山奥ニートの日記

ニートを集めて山奥に住んでます。

それって、for誰?

Base Ball Bearの新曲がよかったという話をしたいんだけど、その曲が『「それって、for 誰」part.3』という曲で、part.3ということは当然1と2もあるわけで、そのことを説明した上で、なんでよかったかの話をします。

 

youtu.be

「それって、for 誰」part.1

2015年の曲。言っちゃえば、SNSの曲なんですよ。

大喜利みたいなEveryday 発信したくて仕方ない

答えがいつも先に立って問題がなぁなぁになって

君の言葉も姿も思想もライフスタイルも

それって、for 誰?

矢印は放射状だ

それって、for 誰?

『こういうこと言っちゃってるこの曲こそ for 誰?』

「この曲こそ for 誰?」と問いを自分自身にも向ける。そのうえで最後には

『こういうこと言っちゃってるこの曲』を for you

この曲を「あなたのために」歌って終わる。批判して終わるのではなく、批判した自分の足場まで疑い、それでもなお、誰かに向けて手渡す。熱血と呼びたくなる構造だ。

十年以上が経った今見ても、この批判は古びていない。SNSをめぐる問題が、ほとんど変わっていないからだ。

この前、お店で『ようこそジャパリパークへ』が流れてきて懐かしいなと思ったんだけど、『けものフレンズ』(2017)も殺伐としたSNSと対比した語られていた。SNSはずっと終わってる。

 

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空に種を飛ばそう

もう誰もやってないけど

日陰だっていいんだ 根を張るのさ

そしてpart.2では、SNS批判をした当然の帰結として、競い合いの場から離れ、根を張るようにコツコツ続けてやっていこうという結論に行き着く。

 

そっから10年以上経って、part.3が出るっていうじゃないですか。

こんなコメント出してくれるし。

2026年のSNSをどう切ってくれるのか、ワクワクしながら配信待ってたんですよ。

www.youtube.com

メニュー睨んで頬が膨らむの

食べ切れる? マルゲリータのL

こないだシミ抜きしたばっかりの

パーカーの袖にまたべったり赤いソース

育児ソング!?

Base Ball Bearのファンというわけではないから、小出祐介が結婚してるのか、子供いるのかは知らない。(関根史織は結婚発表してたよね、って離婚してるんか)

でも、明らかに子供のこと歌ってる。

これのどこが「ブチギレ」なんだ!?

どこが「それって、for誰?」なんだ。

 

いやしかし‥‥僕にはわかる! わかるぞ小出祐介!!!

だって、僕がやりたいことと同じだから。

君だけで手一杯なんだ

他人なんて なおさら 他人なんだって

いやほんとねー。僕は4才児育ててるんだけど、他人にかまってる暇がない。人間関係がどんどん狭まってる気がするから将来的によくない気がする。一方で、他人との人間関係に悩むことも減った。正直言えば、子供以外どうでもいいと感じる。内向きで褒められた状態ではないが、事実としてそうなのだ。

君で胸いっぱいなんだ

他人かって言われりゃ他人なんだって

うちの子供は、僕とすごくよく似ている。見た目も似ているし、考え方も似ている。そのせいで、つい自分と重ねてしまう。そのうちに依存したり「僕ならこうする」を押し付けてしまいそうだから、たまにいやいや他人(他者)なんだって思い出さなきゃいけない。

 

で、最近僕が何してるかというと、子供に関する文章を書いている。

これでZINEが作れればなって思ってやってるんです。

でも、子供に関する文章に需要あるのかな、って考えることがある。

山奥ニートだった僕の文章を読んでくれていたのは、孤独な人が多かった。

僕が子育てしてる様子を発信したら、「子持ち=成功の象徴」のように見られて、自分とは関係ないことだと思われてしまわないだろうか。

でも、違うのよ。

自分の子育てについて語ることは、この世の中への何よりも鋭い批判になる。そう思ってる。

どういうことか。

SNSでのバトルって、抽象的な話ばっかしてるじゃん。

たとえば「移民反対」と主張するのだって、「排外主義反対」と主張するのだって、ふわっとした印象で、あるいは統計的な数字で語られる。数字なら建設的な話ができるんじゃないかと思うけど、現実にはそうならない。前提をいくらでも疑うことができるからだ。「実はその統計は間違っていて~」ということが言い出せば、議論は振り出しに戻る。抽象論は反論を無限に生み出せてしまうので、決着しない。

