山奥ニートの日記

ニートを集めて山奥に住んでます。

山奥ニート、義実家でニートする

2022年8月から2023年4月まで、和歌山県の山奥を離れて、青森県にいました。

妻の里帰り出産に付き添って、義実家に居候していた形です。

里帰り出産は、妻だけが帰省して、夫は仕事を続けるのがふつうだということは知ってます。

でも夫が無職の場合は、どうするのがふつうなんだ?

山奥に僕がいなければならない理由は特にない。

医療の進歩によって出産の安全さは上がったが、それでも母体が死ぬ可能性はあるわけで。

妻が死ぬかもしれないし、死ななくても死ぬほど痛い思いをするのは確定している。

いつもと変わらずのほほんと山奥でニートしているのはちょっと薄情なので、腹の大きい妻の介助のために僕も義実家に行くことにした。

僕の住む山奥(和歌山)から妻の実家の青森までは、飛行機に乗らなくてはならない。

臨月になったとき、飛行機の中で放射線を浴びるとあまりよくないらしいので、予定日のニヶ月前に青森に行くことにした。

帰りは生まれた子供が飛行機に乗れるくらい頑丈になる、生後半年くらいと予定。

そういうわけで、青森のお義父さんお義母さんの家で、8ヶ月過ごすことになった。

うーん、大丈夫だろうか。

いや、一流のニートを僕は目指している。

一流のニートは、他人の実家であっても上手くニートできなければならない。

これまで僕が培ったすべてのニート力を発揮するぞ!

と意気込んで、義実家へ。

   ***

妻は盆と正月のたび、できるかぎり実家に帰っていて、僕も他に予定がなければ同伴して何度かお義父さんお義母さんに会っている。

子供が生まれてからは子育てにてんやわんやになるだろうが、生まれるまではあとニヶ月ある。

その間に、ニートの僕にしかできないことをやらなければ。

お義父さんお義母さんは、共に仕事が大変忙しい。

そのせいなんだろうか。僕は義実家を訪ねるたびに、この場所は時間が止まったようだと感じていた。

妻とその弟が、小学校の図工で描いただろう絵、作文コンクールの賞状、ディズニーランドの入場券などがリビングや寝室に飾ってあって変色している。

大小さまざまな家族写真がリビングには置いてあるが、そのどれもが妻が小学校に入る前のものだった。きっと、そのあたりからお義母さんの仕事が忙しくなったんだろうな。

金色の立派な置き時計が分厚いホコリを被っていたのは、象徴として出来過ぎていた。

リビングの端や廊下には、お義父さんが仕事場から持って帰ってきた書類が何層にも積み重なっていて、壁が見えないほどであった。

おまけに、お義父さんは仕事をしながらお酒を飲んでそのままリビングで寝てしまうことも多かった。

それをお義母さんがお義父さんに怒る。

お義父さんはその瞬間は従うが、書類を片付けようとはしない。

この一連のやりとりが、儀式のように毎日毎日繰り返されている。

僕と妻が長期滞在するこの機会を逃したら、その繰り返しは更に10年20年続いていくように思われた。

   ***

さあ片付けるぞと意気込んだものの、妻が一緒にやるとはいえ、いきなりやってきた僕があれこれ手を出すのはなまいきだ。まずは信頼を作らなくては。

まずはニ階にある、妻が子供の頃使っていた部屋を片付けることにする。

この頃、妻は妊娠9ヶ月で、大きなお腹ではニ階に上がるのも大変だったので、僕が中心となって片付けることになる。

妻の物はあまり多くなかったが、ここ数年、この部屋は義弟の趣味の倉庫のように使われている。具体的に言うと鉄道模型ジオラマのための発泡スチロールや木材が置いてあった。義弟に連絡を取ると「捨てちゃ駄目」とのことなので、車庫に運ぶ。

僕が大学生になったとき、自分の部屋はほとんどそのままにして、実家を出た。盆や正月に実家に帰ると、母から片付けてほしいと言われたが、地元の友達と遊ぶほうを優先して何年も放置していた。実家の自室はいい倉庫だったのだ。

そのうち、僕の部屋はいつの間にか片付けられていた。あれ、いろいろ捨てられちゃった!?、と一瞬疑ったが、僕の漫画やCD、ミニ四駆や古いポケモンカードなどは一つ残らず綺麗にダンボールの中にしまわれていた。

高校生の頃だったら「ババア俺のものに触るんじゃねえ!」と憤ったかもしれないが、そのときは還暦を過ぎた母が一人で僕のおもちゃを片付けているのを想像して、胸が傷んだ。

