山奥ニートの日記

ニートを集めて山奥に住んでます。

家庭の修整

子(3才2ヶ月)の夜ごはんの準備ができて、子をテーブルに来るように呼ぶと珍しくすんなり座った。
しかし、自分の前に置かれたスプーンをひと目見て、表情が変わる。
「フォークがいいっ! とうとフォーク!!!」
顔を真っ赤にして、涙を流す。その様子が必死すぎて、思わず笑ってしまう。こんなことで泣けるのか。どんな情緒だよ。
フォークを取りに行く。
その間に、子がスプーンを投げた。スプーンは冷蔵庫と壁の隙間に入った。
「おいおいおい、ちょっと待て。投げることないだろう。普通に『フォーク取って』と言うだけで僕は取りに行くのに」
「フォークッ!!!」
「落ちたスプーン、自分で取って。そうしたらフォークを出す」
「フォーク~うええええええ!」
涙がポロポロ頬から落ちる。
「僕はきみのことを一人の人間として見ている。僕は相手がどんな人であろうと、食卓の上のものを投げる人の手伝いはしない」
「フォークッ!!! 取ってっ!!!」
「いいや。きみが投げたスプーンを拾うまで、僕は絶対にきみの言う通りには動かない」
「うえええええん!!!」
「僕は自分のごはんを食べる。きみは好きにしたらいい」
僕が自分の飯を半分食べ終わった頃、妻が仕事から帰ってきた。
「どうしたのー」と子に聞く。
僕にアイコンタクトする妻。僕は大した問題じゃないから子に聞いてくれ、と目で答える。
「しゃべ、しゃべれないっ」
わかるなー。僕も子供の頃、感情が高ぶって喋れなくなってもどかしい思いをよくしたなぁ。子育てしていると、記憶の奥底にあった古い扉がいくつも開く。
「子がフォークがいいと言って、用意したスプーンを投げた」
「子~、とうとは子にちゃんとコミュニケーション取れる人になってほしいと思うからこう言ってるんだよ」
「いいや違う。教育的に叱っているんじゃなく今の僕は単純に、子の態度に怒っている」
「だってさ。とうと怒ったら、いなくなっちゃうかもよ。かあかと一緒にスプーン拾おう?」
「いいいいやあああああ! とうと、ここに居てッッ!!」
「居るのはいいけど、きみがスプーン拾うまできみの手伝いはしない」
「いやああああああ!!!」
妻が追い打ちし、子に謝らせる。
「ほら、とうとにごめんなさいって言って?」
「ごめっ、ごめっ、ごめんなさい~」
「わかった。スプーンね」

いやー、違うんだよなー。
なんかちょっと子育てがズレてきちゃってる。
誰だって、子供が生まれる前は最高の親だ。
家族のことって究極的には構成員が納得しているなら何だって許されるわけだけど、規範から外れていても気づくことが難しい。だからだんだんズレていってしまって、笑える範囲で言うと『あたしンち』のタチバナ家の母みたいになるのだろうし、深刻な例なら‥‥まああえて出さなくても各々毒親が思い浮かぶでしょ。
たまに陽の当たる所に出して、修整していかなくちゃいけない。
家にお客さんを招くのもいい手だが、今回はテキストに起こしてみた。
あらためて分析する。
今回の落とし所として、妻が子に謝らせたが、無理矢理謝らせるのはおかしい。納得してないのに形だけ謝らせるのは、嘘をつくのが良いことだと教えているのと一緒だ。
まず根本的な原因は、最初に子がフォークを主張したときに僕が半笑いで対応したことなんだろうな。
どう見てもその料理ならスプーンのほうが食べやすいだろ、と思ってもバカにした態度に出すのは子に対する礼を失していた。
次に、親と子供はチームだという視点が欠けていた。子がスプーンを投げたことを僕が糾弾するのではなく、床に落ちたスプーンをどうするか、という課題を2人で考えるという構図にするべきだ。
「スプーンがここに落ちたけど、これどうしたらいい? 僕が拾うのは嫌だよ」
「そうか、きみが拾うのも嫌なんだ。ならどうする?」
「2人とも拾いたくないから、別の方法を考えよう。2人で同時に拾ってみる? もうひとつスプーンを落として、平等に1個ずつ拾う?」
とかそういう感じ。
そういえば今回は「タイムアウト」しなかったな。いったん別の部屋に連れて行って、そこで話したり「考えをまとめておいて」ということもある。3才ということもあり、この方法は今のところあまり手応えを感じていない。しかし教育の常套手段であるからして、正しく運用すれば、冷静になって話し合えるはずだ。
それこそ、子供の頃に僕が泣いて喋れないとき「泣き止むまでいったんほっといてくれ。僕のみっともない姿を見ないで」とよく思っていた。
子は妻に対してはこういう態度はしない。不条理な要求をするのは僕にだけだ。
妻は「片付けしないとおもちゃ全部捨てるから」のような脅迫的な言い方を容赦なくする。(余談1)
でも僕は、まぁ大人の邪魔にならない程度ならおもちゃが出しっぱなしでもいいんじゃない、と思っている。
妻に言わせると「子はとうとに甘えすぎ」となる。僕は小さいうちはジャブジャブに愛情注げばいいと思っているけど、子の言いなりになるつもりはない。子に異論を唱えることもある。
僕が子に怒るのは2つのことだけ。
ひとつは僕の行動に子が指図したとき。僕にはソファで本を読む権利があって、子が一緒に遊んでほしいと言ってもそれを僕に強制する権限はない。
ふたつめは‥‥テーブルの上のものをわざと落としたとき。
だから、わざと僕を怒らせようとしてるんだよなー。今回に限らず、食べ物を「要らない」と言って床に落として笑ったり、僕が本を読もうとするとギャン泣きしたり。子と妻が2人で居るときに、妻が「後でとうとが怒るよ」と言ったら、子が「子ねぇ、怒られたいの」と言ったこともあるらしい。
この問題、どうしたらいいんですかねぇ。
子供って乾いたスポンジだ。どんだけでも愛情を吸い取る。
子は身長も体重も平均、発達段階も平均ど真ん中。2才になったらしっかりイヤイヤ期になった。順調に「なんで?」攻撃も始まっている。これも発達段階では避けられないものなのかなぁ。
そして順当に、中学生になったら話してくれなくなるんだろうな。
いやだー。

 

(余談1)オモコロの『普段は話さない「子育て」について語ろう!パパ座談会(https://omocoro.jp/bros/kiji/524552/7)』という記事で、かまどさんが「パパは強制力を行使することに抵抗がないんだよ」というパンチラインを放っていたが、妻はまさにそういうタイプ。僕は、脅迫で子供を動かしてしまうと、子供が脅迫で大人を動かそうとしたとき(おもちゃを買うまでここから動かないぞ! ほら周りも困るだろう!)にそれをダメだと言う正当性がなくなると考えている。しかし脅迫以外の方法にはユーモアが必要で、僕も含めた多くの日本人同様妻もまたユーモアの練習をしてきていない。何事もいきなり完璧にはできない、妻が良い手が浮かばないときに脅迫してしまうのもしょうがないとも思う。僕もまた、ユーモアが不足している。幸いなことに、練習の機会は毎日ある。

「◯◯食べる?」と聞くと100%「イヤッ」と言うので、メニュー表を作った。文字が読めない人に情報を伝えるのは大変だ。