でも、実際に外国籍の地域住民とのトラブルを抱えている人の目の前で「排外主義反対!」とはなかなか言えない。同じ様に、日本に来て苦労してる人の前では「移民反対」とも言いづらい。顔の見える相手がいると、抽象論は口にしづらくなる。

具体的な当事者の話であれば、立場の違いを超えて、共感を持って聞くことができるのではないか。イデオロギーの違いは、具体的な一人の人間の前では、いったん脇に置かれるからだ。

もうなんか、みんながみんなを信用できなくなってるじゃん。

ノーランの『オデュッセイア』で描かれたように、ゼウスの掟は崩れ、みんなが従うべき秩序が失われて、今や文明の危機にある。

こうした状況で必要なのは、より精緻な論理を打ち立てることではなく、そもそもこの世界に愛はあるのかという証明なんじゃないか。

愛があることを証明するのは難しい。しかし今こそ意義がある試みだと思う。

僕はいま子供の世話をしている。我が子といえど、他人は他人。

お世話ってすんごく大変だし、めんどくさい。

でも雑にしたくないと思う。

それは僕が「良い親のフリをしたい」という自己愛かもしれないし、社会的な責任感なのかもしれない。インナーチャイルドを癒すためにしてるのかも。

「それって、for誰?」

自問してみると、やっぱり自分のためだけじゃない。子供のためという動機が何%かはある。人類の未来のためというのも数%あるかもしれない。

そして重要なのは、これが僕だから持っている特別な動機ではなく、人間なら誰もが持っているのではないか、ということ。

もちろん、これに対して、反論はいくらでも思いつく。いや俺の親は愛なんてなかった。サイコパスは存在する。人間は滅びたほうがいい。どれもそれ自体としては成り立ちうる主張だ。

しかし、そう反射的に言う前に、この具体的な親と子供をよく見てくれよ。一般論じゃなくて、いまここにいる僕を見てくれ。一組の親子という具体的な事例は、統計のように前提を疑って崩すことができない。そしてその具体の中にこそ、普遍があるのではないか。

そういうことなんだろ小出祐介。

僕もそう思います。

結論が「人権・平和・民主主義」ではなかったときに

ニートの延長線上に民主化、再分配、脱中央集権、平和があると思っていたけど、それは「人権・平和・民主主義」といった普遍的価値観が正しいという結論から逆算したものだったのではないか、というのを最近考えている。

たとえば「世の中に変な人が増えるのは、変な人であるニートにとっては生きやすくなるから良いことだ。変な人を嫌がるニートは自己否定に行き着くだろJK」と思っていたけど、「変な人が増えることによって、見逃されていた自分の変な生活が脅かされる」と考えることもできるよね。

論理的に考えた結論が「人権・平和・民主主義」ではなかったときに、どういう根拠ならそれはよくないと言えるのか。

これに対して「お前が誰かを攻撃したように、人間みんながみんなを攻撃しあったら誰も安心して暮らせなくなるじゃん、社会契約結ぼうや」って言ってもさ、「人間」の範囲をコントロールすることはできてしまう。 ホッブズだって先住民のことは「人間」だと思ってなかったはずだ。

答えとなる可能性がありそうなのは、僕が「他者の自分性」と呼んでるもので、他者に対して「お前は俺か」と思ったときに人は同情して優しくなれる。その範囲を少しずつ広くしていくことはできるのではないか。マルチバースについて扱う作品が増えてきて、その概念をみんな受け入れてる。並行世界の自分を想像することで他者の自分性をみつける事はできないだろうか。

もうひとつ。単に「倫理的であることは格好いい」と思わせたら、理屈の上で納得してなくても真似をするんじゃないか。「格好いい人が倫理的であった」でもいいけど。

僕はなぜ「人権・平和・民主主義」といったものを大切に思い、差別や戦争はよくないという価値観を持っているのだろう。
親や学校にそう教えられたから?
でも「人は勤労すべきだ」という価値観は拒絶したのに、なんでこっちは受け入れたんだ?

