ニート祭り2019、運について
まだ山奥に戻っていませんが、ようやく安定したネット環境の場所に着きました。
ニート祭り2019お疲れ様でした。
立ち見多くて大変そうでした。年々人が増えてる気がします。
最後の「運」についての話を上手くできなかったので、あの後考えたことを書きます。
ニートはどうしたら幸せに生きていけるか、という問いに対して若新雄純さんが「ニートで成功するのは運がいい奴だ。人生運が7割」と言っていた。
でも、この「運」という言葉が使われるとき、二種類の意味がある。
僕らが人生において運という言葉を使うとき、それは多くの場合「縁」のことを言っている。若新さんが笑顔と清潔さで引き寄せられると言っていたのはこっちのほうだ。
最近になってようやくわかってきたけど、人間ってのは気づかないうちに他の人のお世話になってるらしい。
冷蔵庫にプリンがあったらラッキー!と思うけど、それは僕のためにプリンを残して置こうと思った人がいるからだ。乱数によって分子構造がプリンの形態を偶然取ったからそこにあるわけじゃない。僕のことを考えてくれる人がいたという「縁」があったから、プリンがあるのだ。身だしなみを整えるのが苦手な僕にとっては耳の痛い話ではあるけど、きっといつも笑顔で清潔そうな格好をしていれば、「縁」は強化されていく。
だけど運ってそれだけじゃない。
笑顔で清潔な人と、怒ってて不潔な人がサイコロを交互に振って、どちらかの出目が常にいいなんてありえない。この世界には「縁」じゃない純粋な「運」がある。生まれながらの障害だったり、雷が落ちて感電したり、どうやったって自己責任にできないことがある。
僕はTRPGやボードゲームが好きだ。ゲームをしていると、どうしたって「運」と向き合うことがある。性格がいいやつが勝つわけじゃなく、絶対に負けたくない非道な奴にも、「運」で負ける。低い確率の不利益が連続して起こると、プレイが雑になって、悪態の一つもつきたくなる。
ポーカーには「ティルト」という言葉がある。「プレイヤーが感情にかられて合理的な行動ができなくなった状態」という意味だそうだ。僕はポーカーをやらないけど、その気持ちはよくわかる。また1ゾロかよ! また土地かよ! 嫌になってくる。
プロのポーカープレイヤーはティルトをどうやって回避してるんだろう。ある人はこう言う。「ポーカーが単なるゲームだってことを思い出すんだ。ゲームを楽しめなくなっていたら、もうプレイする必要はない」。
僕は運のいいニートだ。「縁」のいいニートだったと言ってもいい。
だけど、本当の「運」はまだ試されてない。これはコントロールできない。
「運」が悪いとき、せめてティルトに陥らないようにしないといけない。
僕はニートで人生経験が少ないから、自信がない。
だから僕は、小さな楽しみや可笑しさを見つけるんだ。
人生がゲームで、楽しいものだと常に思えるように。