時が経って今僕は、部屋を片付けずに家を出ていった義弟の鉄道模型ダンボールにしまっている。お義母さんからは「あらたさんがそんなことしなくていいのに」と言われたが、これは平行世界の僕の部屋を片付けているのだ。因果からは逃れられない。

さて、妙な感傷に浸りながらも、元・妻の部屋=義弟のおもちゃ倉庫が片付いた。

義弟とお義母さんの関係はちょっと今微妙なようで、お義母さんはこの部屋に手出ししづらかった感じがある。それを片付けたことで、できるニート、という一定の評価が得られただろう。

第二段階に入る。

   ***

仕事から帰ってきたお義父さんを、物を一つもなくして、ピカピカに掃除した元・妻の部屋に案内したら、驚いていた。

そして「ここをお義父さん専用の部屋にしませんか」と提案。

お義父さんは「夫婦で一緒に寝られないのは寂しいなぁ」と冗談を言ったが、嬉しそうに思えた。自室ができると聞いて、悪い気がする人はいない。

お義父さんの布団とローデスクを部屋に運び込む。

空っぽにした本棚に、お義父さんの仕事に関係する雑誌をきれいに並べる。

なかなか良い部屋に見えるようになり、お義父さんも喜んでくれた。

お義父さんが自室を持つようになって一週間くらい経った。

「赤ちゃん生まれるとき、ちょっと今のリビングだと物多すぎるんで、リビングにあるお義父さんの書類を部屋に運びますね」とさりげなく言う。

お義父さんは無限に仕事の書類を持って帰ってくる。

しかしその癖を変えるのは無理だろう、というのが僕と妻が出した結論だった。

問題は、書類を家のリビングや廊下に置くことなのだ。

お義父さんがお義父さんの部屋に物を増やすかぎりは、なんの問題もない。

その書類を捨てなければならないだろうが、僕にこれを捨てる権限はない。お義父さんは「そのうち片付ける」と言うが、妻によると20年はそのままらしい。

リビングや廊下に山となっていた書類を、すべてお義父さんの部屋に運び込む。

部屋いっぱいになるかと思ったけど、書類をダンボールに入れてちゃんと積んだら、仕事するスペースと布団を敷くスペースは残った。

お義母さんには、これからお義父さんが書類をリビングや廊下に置いたら、お義父さんの部屋に運んでください、とお願いする。

なかなか人の癖は治らないから、ニ階のお義父さん部屋に持っていくのではなく、再びリビングや廊下に書類が置かれることが予想される。

お義母さんもお義父さんと同じくらい仕事が忙しいので、リビングや廊下のお義父さんの書類に対して「なんで私が片付けないといけないんだ」という風に思っている様子だ。でも運ぶ場所が決まっていて、運ぶ許可も取らなくていいなら、やってくれるハードルは低いのではないかと予想した。

しかし、僕の失礼な予想に反して、お義父さん専用部屋を作って以降、お義父さんは仕事場から書類を持ち帰ることはあっても、それをきちんと自室まで運ぶようになった。

お義母さんの逆鱗の触れることも少なくなり、家を片付けることで、片付く以上の意味があったなと妻と何度も称え合った。

この文章を書いているのは、この義実家の里帰り出産を終えた後だ。

とりあえず僕がいた間は、この大改造以降僕が特別なにかする必要もなく、この片付けた結果が維持されていたとここに書いておこう。

   ***

最後に、リビングに貼ってあった妻や義弟の賞状や絵画を剥がさせてもらった。

色褪せ、黄ばんでいたことを理由にしたが、本当のところは、妻や義弟の過去の姿が残留思念のようにこの家にとどまっているように思えたのだ。

今の妻だって子供の頃とは違う方向でかわいいし、義弟は同棲始めて立派に自立してる。そういう「今」を見てほしくて、写真立てに入っていた写真を、何枚かここ数年の間に撮られたものと入れ替えた。さりげなく僕も写っている家族写真も一枚入れた。

僕の子供――お義父さんとお義母さんにとっては初孫が生まれたら、そのときまた写真を更新してほしいと思う。

この義実家改造計画は、すごく差し出がましいことであると自覚している。

でも僕の若さゆえのでしゃばり、ということで大目に見てもらって、その結果何か少しでもいい方向に行ったらいいなぁと思ってやったことだ。そのうち笑い話になるだろう。

まぁこれが、義実家にいる間タダメシを食べさせてもらったニートの僕なりの恩返しなのです。

次に帰省したとき、元に戻ってないといいなぁ……。

 