3才の我が子は自分にとてもよく似ている。
最近「好きにやらせろ」とよく主張するようになった。
僕も子供の頃もそうやって、親を困らせた記憶がある。
そして小学生のどこかで「人権・平和・民主主義」を知って、こりゃ自分がやりたいようにやるための論拠として便利な道具だぞと思ったのではないかと推測する。
でも、「好きにやらせろ」と思う強さは人によって違う。他の子供を見てると、全部に反発する天邪鬼もいれば、親の言うことを素直に聞く子もいる。それは生まれ持った性によるものが大きい。「好きにやらせろ」より「安心したい」が強い子だっている。
そうした子は僕より「人権・平和・民主主義」を希求しないかもしれない。
前提が違うのに「論理的に考えて人権・平和・民主主義だろ」みたいに思うのはまったく間違っている。
そして普遍的価値観という西側の欺瞞に気付く人が増えてきた。
「綺麗事言っても、ロシア消耗させるためにウクライナを肉壁にしてるじゃねーか」
それはもうまったく正しいのよな。‥‥しかし。
僕は僕が生まれ持った性が選んだ正しさを、どうやったらそれが善いものだと伝えることができるだろう、というのが問題です。

物欲がない2025年ベストバイ

今週のお題「買ってよかった2025」

 

山奥ニートだったときは、物欲がなかった。

全部カビるから、使えればなんだってよかった。

今も正直、物欲はない。

しかし、山奥の頃より生活に設備投資していこうと思っている。

 

 

購入価格1,646円

磁石で包丁を壁にくっつけるヤツ。

磁力が弱ってきたら落として危なそう、風水的に刃物が常時見えてるのってどうなの?(別に風水を強く信じてるわけではないが、家の物の配置が「しっくり来る」かどうかをまとめたのが風水だと思ってる)

と思って二の足を踏んでいたが、妻に押し切られて買った。

山崎実業(Yamazaki) マグネット &ウォール 包丁ホルダー W25 ホワイト 約W25XD1.7XH4cm タワー 表面シリコーン製 包丁収納 5199

見ての通り、うちは別に包丁が多いわけでもない。

でも付けてみたら、便利です。

包丁入れから出すという一手間が無くなったことで、料理へのハードルが下がった。

落ちたことは一度もない。むしろ今までは包丁を包丁入れまで持っていって、角度を考えて、刃を当てないように気を払って入れていたのに対し、移動する距離が減ったぶん安全だと感じる。

シリコンみたいな柔らかい素材で磁石がコーティングされてるから、雑に当てても大丈夫。

取り付けは壁にテープで貼るだけ。

この値段、この手間で人間の動きが変わることってあまり無いと思う。

あと、この柄が赤いナイフも今年買った。

ビクトリノックスのパーリングナイフ。

包丁なんか三徳包丁一本で十分だと思ってたけど、これ+ダイソーの小さいまな板使ったら、ちょっと果物切るとかそういう時に便利だった。特に今うちは子供の食べ物を小さく切ることがよくあるので。

これ、めちゃくちゃよく切れる。

そして根本的な使い方が日本の包丁と違うので、うっかり危ないときがある。妻は刃先が親指の爪にコツンと当たってしまって、そのまま親指の爪貫通して怪我をしてしまった。

でも何か小さいものをササッと切るときに、大きいまな板洗わなくていいのって楽。

VICTORINOX(ビクトリノックス) ペティナイフ 食洗機対応 鋭い切れ味で精密なカットが可能な包丁 10cm レッド パーリングナイフ スイスクラシック 6.7701.C1-X1

購入価格1,282円

 

 

購入価格1100円

調理器具を増やすことにはかなり慎重派。

だからこれも、値段は1100円なんだけど迷いに迷って買った。

野菜が高いじゃんか。

安く買える野菜って、にんじん、大根、玉ねぎくらいなわけ。

そのにんじんを、これで擦って砂糖塩レモンかけてキャロットラペにする。

なんせ生だと、嵩が減らないからね。これで千切りすると、一本のにんじんがボウル山盛りになる。

濃いめに味付けすれば、漬物っぽくご飯食べれるし、酒のツマミにもなる。

キャロットラペが好きすぎて、毎週のように作っている。

大根を千切りにするときもあるけど、辛いときがあるのでたまにしかしない。基本にんじん専用。たまにきゅうり。

これ、洗うときにスポンジ使うと、スポンジが千切りされちゃうから、水流でにんじん流し落としてるだけなんだけど、いいのかなー。ほぼ一年使ってるけど、オレンジ色にはなってないのでまぁ良しとする。

