山奥ニートの日記

ニートを集めて山奥に住んでます。

おばあちゃんが死んだ

おばあちゃんが死んだ。結婚式の4日後のことだ。

僕の両親は共働きで帰りが遅かったので、幼い僕を育ててくれたのはおばあちゃんだった。おばあちゃんの作る「からあげ」はいつも手羽元を使ったものだった。手羽元じゃない、本物のからあげを知ったとき、「からあげってこんなに食べやすいものだったのか。みんなが好きな訳だ!」と驚いた。

おばあちゃんは今年始めに怪我で入院してから、半ばぼけていた。

訃報を聴く前の晩、偶然おばあちゃんの夢を見た。どんな内容だったのかは覚えてないけど、十年ほど前の姿のおばあちゃんだった。美容師だったおばあちゃんが、自分の白髪も染められなくなっているのはさぞかし不本意だろうなぁ。なんとか黒染めしてあげることはできないかなぁ、なんて起きた時に思ったことを覚えている。

棺桶の中のおばあちゃんは化粧されていて、前に会った時と変わらなかった。それでも、腹の前で組まれた指や、足の先は土気色をしていて蝋人形のようだった。

悲しいという気持ちはまったくない。

90歳以上まで生きて、孫二人の結婚式に出て、ぼけ始めたところでコロリと死ぬ。死因は老衰。

まさに理想の死に方。

たくさんの人から羨ましいと言われたし、僕もそう思った。

僕にとって印象深いのは、僕が家でニートしてた時のワンシーンだ。

昼過ぎに起きて居間に降りると、おばあちゃんはカウンターテーブルにちょこんと座って、昨日の残りものをチンした昼食を前に、小声でブツブツと祈りを捧げていた。

その姿は、なんとなく神聖なものに感じた。

 

うちは祖父の代からプロテスタントキリスト教の家だ。

僕自身がキリスト教信者かというと、どうだろう。よく答えるのは「多くの人が仏教徒なのと同じくらいキリスト教徒」だ。少なくとも、日常的に神様に祈る習慣はない。

キリスト教だから結婚式はもちろん、葬式も教会で行う。この一週間で4回も礼拝に出ることになった。

牧師の説教を聞いて、賛美歌を歌った。

今の僕は、神に祈ることがない。

でもいつか、僕も神に祈るしかない事ができるだろう。

おばあちゃんは、あの時一体何を祈っていたんだろうか。

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