2500人のDiscord運営して思ったこと

 

遁世Discordってのを運営してます。

「遁世」っていうのは、世間を逃れることで、まぁ深い意味はないです。

DiscordというのはSNSの一種で、ひとつの「サーバー」にみんなが集まってチャットや通話をしてます。

「サーバー」の中には更に細かく「チャンネル」があって、我が遁世Discordサーバーでは「気になるニュース」とか「今日知ったこと」とか「質問・悩み相談」とかがあって、そこにみんなが書き込む感じです。

作ったのが2020年10月だから、もう2年近くやってる。

参加人数は2500人を超えた。大規模サーバーと言っていい人数だ。

作った理由と実際のところはこんな感じ。

 

1.「山奥ニート系」シェアハウス立ち上げ支援

Twitterでちょこちょこ「山奥ニートやってみたい」という声を聞くけど、ただつぶやいているだけでは現実性がない。でもそういう人が集まればもっと具体的な話になっていく。物件の確保の仕方、家賃の設定などのノウハウを共有できる。

→ 遁世Discordに参加しているシェアハウスは現在28件。すごい。ただ、運営や立ち上げの相談みたいなのはあまりない。というのも、シェアハウスの主催者同士で仲が悪いことが結構ある。僕はコミュ力というのは絶対的な数字ではなく、パズルのピースをいくつもっているか、というものだと思っている。持っているピースが少ない人は、主催者になるといい。そうしたら手持ちのピースにハマる人が来るから。だからいわゆるコミュ力のピースが少ない人がシェアハウス主催者になるのは良いことだと思う。でも主催者同士の会話になると、ディスコミュニケーションが発生することがしばしば・・・。まぁ、それも含めて住みたい人はどの主催者がいるシェアハウスを選べるので良いことだと思う。

 

2.共生舎に人来すぎ

空き部屋がない時も共生舎に「行くところないんです。住ませてください」って連絡がしょっちゅう来る。心苦しいが断るしかない。でもこのDiscordの存在によって、他のシェアハウスを紹介できるようになるはず。

→ 共生舎で断った人が、他のシェアハウスに住むという流れはよくあることになった。シェアハウス同士でも、このシェアハウス合わないなと思った人が、すぐに別のシェアハウスを見つけて引っ越すことができている。

 

3.コミュニティの連携

山奥ニート的なことをしてる人って、実は全国にたくさんいる。でも各地に散らばってるから、ほとんど交流がない。そういうコミュニティにいる人って社会のいざこざが嫌だからやってるところあるから。

この日本に自分と近い考えの人がたくさんいるのに、その存在すら把握できないのはなんだか悲しい。このDiscordに入ることによって、他のコミュニティの状況を把握できて、それを真似したり自分と比較することができる。文化って人が集まっていないとできないけど、インターネット上で擬似的に集まることで文化が熟成されたら素敵だ。それがヒッピーのようなムーブメントに成長するかも。

→ それぞれのシェアハウスの「チャンネル」で、みんなすごく真面目に活動報告を上げている。見てて楽しいし、山奥に住んでいる僕ですらうらやましいと思うようなことがある。海はいいなぁ。Discordに入ってないコミュニティに行った報告が上がるのもとても良い。ただ、文化になるにはほど遠い。それには遊び成分が足りない。
たとえば「今日知ったこと」ってチャンネル、僕がひきこもりだった頃にあったら、1日ネットの海で泳いで見つけたものを教えたくてしょうがなかったと思うし、みんなの知識が集まったら辞典みたいになって面白いと思うんだけど、ほぼ僕しか書き込んでない。みんなだらだらネットしないんだなって思う。一番盛り上がってるのはだいたい投資の話。寂しい。

 

4.炎上怖い

僕のTwitterのフォロワーが1万5千人を超えて、ツイートする前に炎上しないかどうかいちいち気にする必要が出てきた。そういう目で見ると、僕のフォロワーのツイートの中でも「それフォロワー1万人超えてたら炎上してるよ」ってものがいくつもある。かといってオンラインサロンはうさんくさいし、全世界に開け放たれているわけではないけど、それなりに閉じた場所がほしい。(まぁ遁世Discordには誰でもすぐに参加できるんだけど)

→ うーん、Discordの中のほうがかえってうかつな事を言えない雰囲気はあるかも。みんなシェアハウスを運営していたり、住む場所を探していて、真剣だから。うっかりしたこと言うと「それってウチのシェアハウスdisってます?」みたいなのが来る。あと単純に2500人は閉じてない。
鶴見済さんがやってる「不適応者の居場所」のネット上みたいになったらいいなと思ってたんだけど、みんなが安心して発言できるという雰囲気ではないなぁ。まぁ真剣に住む場所探してる人には良いことなんだけど。