貝印 KAI 千切り器 関孫六 細 レギュラー 日本製 DH3330 ブラック

 

 

 

購入価格2,771円

山奥にいたときは、空のペットボトルに山から引いた水を入れて、出かけるときに持っていっていた。自販機でジュース買うのは負けた気分になる。人間が生きるには水が必要なのに、出先ではその水にお金を払わなきゃいけないなんて人権侵害だ。憲法を元に裁判したら勝てるんじゃないか。

で、山奥にいたときは下界に降りることが月に一度とかの頻度だったので、空のペットボトルを洗って使っていたが、名古屋に来てからはもう少し外出が増えた。

ペットボトル洗うのは面倒だし、洗って清潔になっているかは正直怪しい。食洗機で洗ってしまいたい。

コンビニで飲み物買うことが20回あれば、水筒のほうが安い。

ということでタイガーの水筒を買った。

パッキンと飲み口が一体なので、パーツは2つだけ。それと食洗機対応という条件を満たすのはタイガーだけなはず。

水筒、ハイエンドが3000円で買えるのすごくない?

デザインも好きだし、ざらざらした触感も滑らず気に入っている。

保温、保冷はもちろんバッチリで、朝入れたお湯が夕方でも飲めない温度。

本体部分の口が狭まってないので、氷が入れやすいのもいい。

【食洗器対応・パッキン一体モデル】タイガー魔法瓶 水筒 600ml ワンプッシュ ステンレスボトル 飲みやすい設計 ふたとパッキンが一体化で洗うのは3点のみ らくらくキャップ 真空断熱 マグ 保温保冷 ホワイト MKR-W60NW

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とはいえ、飲み物を外で買ってしまうこともたまにはある。

この午後の紅茶、めちゃくちゃ美味しくない!?

スーパーで140円くらいで売ってるものだけど、紅茶の香りが強い。

キリン 午後の紅茶 TEA SELECTION ロイヤルブレンドティーラテ 500ml 24本 ティーラテ ペットボトル ミルクティー 紅茶

 

 

購入価格11,691円

ニートにとって布団は一番の親友だ。

冬場は飯とトイレ以外はずっと布団の中だった。

山奥ニート始めた頃は、家屋に残されていた煎餅布団を使っていた。

山奥は湿気が多く、油断するとなんでもカビてしまう。ものぐさな僕がこまめに布団干しをするわけもなく、中央から徐々に黒カビが広がっていった。

何かの折にそのカビた布団は捨てて、僕の実家から客用の布団を拝借して運び込んだ。

客用の布団はきっと高価なものだったのだろうが、重くてシーツをつけるのが大変だった。それでも「あるもので何とかする」という山奥ニート精神で使っていた。

山奥から名古屋に引っ越してもしばらくその布団を使っていたが、今ならもっと良いものが安価で手に入るのでは、と探したら1万円ちょいでコイルマットレスが売ってるじゃないか。

マットレスについて調べると、本当にきりがない。

安い中で粗悪品つかみにくいのはポケットコイルなのかなと思って、えいやとこの商品にした。

結果、買ってよかったねえ。

新しいマットレスにしてから、添い寝のために子供の布団に寝ると体が痛くなるようになってしまった。生物としては貧弱になったが、"地面と自分の間にあるものにはカネをかけたほうがいい"と言うので、必要な投資だった考える。

このマットレスは体重重い人向けの高反発。試しに寝転がった妻は硬いと言っていた。

しかし、コイルマットレスって捨てるときどうするんだろ。届いたときは圧縮されてるから運び込めたけど、広がったいま扉通るんだろうか‥‥。

買ってよかったのは確かだけど、もう僕は気まぐれで住処を変えられなくなった。あと10年くらいは名古屋でやってくのだろう、という覚悟の買い物。

ネルコンシェルジュ 三つ折りポケットコイルマットレス 厚さ20cm シングル 高密度ポケットコイル/ブラック

ネルコンシェルジュ 高密度 ポケットコイル マットレス シングル 20㎝ コイル数512個 通気性/ブラック

 

