すごくがんばってる人が社会に必要で、それがメインストリームではあるけど、そこからドロップアウトして繋がりが一旦切れてしまった人間でも、『居場所』はあっていい。
30年後の自分を正確に予想してる人なんてそうそういないし、本当にわかってるとしたらそれは面白くない計画だ。
明日うまい飯を食えるほうが大事だし、ゲームを作ったり漫画を描いたりして、みんなで寄りあって、誰も苦しまないで済むように、やっていけたら。
嫌なこととか、嫌いな人と付き合うとか、そういうことはできるだけしないように。
社会で何がちゃんとしてる生き方だとされてるとか、どうするべきかとか、あんまりそういうのを守っても意味がない。
守ったからといって社会が助けてくれるかといったら、そうでもないし、そんなのより自分の目に見える範囲で周りにいる人とご飯を食べるとか、自分の寝る場所を確保するとか、そういう最低限のことを大切にしていれば幸せになれるんじゃないか。
普通の学校にいったり、普通の会社にいったりしてレールの上を歩いている間は、他に道があるってことに気付けない。
NHKラジオ『引きこもっちゃダメですか?』でのphaさんの意見。
実家からこっちにもどってきて、何が心残りかって、新聞が読めなくなることだ。
中日新聞が年明けから、今までの価値観の軸をずらさないといけない、っていうのコラムをやっていてそれがすごくぼくの好きな話だった。
明治時代、日本には3つの道があった。
福沢諭吉の唱えた、富国強兵。
内村鑑三は、欧米はちゃんとした精神土台があるから競争社会がうまくいっているだけで、日本には向いてないと言った(らしい)。
柳田国男は、農民こそ大事だと言って、小さな村社会で助けあって生きていくのが良いと言った。
それ読んで、すごく面白いと思った。
『学問のすゝめ』の「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」なんてそんなわけがないってネタにされるけど、ホントそうだよ。努力すれば平等にチャンスがあるって意味だよって言い返してくるんだろうけど、努力ができる人とできない人がいるんだ。
競争に精神すり減らしたりしないで、ちいさくまとまって助け合って生きていく時代が来るといいなぁ。
「金は命より重い」わけないだろー。