 

あとはまぁ、

・グループ通話で「死にたい」と話す十代の子に対して大人があれこれアドバイス

・漫画描きながら作業通話する人

・沖縄オフで、原付借りてツーリングを映像付きで中継

・「遁世キャラバン」と題し、車に乗り合わせて各地のシェアハウスを巡る旅を敢行。途中で降りたり、新しい人が乗ったり。

・「遁世サミット」と題し、今年1月に名古屋に各シェアハウスの主催者が集まるイベントをやった。それぞれのシェアハウスの紹介したり、ボードゲームしたり。

・山奥ニートがやってるサーバーに入っておきながら、ニートを馬鹿にする人をBAN

・その他、いろんな人との対話、対話、対話・・・

 

無料で誰でも参加可能なのでよかったら覗いてみてくださいな。

僕はもっと暇なニートが来るといいと思ってます。

discord.gg

 

 

 

 

 

2021年の山奥ニート

ざっと報告。

2021

1月 NHKおはよう日本で放送される。FANBOXで定期収入を得ようとしたけど、全然更新できなかったです…。

2月 ニート祭り2021。今回のゲストは大原扁理さんと武田砂鉄さん。山奥に住んでる僕が凄い人と知り合える貴重な機会です。

3月 みかんサバを送っていただいて、しめ鯖にして食べた。皮剥いたり骨抜いたり面倒だったけど、すごくすごく美味しかった。ウマ娘が流行って、アニメ一気観したり、アプリをみんな一斉に始めて楽しかった。

4月 集落の鳥居が倒れたので、新しい鳥居を再建するのを手伝う。具体的には、材料となる木を運んだ。朝だったので僕は貧血で倒れていた。共生舎養蜂部が発足してがんばってた。僕は蜂怖いのでやりません。

5月 NHKの山奥ニートのドキュメンタリーが放送される。8月にも再放送

6月 この辺から僕が運営してる「遁世Discord」発のシェアハウスの多くが実働しはじめた気がする。この記事書いてる時点で23件登録されてます。選べるのはいいことだ。

7月 何も覚えてないな。大原扁理さんとインドカレー食べに行った。

8月 食欲がなくなったので、ついでに100時間断食した。

9月 名古屋に住んでた妻が、山奥に引っ越してくる。仕事は変わらず、リモートでやってる。

10月 妻のために自室の床を張り替えた。DIYは楽しいけど、人のためにやると感謝を強要してしまうのでよくない。

11月 ももこさん夫妻の子供が産まれる。まだ小さすぎて、手伝うとかできない。

12月 コロナが一旦落ち着いたので、講演依頼が一気に3件くる。同じ資料使い回せたからよかった。

1月 年末は妻もいなくなるし、退屈だから気分を変えようと思って実家に一ヶ月くらいいた。ちょうど名古屋で「遁世サミット」なるDiscordオフ会があって参加した。エデン名古屋で一日バーテンもやった。

 

面白かったコンテンツ

・シン・エヴァンゲリオン(アニメ映画)

・オモウマい店(テレビ番組)

チェンソーマン(漫画)

・ダンダダン(漫画)

アラビアのロレンス(映画)

レ・ミゼラブル(1998年の映画。2012年版は刺さらなかった)

・腰痛は怒りである(本)

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↑ 赤ちゃんを見てると、富士山や虹や台風のときと同じ気持ちになる。偉大なる自然に、人は畏怖するしかない。

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↑ なんか偉い人がたくさんいる所で山奥ニートの暮らしを発表した。

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↑ 山奥ではコロナとか関係なく、地域の人と飲み会してます。

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↑ すべての肉の中で、アナグマが一番美味しいんです。

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↑ 苦手な人、ぎょっとするだろうけど、スズメバチの素揚げ。これが手が止まらなくなるくらい美味しいんです。

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↑ 床の張替え。お金はかかったけど、見違えるくらいきれいになった。

ザ・ノンフィクションに出ます

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2022年2月20日放送の『ザ・ノンフィクション』に出ます。

一年くらいずっと取材を受けていました。うちの住人はもう取材にウンザリしてます。

「山奥ニートの結婚 ~一緒に赤ちゃん育てませんか~」というサブタイトルがついています。

僕は本出してからこの2年間、マジで全然働いてないのでニートと呼ぶ以外ないと思うけど、今回、結婚して子供産まれた住人は普通に働いてるからニートじゃないんだよな…。タイトル詐欺です。