でも今年一番気に入って使ったのは、イオンで適当に1000円で買った伊達メガネかも。

伊達メガネかけると賢そうだし、ファッション気を使ってるっぽく見えると気付いた。

ほぼ毎日使ってるので、もっと良い伊達メガネ買ってもいいかも。イオンのはカチャカチャ音がしてチープなんだよなー。

伊達メガネをかけることにした心境をそのうち書きたい。

あとこれから欲しい物なんかあるのかなぁ。

『ぽこ・あ・ポケモン』やりたいからSwitch2はそろそろ欲しいなぁ。

電動歯ブラシは買ってもいいかな。

今持ってる肩掛けカバンがいまいちなんだよなー。肩から斜めに紐が来るのがお腹に食い込む。でもおじさんのカバンのベストな形がわからない。水筒入れるためにカバンは必ず持たなきゃいけないのに。

 

 

本記事はAmazonアソシエイトを利用しています。

家庭の修整

子(3才2ヶ月)の夜ごはんの準備ができて、子をテーブルに来るように呼ぶと珍しくすんなり座った。
しかし、自分の前に置かれたスプーンをひと目見て、表情が変わる。
「フォークがいいっ! とうとフォーク!!!」
顔を真っ赤にして、涙を流す。その様子が必死すぎて、思わず笑ってしまう。こんなことで泣けるのか。どんな情緒だよ。
フォークを取りに行く。
その間に、子がスプーンを投げた。スプーンは冷蔵庫と壁の隙間に入った。
「おいおいおい、ちょっと待て。投げることないだろう。普通に『フォーク取って』と言うだけで僕は取りに行くのに」
「フォークッ!!!」
「落ちたスプーン、自分で取って。そうしたらフォークを出す」
「フォーク~うええええええ!」
涙がポロポロ頬から落ちる。
「僕はきみのことを一人の人間として見ている。僕は相手がどんな人であろうと、食卓の上のものを投げる人の手伝いはしない」
「フォークッ!!! 取ってっ!!!」
「いいや。きみが投げたスプーンを拾うまで、僕は絶対にきみの言う通りには動かない」
「うえええええん!!!」
「僕は自分のごはんを食べる。きみは好きにしたらいい」
僕が自分の飯を半分食べ終わった頃、妻が仕事から帰ってきた。
「どうしたのー」と子に聞く。
僕にアイコンタクトする妻。僕は大した問題じゃないから子に聞いてくれ、と目で答える。
「しゃべ、しゃべれないっ」
わかるなー。僕も子供の頃、感情が高ぶって喋れなくなってもどかしい思いをよくしたなぁ。子育てしていると、記憶の奥底にあった古い扉がいくつも開く。
「子がフォークがいいと言って、用意したスプーンを投げた」
「子~、とうとは子にちゃんとコミュニケーション取れる人になってほしいと思うからこう言ってるんだよ」
「いいや違う。教育的に叱っているんじゃなく今の僕は単純に、子の態度に怒っている」
「だってさ。とうと怒ったら、いなくなっちゃうかもよ。かあかと一緒にスプーン拾おう?」
「いいいいやあああああ! とうと、ここに居てッッ!!」
「居るのはいいけど、きみがスプーン拾うまできみの手伝いはしない」
「いやああああああ!!!」
妻が追い打ちし、子に謝らせる。
「ほら、とうとにごめんなさいって言って?」
「ごめっ、ごめっ、ごめんなさい~」
「わかった。スプーンね」

