肉がはっきりと甘くておいしい。
葉の裏に隠れていた実を見つけると、「おいおい、俺じゃなかったら今の見逃してたぜ?」って得意な気分になる。
一緒に仕事をしたおばちゃんたちにちやほやしてもらった。やっぱりこういうのはどこも変わらない。
後藤くんの他に若い子がもうひとりいて、その子はしばらくニートやっていたんだけど後藤くんの紹介でこの手伝いを始めたそうだ。
プチトマト収穫が5時までで、その後その子も合わせて3人で温泉に連れてってもらった。
大分は温泉が安くてすごい。スーパー銭湯クラスの立派な場所なのに、300円とかで入れる。羨ましい。僕がここに住んでいたら毎日でも行きたいくらいだ。
温泉の後は、後藤くんの家で「実験」。
熟れ過ぎたプチトマトをもらってきたのだ。
それを日持ちするように加工して売れたら、元手ゼロ円で商売できるんじゃないかと思って、何か作れないかと試すことにした。
ジャムとかピザソースとか考えていたけど、結局一番手間の少ないホールトマトにすることにした。
プチトマトを湯剥きしたあと、煮込むだけ。きちんと熱湯消毒した瓶に入れれば、8ヶ月持つ・・・らしい。本当だろうか?
もしこれから先食うに困ることがあったら、大分で熟れ過ぎたプチトマトを売って生活しよう。1瓶500円を月に100個売れれば生きていける。100個かー。結構大変だな・・・。
でもこういう保険を増やしていくのは楽しい。
いつだってどこだって生きていける気がする。
2018/01/16追記
後藤くんの家を出発する時、後藤くんのお母さんが道中食べなさいとおにぎりを緑色の布の袋に入れて持たせてくれた。その袋は僕にとって自由の象徴になった。今でも旅に出る時は必ずその袋を持っていく事にしている。充電器類をまとめて入れるのにちょうどいい大きさなんだ。