そんな感じで、自分も映像まだ見てないので、だいぶ不安です。

放送されてないのに、想像だけでTwitterで叩かれてるし…。

実際はこの一年、山奥に住んだ8年間の中で一番平和だったと思う。コロナのおかげで、新しい人入ってこないから、気心知れた人しか周りにいない。

でもだんだん空気淀んでくるので、そろそろ開放したいけど、情勢見るにまだ先かな。

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実は僕が『ザ・ノンフィクション』という番組に出るのは初めてじゃなくて、phaさんの回にちょっとだけ出てるんです。もう4年も前らしい。

ナレーションはヨルシカのボーカルだそうです。そこは楽しみ。

 

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別居婚を解消しました

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結婚したのが3年前。

遠距離恋愛で付き合っていた期間も含めると、かなり長い間、妻は名古屋で会社員、僕は和歌山の山奥でニートをしているという、いわゆる別居婚が続いていた。

ちなみにこの「名古屋」というのは、厳密に言うと「名古屋圏」のことです。

別居婚というと、なんだか仲が悪いように思われそうなので、説明が面倒くさいときは「僕が和歌山で単身赴任でニートしている」なんて言うこともある。

僕は山奥の暮らしがとても楽しかったし、妻は自分の専門である仕事に就くことができている。

僕ら2人とって、結婚しても別々に住むというのは当たり前のことでした。結婚自体も、特に結婚への障害がないし、税金とか安くなるんならしとくか、というふんわりしたものだった。

僕は基本的にヒマなので、たまに妻のところに行っては、遅く帰宅する妻のご飯を用意します。洗濯や掃除に手を出すとダメ出しの嵐なので、料理だけ。なので専業主夫とはちょっと言いづらい。妻の家にいる間は、ヒモに毛が生えたような存在だ。

そういうわけで僕は、地方都市である名古屋と、和歌山の山奥の二拠点生活をしていました。

山奥ニート本も、多くの部分を気軽に図書館に行ける名古屋にいる間に書いていたし、元々田舎より都会のほうが好きなので、良い気分転換になる。

都会は歩くだけで、様々な情報が飛び込んでくるし、たくさんの人間の創意工夫に感心する。でもこれは山奥の住人たちの中では異端で、みんなは広告の多さと騒音にうんざりするみたい。