いやー、違うんだよなー。
なんかちょっと子育てがズレてきちゃってる。
誰だって、子供が生まれる前は最高の親だ。
家族のことって究極的には構成員が納得しているなら何だって許されるわけだけど、規範から外れていても気づくことが難しい。だからだんだんズレていってしまって、笑える範囲で言うと『あたしンち』のタチバナ家の母みたいになるのだろうし、深刻な例なら‥‥まああえて出さなくても各々毒親が思い浮かぶでしょ。
たまに陽の当たる所に出して、修整していかなくちゃいけない。
家にお客さんを招くのもいい手だが、今回はテキストに起こしてみた。
あらためて分析する。
今回の落とし所として、妻が子に謝らせたが、無理矢理謝らせるのはおかしい。納得してないのに形だけ謝らせるのは、嘘をつくのが良いことだと教えているのと一緒だ。
まず根本的な原因は、最初に子がフォークを主張したときに僕が半笑いで対応したことなんだろうな。
どう見てもその料理ならスプーンのほうが食べやすいだろ、と思ってもバカにした態度に出すのは子に対する礼を失していた。
次に、親と子供はチームだという視点が欠けていた。子がスプーンを投げたことを僕が糾弾するのではなく、床に落ちたスプーンをどうするか、という課題を2人で考えるという構図にするべきだ。
「スプーンがここに落ちたけど、これどうしたらいい? 僕が拾うのは嫌だよ」
「そうか、きみが拾うのも嫌なんだ。ならどうする?」
「2人とも拾いたくないから、別の方法を考えよう。2人で同時に拾ってみる? もうひとつスプーンを落として、平等に1個ずつ拾う?」
とかそういう感じ。
そういえば今回は「タイムアウト」しなかったな。いったん別の部屋に連れて行って、そこで話したり「考えをまとめておいて」ということもある。3才ということもあり、この方法は今のところあまり手応えを感じていない。しかし教育の常套手段であるからして、正しく運用すれば、冷静になって話し合えるはずだ。
それこそ、子供の頃に僕が泣いて喋れないとき「泣き止むまでいったんほっといてくれ。僕のみっともない姿を見ないで」とよく思っていた。
子は妻に対してはこういう態度はしない。不条理な要求をするのは僕にだけだ。
妻は「片付けしないとおもちゃ全部捨てるから」のような脅迫的な言い方を容赦なくする。(余談1)
でも僕は、まぁ大人の邪魔にならない程度ならおもちゃが出しっぱなしでもいいんじゃない、と思っている。
妻に言わせると「子はとうとに甘えすぎ」となる。僕は小さいうちはジャブジャブに愛情注げばいいと思っているけど、子の言いなりになるつもりはない。子に異論を唱えることもある。
僕が子に怒るのは2つのことだけ。
ひとつは僕の行動に子が指図したとき。僕にはソファで本を読む権利があって、子が一緒に遊んでほしいと言ってもそれを僕に強制する権限はない。
ふたつめは‥‥テーブルの上のものをわざと落としたとき。
だから、わざと僕を怒らせようとしてるんだよなー。今回に限らず、食べ物を「要らない」と言って床に落として笑ったり、僕が本を読もうとするとギャン泣きしたり。子と妻が2人で居るときに、妻が「後でとうとが怒るよ」と言ったら、子が「子ねぇ、怒られたいの」と言ったこともあるらしい。
この問題、どうしたらいいんですかねぇ。
子供って乾いたスポンジだ。どんだけでも愛情を吸い取る。
子は身長も体重も平均、発達段階も平均ど真ん中。2才になったらしっかりイヤイヤ期になった。順調に「なんで?」攻撃も始まっている。これも発達段階では避けられないものなのかなぁ。
そして順当に、中学生になったら話してくれなくなるんだろうな。
いやだー。

 

(余談1)オモコロの『普段は話さない「子育て」について語ろう!パパ座談会(https://omocoro.jp/bros/kiji/524552/7)』という記事で、かまどさんが「パパは強制力を行使することに抵抗がないんだよ」というパンチラインを放っていたが、妻はまさにそういうタイプ。僕は、脅迫で子供を動かしてしまうと、子供が脅迫で大人を動かそうとしたとき(おもちゃを買うまでここから動かないぞ! ほら周りも困るだろう!)にそれをダメだと言う正当性がなくなると考えている。しかし脅迫以外の方法にはユーモアが必要で、僕も含めた多くの日本人同様妻もまたユーモアの練習をしてきていない。何事もいきなり完璧にはできない、妻が良い手が浮かばないときに脅迫してしまうのもしょうがないとも思う。僕もまた、ユーモアが不足している。幸いなことに、練習の機会は毎日ある。

