山奥ニートの日記

ニートを集めて山奥に住んでます。

ふつーに考えて

「普通」なんて存在しない。

っていうのはごくごくありふれた意見であり、夢のある話であり、またそう考える人も多いと思う。

けど、そこで思考停止しているのかもしれない。

例えば、の話。

ばなしくんとやっしーくんがいます。

ばなしくんは待ち合わせに3回連続で1時間遅れてきました。

4回目の遅刻の時、我慢出来ずにやっしーくんは黙って先に帰ってしまいました。

そういうわけで喧嘩になったとする。

その時やっしーくんは「4回連続で遅刻するなんて(普通では)考えられない」と思うわけで、

ばなしくんは「幾らこっちが悪いと言っても黙って帰ることは(普通では)ないんじゃないか」と思ってるわけです。

あ、一応言っておくと、「私は4回遅刻したぐらいじゃ怒らない」とかそういう問題じゃあないんです。そう思うのなら例を自分的に許せないものに置き換えてください。

じゃあ、「普通」とはなんだろうか。

上の例の括弧の中の「普通では」をもっと詳しく言うと「多数の人に同情してもらえること」ってことなんじゃないだろうか。

上の例のように人に不満を抱いたり、誰かを非難する時には意識せずに「普通」という概念が絡んでくるのだ。

「他の人も味方してくれるだろう」といういう自信があるから「自分は正しい」とふてぶてしく言える。

ここで勘違いしてもらっちゃあ困るんだけど、「自分は正しい」と言うことが間違ってると言いたいわけじゃない。

むしろそれは格好いいことだ。

でもそこに意識してなくても「普通は」という言い訳があるのは少々見苦しい。

んーで、なんかめんどくなってきたから終わるけど、つまり、

相手を責めたり、逆に責められたりしたときに「普通は」だとか「常識で」だとか言う言葉を言い訳にするのをやめようと、思った。

そういう話でした。