僕にとって、2拠点生活の最も良いところは、移動するたびに自分の生活をリセットできる点だった。

毎回、移動する日が近づくと、身辺整理を始める。

山奥を離れるときには、川で水遊びは十分楽しんだか、BBQはしたか、雨上がりの早朝の雲海に浮かぶ黒い山を見たか。

都会を離れるときには、散歩途中で缶チューハイを買ったか、マックや丸亀製麺には行ったか、妻と十分時間を過ごしたか。

「いつでもできる」と思うと、案外やらないもんです。逆にもうすぐここからいなくなるんだとわかると、なんでもないものも大事に思えるようになる。

そうして、山奥から都会に行くなら、山奥の僕は死に、都会の僕として生まれ変わる。都会を去り山奥へ戻るときは、その逆になる。

交通手段は鈍行電車をよく使う。

高速バスのほうがほんの少し安いけれど、何度か乗り過ごしたことがある。それに、南紀へ向かう電車はいつだって空いていて、車窓から緑を眺めながら、静かに酒を飲むのだ。

乗り物に乗っている間は、そこに座っているだけで「移動している」ことになる。

自分が何もしていなくても、何かしていることになる。

ぼーっとしていても、罪悪感を覚えるスキマがない。

だから旅が好きだ。

けれど、完全に脱力していいわけじゃない。

名古屋から山奥へ帰るときは、脳の一部を覚醒させておかなくちゃ。

14時50分に紀伊田辺駅に着いていなければ、共生舎行きのバスに間に合わなくなる。

これは、朝8時に出発しても、電車1本逃したら自力で帰れなくなることを意味する。

ちょうどよく、うちの住人が町に降りていればピックアップしてもらえるけど、僕は携帯電話を持っていないので、それもなかなか難しい。

電車の遅延は致命傷。そのせいで、駅前のゲストハウスに泊まったことが何度かある。

何年も同じ路線に乗っているから、すっかり新鮮味がなくなってしまった。ワクワクする旅ではなく、ルーチンになる。残るのは疲れだけ。

交通費だって馬鹿にならない。

でもこの2拠点生活で一番嫌だったのは、名残惜しそうに僕を見送る妻の顔を見ることだった。

  ***

そうして「そろそろなんとかしたい」と2人が思い始めた折に、新型コロナがやってきた。

名古屋でも時短営業。外に出るにはマスクが必須。山を降りても知人にすら会えない。

多くの会社がリモートワークを始めた。

ならもう都会の意味ないじゃん。ってことで、妻も最先端の仲間入り。

妻の会社も、リモートワークにOKを出した。

今の会社に籍を置いたまま、今年9月からこの山奥に住むことになった。

僕と妻が出会ったのは、妻がこの近くで猟師の見習いをしていたとき。猟師見習いを辞めたあと、短い間だけど共生舎に住んでいたこともある。

山奥での暮らしは抵抗がないどころか、念願といってもいい。

僕の部屋は他より多少広い場所を使わせてもらっているので、なんとか2人暮らせる。

日中は妻は別の部屋でお仕事。僕はその間、今までどおりの山奥ニート

妻と一緒に、山奥の季節を感じられるのが嬉しい。

新型コロナを利用してやれた。ざまあみろ。やられっぱなしじゃないからな。

妊娠中のももこさんがワクチンが打てないこともあって、しばらく鎖国は続けるだろう。

夫婦が2組いることを他の住人たちはどう思ってるんだろう。

僕と妻にとっては、ももこさん夫妻の子供が生まれることは、将来自分たちが子育てするにあたって、格好のモデルケースだ。なるべく手伝わせてもらって、経験を積みたい。

予定日は12月。

一体これからどうなるんだろう。

今はとっても平和で、おだやかな毎日だ。

でも間もなく別世界からやってくる、カオスの化身を、僕は楽しみにしている。

 

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↑ 地域の人の家で飲む

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↑ おでんが美味しい季節

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↑ アナグマ美味しかった

 

コロナ渦と1億円もらえるボタン

突然ですが、問題です。

Q1.「押すと人類が0.1%の可能性で滅ぶけど、1億円もらえるボタン」があったらどうしますか?

Q2.人類滅亡の確率が10%だった場合と、0.001%だった場合、何か変わりますか?

Q3.そのボタンが無数にあり、多くの人の手に渡っているなら、どうしますか?


TwitterとDiscordで聞いたところ、いろんな意見がありました。

A1.押さない

A2.変わらない

A3.他の人が押そうとしているのを見たら、阻止する

 

A1.非課税なら押す!

A2.変わらない

A3.人類全員に押させないのは無理ゲーだから諦める

 

僕の答えは

A1.うーん、押すかどうかはその時になってみないとわからない。

A2.確率が変わっても結論は変わらないと思う。それよりも、その時自分がどのくらいお金を持っているかで押すか決める。

A3.周りの人に「自分は押すけど、押さない人には千円あげる」と言う。これなら人類滅亡のリスクを減らしつつ、自分は利益を得られる。

 

Q3の答えは「わからない」や「どうしようもない」が多かったです。

この問題で、何が聞きたかったのかというと、新型コロナにまつわるあれこれは突き詰めるとこの問題だと思うからです。

ボタンを押す=感染症を気にせずに活動する

ボタンを押さない=自粛して活動をやめる

ということ。

感染症が車の事故と違うのは、被害が指数関数的に増えていくことです。感染者が感染者を増やす。感染者が増えることで、新たな変異型が生まれて、人類の手に負えないウイルスが誕生してしまうかもしれない。

日本の2020年の死亡者数は例年より減っているのですが、新型コロナを注意し続けなければならないのはその再生産性が理由があります。

自分1人がボタンを押す(会食したり旅行する)だけならほとんどリスクはないですが、みんながボタンを押すと人類が滅亡する確率は現実的なものとなります。

こうした囚人のジレンマじみた状況がこの2年近くのコロナ渦です。

人類の滅亡を願い、ボタンを連打する人が現れるんじゃないか、と予想した人が複数いましたが、現実では意外と少なかったですね。

2020年前半は「俺はコロナだ」おじさんがニュースで報道されることはありましたけど、最近ではまったく聞きません。

日本の今の現状は、ボタンを押す人は叩かれるので、みんなまだ押していない、という感じですね。でもそれもそろそろ限界に近そうです。

 

Q1でボタンを押すべきかどうかって、議論のしようがないと思うんですよ。

だって、明日のご飯も心配なほど貧乏な人は絶対に押すでしょう。養わないといけない家族や社員が多い人だって、押して1億円を分け合いたいはず。

一方で、今の生活に満足している人や、健康な強者は押さない。人類の未来がこれから良くなると思ってる人も押さない。

その人が置かれている立場で、押すかどうかは決まってしまうはずです。

借金で殺されそうになってる人に「押すな」と説得してもまったく意味ない。

このように、新型コロナでどれくらい自粛するかって完全にポジショントークなんですよ。

話は平行線で、それぞれ意見を言ってもただの自己紹介にしかならない。

 