「◯◯食べる?」と聞くと100%「イヤッ」と言うので、メニュー表を作った。文字が読めない人に情報を伝えるのは大変だ。

ポケモンZAはRPGへの冒涜だ

ポケモンって毎作、主人公の名前をつける所から始まるじゃんか。

で、たとえばポケモン赤緑ならオーキド博士がこう言うわけ。

「では はじめに きみの なまえを おしえて もらおう!」

このパートはプレイヤーへの呼びかけになっている。

そしてこの台詞でゲーム本編が始まる。

「いよいよ これから きみの ものがたりの はじまりだ!」
「ゆめと ぼうけんと! ポケットモンスターの せかいへ! レッツ ゴー!」

そして、主人公が縮んで、歩行グラフィックになる。

いいか?

「きみの ものがたり」だ!

RPGには大きく分けて、主人公が喋らないタイプと、主人公が喋るタイプがある。

ポケモンは一作目以降、本編はすべて喋らないタイプだ。

主人公が喋らないことによる、シナリオ上の制約は大きい。

主人公自身に物語性を帯びさせることが難しいからだ。

『サン/ムーン』では、主人公が物語を持たない代わりに、リーリエを登場させた。その結果、主人公は単なる用心棒という印象になってしまった。

しかし、そんな制約を課しながらも、未だにポケモンは主人公は喋らない。

なぜか。

それは「きみの ものがたり」にするためだろ。

主人公にプレイヤーを投影させて、単なるゲーム世界のキャラクターではなく、プレイヤー自身が冒険しているかのような感覚にさせる。

これこそ、主人公を喋らせない最大の理由だ。

ポケモンがRPGとして優れているのは、ゲームのシナリオが決まっていたとしても、そのボス(多くはジムリーダー)の倒し方をプレイヤーが自由に考えられるところだ。

「このキャラは好きだから、相手と同じタイプのポケモンで戦おう」とか「このキャラむかつくから、自分の最大レベルの一匹で蹂躙してやろう」とか、ポケモンを遊んだことのある人は心当たりがあるはずだ。

これこそまさに"ロールプレイ"だ。


『ポケモンレジェンズZ-A(以下ZA)』でも主人公が喋らないことはは踏襲されている。

ちゃんと冒頭で、主人公の名前をプレイヤーにつけさせる。

なのに、おい。

これはなんだ?

「シンのたわむれるチャンネル」よりスクショ

・優しいから
・いい人だから
の二択ってなに?

これ、メインストーリーだから、絶対にこの二択を選ばなきゃいけない。

んん????

このゲームの主人公って僕だよね?

なんで、法外な利子を要求する金貸しに「優しい」か「いい人」って言わなきゃいけないんだ?

僕はこの人のこと「優しい」とも「いい人」とも思ってないんだが?

僕は、このシーンでいったんゲーム辞めた。

思ってもないことを、強制的に言わされることほど屈辱的なことは無い。

このカラスバってキャラ、主人公の最も親しい友達に10万円貸したらしい。そしてその利子が100万円になったらしい。で、事務所に来いと言ってきて、暴力をちらつかせて脅してくる。

僕は主人公として、友達の利子を無くしてもらうために、この男の言う通りに動かなきゃいけないらしい。

・・・警察行けーーーーーー!!!!

ここが『レジェンズアルセウス(以下レジェアル)』みたいな、未開の地の世界観ならわかるよ。大都会なんだろ! 警察行け!!!

ポケモンなんだから、多くの子供が遊ぶだろ。

ヤクザに脅されたら、いいなりになるしかないって描写、するなよ!

まぁ、レジェンズシリーズは本編よりもターゲットの年齢層が高めなんでしょうよ。だから本編では出せないヤクザキャラ出してみましたってか?

百歩譲ってヤクザキャラ出すのはいいよ。初代からサカキがいるから。

そいつを、嫌う権利をくれ!!!

ああああああああああああ!!!!

なんで仲良くグータッチしてんだよ!!!!

僕は一秒だってこいつに関わりたくないです。

「自分だけに優しいヤクザ」キャラが人気あるって知ってるよ。

だからこういうキャラ出すのはわかる。

でもこのキャラ全員が好きになるわけないだろ! これ遊ぶ人の中には、ヤクザや借金でトラブルに遭った人だっているだろ! そういう人だったら100%この展開は受け付けないよ!

