山奥ニートの日記

ニートを集めて山奥に住んでます。

大人になることは、どうでもよくなること

僕は大人になることとは、「どうでもよくなること」だと思ってる。

子どもの頃はセーターのチクチクが我慢できなかった。嫌いなピーマンを口の中でじっくり味わってやっぱり苦いと吐き出した。絶対にジュウレンジャーじゃなきゃダメで、親が間違えて買ってきたダイレンジャーでは満足できなかった。

そうやってこだわっていた事は、大人になるにつれてだんだんどうでもよくなっていく。

成長すると食べ物の好き嫌いが少なくなるのは、舌の細胞が劣化するからという説があるらしい。それが本当かわからないけど、老いていくにつれて感覚は鈍くなって、我慢できることが多くなる。

熱すぎる銭湯の湯船に、爺さんは肌を真っ赤にして浸かっている。

 

それはみずみずしい感受性を失うことでもある。

高校生の時は好きな女の人ができたら、相手が自分の事好きなのかどうか気になって夜も眠れなかった。現在は女性に縁遠い生活だから確かめられないけど、たぶん今誰かを好きになってもそこまでじゃないだろう。

28歳からすると、くだらないことで悩む青春もそう悪くないものだったと思うけど、18歳の僕からしたら冗談じゃない!と思うだろうな。38歳から見たら、今の僕の日々は羨ましいだろうか。

 

「どうでもよくなる」ことの弊害として、男ならオヤジ化、女ならオバサン化が挙げられる。他人の目を気にしなくなって、人前で痰を吐いたり、屁をこいたりするようになる。

みっともないなと思うけど、ああなると生きやすいとも思う。40超えたら生きやすくなる、というのは何度も聞いた

 

何をもって人生の勝ち組負け組と言うのかはわからないけど、人生のゴールは死ぬことしかない。

人間は全員死ぬ。

僕はこのままだんだん感覚が衰えていって、どんどん「どうでもいいこと」が増えていって、死ぬ間際に「あーもう生きようが死のうがどっちもでいいなー」と思えたら、それが最高の死に方だと思ってる。

「どうでもよくなる」ことは死への準備だ。

だから鬱病は死ぬ。あれは強制的に「どうでもよくなる」病気だ。病気じゃない、健全な「どうでもよくなる」ことこそが成長だ。

人によってはその過程で、本当に大切なものとやらを見つけるのかもしれない。それが見つけられたら良い人生だとも言い切れないけど。

僕は今こんな生活をしているから、いつ死んでもおかしくない。

来るべき日のためにできるだけ早く「どうでもよい」ことを増やして、死に備えなくてはならない。

 

 

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そしてこれが、部屋が「どうでもよくなった」状態です。