そこでQ2です。

議論の余地があるとしたら、リスクとリターンについてです。実はボタンを押して人類が滅亡する確率が0.1%ではなく10%だったら、あるいは0.001%だったらどうでしょう。

その確率だったら意見を変える、という人をまだ見ていません。

というのも、天秤の片方に乗っているのは全人類の未来だからです。そんな大きなものの重さなんて、どうやったって測れない。数値化できないから、数字同士で比較することもできない。

だから、新型コロナがどれだけ脅威であるのか、あるいはどれだけ脅威でないのかを数字で表しても、それで意見を変える人は少ないんじゃないかと僕は思います。

 

Q3は社会全体の話です。僕が答えた

周りの人に「自分は押すけど、押さない人には千円あげる」と言う。

というのは、新型コロナに置き換えると、休業要請と補償ということになります。

いくらあげるかは難しいですね。今の日本はこれを一部の人にだけやってる感じです。

もっと強行な手段としては「国がお金払ってボタンを買い取る」とか「ボタンを押した人は刑罰」がありますね。ロックダウンとかそういう感じなんじゃないでしょうか。

もっと素晴らしい、みんなが得する妙案があればいいんだけど。

 

さて、Q3の「「押すと人類が0.1%の可能性で滅ぶけど、1億円もらえるボタン」があり、それが多くの人の手に渡っている場合、どうするのが得なのでしょうか。

一番得なのは、自分だけが押して、他の人は押さない状態です。国や大企業は今まさにそうしてオリンピックやってますが、当然大きな反発を受けています。

二番目に得なのが、誰も押さない状態です。これなら自分の命が脅かされることがないですからね。「自分は押さないから、みんなも押さないで」と宣言すると、周りから信頼を得られて更にプラスです。同調圧力を上手く使っていきましょう。

三番目に得なのが、早く自分が押してしまうことです。みんなが押し始めたあとでは、すぐに人類が滅亡してお金が使えないかもしれない。だから押すなら1秒でも早いほうが得です。

押すか迷っている間に他の人が押していった結果、人類が滅んだり、ボタンを押すのが法律で禁止されるのが一番損です。

ましてや「自分は押す」と宣言したり「みんなで押せば怖くない」と仲間を募る弱虫は、まったくもって非合理です。得することがないです。「人類滅亡するなんて嘘だ」と信じない人もいますね。

 

で、僕はどうなんだ。たまに妻に会いに山を降りたり、取材の人が来ることはある。でも、基本的にはひきこもっている。

共生舎として、短期滞在の受け入れは停止している。

でも僕自身は山奥にいるおかげで、コロナ渦にどう向き合うのか、決めないままここまで来ている。僕の目の前には、まだボタンが届いていない。

この2週間、リビングにいるときはなるべくオリンピックを見るようにしていたけど、ついぞ素直に応援する気持ちにはならなかった。やっぱりどこか心に曇りがあって、選手に罪はないと割り切れずにいる。

「山奥ニート」という考え方の中には、少なからずアナーキズムがある。同調圧力なんてクソ喰らえファッキン。オラぁいちぬけた。

その一方で、7年間のここでの暮らしで共同体というものについて考える時間が増えた。所属、公共、市民。そうした概念がなければ、シェアハウスは成り立たない。

 

取材でたまに聞かれる。

「日本人のすべてが山奥ニートになったらどうしますか?」

ずるい質問だと思う。ならば全員がマスコミになった社会はどうなるんだ、と屁理屈を言いたくなる。

僕にはコロナ渦での行動も、山奥ニートも、原発も、自然破壊も、全部同じ問題に思える。

カント曰く「汝の意志の格率が、常に同時に普遍的立法の原理として妥当しうるように行為せよ」(『実践理性批判』)

まぁ要するに「全員がお前と同じ行動をしても、大丈夫な行動をしろ」

厳しすぎないか、カントさんよ。

山奥ニートはそうなっているんだろうか。

新型コロナへの態度はそうなっているんだろうか。

 

「推マ」って知ってますか?

