山奥ニートの日記

ニートを集めて山奥に住んでます。

山奥ニート、また取材される

ニコ生しながら取材されたので、なんか神聖かまってちゃんみたいな感じだった。の子さんはすごいなー。僕は全然上手く答えられない。

たとえばこういう生活を始めた理由を聞かれたって、たくさんのきっかけと想いがある。

不真面目に答えるなら、「就職したくないから」だ。

でもそこに至るまでを話そうと思ったら、僕が物心ついた頃まで遡る。

僕は大人に「将来の夢」を聞かれて答えられたことが一度もなかった。他の子供が警察官とかサッカー選手とかウケのいい答えをしているのを横目に、言葉に詰まっていた。小学校の卒業文集に書いてある「将来の夢」は……「お金持ちになること」だ。投げやりな気持ちで提出したのを今だって覚えている。

だけど本当は「将来の夢」がないわけじゃなかった。

僕の憧れの大人は、車寅次郎であり、金田一耕助であり、山下清だった。僕の「将来の夢」は職業じゃなかったんだ。自由で何者にも縛られない大人になりたかった。

中学生になって、スリランカから交換留学生がきた。その時の僕は前に出て行くタイプじゃなく、何より原義的な中二病だったので、彼とはほとんど関わらなかった。しかし、その総合的な学習の時間で読んだ本にこんなことが書いてあったのだ。

「日本は豊かだ。どの家にもテレビや洗濯機がある。それなのに、生活はギリギリに見える。ひとり居候が増えたら家計は成り立たないだろう。スリランカにはテレビや洗濯機はない。でも家族がひとり増えても大丈夫なくらい豊かだ。」

なぜかこのことだけが僕の胸にはずっと残っていた。

大学生になる時、いよいよ先延ばししてきた進路を決めなくちゃいけなくなった。僕は消去法的に教育学部を選んだ。学校の先生ってのは、他の仕事に比べて自由度が高いと思ったからだ。しかし色々あって教員ってのは無理だと思い……理由? まぁ格好良く言えば、教育とは暴力のひとつだと気付いたからだ。もちろん、その暴力は必要なものだ。でも自分がそれに慣れるのはいやだなーと思ったから教員になるのはやめた。

幸運にも、僕の実家は僕がすぐに働いてお金を入れないと食っていけないというほどの貧乏ではなかった。

どうせ道を踏み外すなら小さいころ夢見ていたような自由な人になりたいなーと思ってネットの海に潜っていたら、共生舎ってNPOを見つけてそこに住み着いたってわけだ。ここの部分は本当に運だけで、話して面白いことは何もない。

もしその時の僕がどう感じていたかに興味があるなら、このブログを遡るのがいい。なんせ、それはたった1年前の話だからだ。

今の暮らしは僕にとって、本当に理想だ。

貯金も収入もないけど、別にひとりやふたりニートが増えたってすぐに飢え死にするほどじゃない。「死にたい俺はもう駄目だ」って言ってる奴に、「うちに来て一緒に遊ぼうよ」って言える。昼間から酒を飲むこともできるし、こたつでゆっくり本を読むこともできる。気分のいい時は、ちょっとした労働だってできる。

願わくば、これが来年も再来年も続かんことを。そしてこんな場所がたくさん増えればいい。そうしたら、もしここが駄目になっても、そこで立ち直る時間が稼げる。

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記者さん、美人だった。