山奥ニートの日記

ニートを集めて山奥に住んでます。

『ソーシャル・ネットワーク』の感想をとりあえず

すごく面白かった。

感想を書こうとしたけどまとまらない。

他の人のを見ても、賛否両論。

誰が見ても面白いって言う人もいれば、どこが面白いのか誰か説明してくれって言う人もいる。

この映画には3つのテーマがあるように見えるます。

でも本質はもっと深いところにありそうだ。

ここから先、あらすじのようなこと書いてますけど、全然正しくないです。単純にしてます。

この映画、オープニングから主人公:マーク・ザッカーバーグがコミュ障でモテないことを見せられる。

そこで多くのオタクはザッカーバーグに共感する。

早口でまくしたてて、相手の話は一切聞かない。

当然のごとく女の子は怒って帰ってしまう。

それに怒ったザッカーバーグは、酔ったまま女の子の顔写真を比べて評価するサイトを作る。

少し前の「ドブスを守る会」を思い出す。

もちろん叩かれてサイトはすぐに閉鎖。

そして名誉挽回とばかりにみんなの出会いの場所となるSNSを立ち上げる。

これがのちのFacebookである。

あらすじはそんな感じなんだけど、それだけでは終わらない。

これで終わるんなら、単なる非リア充の成り上がりの話。

こっから先は流石にネタバレかな。

Facebookをつくりはじめたザッカーバーグだったけど、出会いの場所をネット上に作る、というアイデア(厳密に言うと、エリート同士の出会いの場所)は他の人(マッチョな兄弟)のパクリだったのだ。

Facebookが大きくなって価値が出てきたせいで「それは元々俺たちのアイデアだだ」ってマッチョ兄弟に裁判を起こされる。

ザッカーバーグ:「じゃあお前らだけでFacebook作ってみろよ」

マッチョ兄弟:「ぐぬぬ・・・」

ここで映画は非リア充の成り上がりの青春ストーリーから、ビジネスにおける教訓がテーマになる。

イデア持ってるだけじゃダメなんだ。

実際に行動しないと何の意味もない。

マッチョな兄弟は親に頼り切りの坊ちゃんだったので、技術もなければ勇気もなかった。

Facebookはさらに大きくなっていく。

しかしFacebookザッカーバーグひとりで作ったものではない。

天才といえども、お金は必要。

それを工面してくれたただひとりの親友がいた。

しかしこの親友、あまり使えない。

ハーバード大だから、彼もエリートのはずなんだけどザッカーバーグの天才っぷりと比べたら凡人だ。

Facebookが流行ると見込んだ悪い大人たちが寄ってきて、アドバイスし始める。

あの親友は邪魔だから役員から外そう、と。

そしてザッカーバーグはその親友を裏切る。

そのおかげかFacebookは大成功。

ザッカーバーグは世界最年少の億万長者に。

しかし、親友を失ったザッカーバーグはひとりでパソコンの画面を見つめるのだった。

という、友達を作るサイトを作ったのに、友達がいなくなったという皮肉な話にも見える。

ぼくはといえば、この親友エドゥアルドに感情移入しちゃってもう。

ホント、今のぼくでは彼みたいになってしまうよ。

何もできないくせに、無能なのに天才と肩を並べようとしちゃって。

エドゥアルドも、マッチョ兄弟も、ナップスター野郎も、結局ザッカーバーグから甘い汁を吸うために寄ってきたように見えました。

他の人の作ったもので儲けようと思っても、そんなのはちょっとしたことで一瞬で消えてしまう。

才能があろうがなかろうが、自分自身で何かをやらないといけないな、というのが感想です。

映画としての技巧も素晴らしくて、最初の10秒でザッカーバーグに共感させて、マッチョ兄弟を敵にすることでさらにそれを強めて、ナップスター野郎の登場から「あれ?」って思わせて、何を考えているかわからない感じに。そして最後にあのシーン。

ザッカーバーグは何も変わってないのに、ザッカーバーグに対する感情は揺れ動く。

惚れ惚れするぐらいに上手い脚本。

キャラクターもみんな、悪い面もあれば良い面もあって憎めない。

誰が悪いわけでもない。けど良い話じゃない。

そりゃFacebook公式にはならんて。

でもあえてそんな映画作ったのも凄い。

というわけで80点。やっしーとだっちくんは1年以内に見て、感想文を書け。