「推しマ」というものを知っていますか。

推しマークの略称だそう。推し絵文字、「ファンマ」とも言う。こっちはファンマークの略。

名前は聞いたことなくても、Twitterでアカウント名や自己紹介の欄に絵文字をつけて、自分があるもののファンだとわかるようにしている人を見たことはあるかもしれない。それです。

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この方の場合は、

救急車=大空スバル

悪魔=百鬼あやめ

おにぎり=猫又おかゆ

彗星=星街すいせい

といった具合に、バーチャルYoutuber7人を推していることがわかります。

この例では1人1文字だけど、かぶらないように1人2文字で表すことが一般的です。

この「推しマ」、文字数が限られるアカウント名や自己紹介欄で最小の文字数で、ファン同士は互いにファンだと気づけて、ファン以外が見てもわからない、という大変合理的な仕組みなのです。

有名人自体がこれ使ってくださいと言うパターンもあるみたいだけど、多くはファンが勝手に決めている。

モチーフがはっきりあるバーチャルYoutuberなら決めやすいけど、アイドルや俳優だとそうもいかず、その有名人が好きな食べ物や知られたエピソード、インスタなどでよく使う絵文字から決まるみたい。

NiziUのマコさんの推しマは、オーディションで「無表情でレモンを食べる」という特技を見せたことからレモン。もうひとつは、好きな食べ物からチョコレートと、天然な雰囲気が似ているからコアラの2派閥がある。

https://moet-678.com/archives/3979

 

この「推しマ」の発祥について調べたんだけど、情報がぜんぜん出てこない。そもそも「推しマ」や「ファンマ」という言葉を意識せずにみんな使っている。おまけに、その当時の名前や自己紹介はログに残らない。

Twitter上では、201745日に「○○たんに推しマつけてもらえてることがもう幸せです」とのツイートを発見。

これ以前の「推しマ」は推しマーケティング、推しってマジ?の略として使われていて膨大な量なので、これ以上は調べません。

どうもSPOONなどの女性配信者が「私の推しマつけてない人はリプ返し、フォロバしません」みたいに表明して、ファンを囲い込むために使っていたっぽい。少なくともTwitter発ではない。

Pixiv百科事典では

個人のファンマだけでなく、ピク婚カップルのファンマやコンビ結成!したコンビのファンマ、ユニットのファンマなどがある。

とあり、VRChatで言う「お砂糖さん」に近い使われ方もされているようだ。

この推しマ、ファンマはインターネットの片隅で行われていた営みだったけど、バーチャルYoutuber界隈に広まったことで一気に流行し、大通りに現れるようになった。

推しマ自体は、おそらく自然発生的に出てきたものだと思う。

僕の妻はポルノグラフィティのファンなんだけど、この話をしたときにポルノクラスタは名前に「」をよくつけているけど、それと同じかな、と言っていた。これは「TRIGGER」というアルバムがあって、それを真似しているそう。

これは原始的な推しマだといえる。絵文字ではなく、ただの記号(角記号)である。

元ネタとなったアルバム「TRIGGER」の発売は2010年。さすがに発売当時から「」が推しマとして使われていたわけではないはずだけど、妻の記憶では2017年より前から使われているとのこと。

これはアイドル文化と、後述のオタク文化を繋ぐミッシングリンクなのではないだろうか。

 

昔のインターネットは、顔文字なんて基本使えなかった。それどころか機種依存文字を使うのはマナー違反という暗黙のルールがあった。

推しマが使われるようになった一番の要因は、スマホの普及に違いない。

しかし、絵文字や記号でなくても、自分の好きなものの影響を受けて名前を変形させる文化はTwitter初期から存在している。

たとえば名前に東方シリーズから⑨、『ささみさん@がんばらない』というアニメが放送されてるときは名前に「@がんばらない」をつけたり、『ダンガンロンパ』から「超高校生級の○○」とか。こういうのは今でもアニメクラスタではよく見かける。「○○上手の☓☓さん」とか。

それの延長線だと考えると、推しマという文化が少し身近に思えてくる。

もっともこれはファンであることを主張し同士を見つけるというよりは、ネタとして消費している面が大きい。

自分たちだけにわかる符丁を決めて交流する、というのは女性オタクの文化っぽいが、そっちの方面にはまったく明るくない。

詳しい人に会ったら、いつごろから推しマ、あるいはその祖先である”推しワード”と呼ぶべき符丁があったのか聞いてみたい。

 

インターネットってつまんなくなったなーと思うことが多いんだけど、それは僕が限られたものしか見ていないせいでそう感じるだけで、僕が知らないインターネットでは新しいものが生まれ続けている。

かつての僕がそうであったように、そこで夢中になって青春している人もいるんだろうな。

僕はもうそこに入っていけないけど。