嫌う権利をくれ!

こいつをボコボコにさせて、悔しがらさせてくれ!

ロールプレイさせろーーーーー!!!!

プレイヤーに自己投影させないんだったら! はじめから! 主人公に喋らせろ!

最初っから主人公に名前ついてて、喋って性格の味付けがあるタイプだったら、「へー、◯◯、こういう男が好きなんだー」って思うだけだよ。

でもこの主人公は違うの! 僕なの!!!

37歳だけど、主人公に自分の本名つけてんの!

僕はヤクザとグータッチなんかしないの!!!

はぁ、はぁ・・・。

一番言いたいことは言い終わったけど、これ作った人は本当にセンスが無いと思う。

こういう、無意味な選択肢は、今までのポケモン本編にも何度もあった。

でも『スカーレット/バイオレット』ではあまり気にならなかった。中盤のシナリオが薄くて、シナリオが濃いホームウェイ編は非常に丁寧に作られていたからだ。ゲームフリークの開発リソースがあまり多くないことはわかっている。だから、中盤に出てくるジムリーダーのキャラの掘り下げはあまりしないで、アニメに任せて、本当に必要なラストだけを丁寧に作る。『ソード/シールド』でもWEBアニメでのキャラ掘り下げをしていたが、その延長線にあり、まぁマシなリソース配分を見つけたなと思っていた。ところがZAで一番悪い形になってしまった。

『ポケモン赤/緑』では"選ぶ"シーンがたくさんある。御三家はもちろんのこと、カブト/オムナイト、エビワラー/サワムラー。これらはもちろん交換を推奨するためだが、同時に選ぶことでプレイヤーの自己表現になった。

ZAはプレイヤーの選択を軽んじている。もっと選ばせてくれ。

たとえば、ガイ/タウニーがカラスバ編の後で「この前は迷惑かけてごめん。これ、バトルで稼いだ10万円。お前に返そうと思って」とか言ってきて、「受け取る」「受け取らない」の選択肢が出る、とかあれば、これこそまさに自己表現ですよ。「受け取る」選んだら、所持金が10万円増えて(別にこのゲームの10万円なんてすぐ貯まるからいいでしょ)「ごめんな・・・」と言わせる。「受け取らない」を選んだら「そっか。ごめんな・・・」と言わせる。これだけで、どれだけガイ/タウニーへの印象が違うか。大規模なゲーム制作のことはわかんないけど、このイベント作るのに1時間もかからないだろ。

 

最初にセンス無いと思ったのは、主人公が最初に遭遇する暴走メガシンカ。あれ、アブソルじゃないだろ~。

メガシンカの面白さって、知っているポケモンがもっと進化した姿になること、でしょ。

だから、『XY』では基本的に新規ポケモンはメガシンカしないで、初代を中心に既存のポケモンがメガシンカする。

アブソルってみんな知らないよ。

アブソルにファンがいるのはわかるよ。ビジュはいい。でも知名度は低いよ。見たことないポケモンに翼が生えても、「そういうポケモンなんだ」って思うだけだよ。

最初に出てくるメガシンカは絶対に、知名度が高い、みんなが見たことがあるポケモンにするべきだ。

序盤であまり種族値が高いポケモンは出せないだろうから、未進化が選ばれたんだろうか。でもメガスピアーでよくない? 初代だし、アニメによく出ていたし。スピアーがメガスピアーになったら「かっけえ!」って思うよ。

個人的には、メガデデンネがよかったんじゃないかなー。最初の遭遇は新規のメガシンカでインパクト与えればよかったのに。もちろん、それまでに野生でデデンネを出しておく。

そもそも、メガシンカというシステム自体、欠陥品だ。

すべてのポケモンができるわけではなく、限られたポケモンだけ。暴走メガシンカ相手に、通常のポケモンの技はほとんど効かない。ワザプラスすればいいけど、+ボタン押しにくいんだよ。実質的に使えるポケモンを減らしている。僕はメガシンカ使いたかったから、攻略途中だったけどどのポケモンがメガシンカするか調べたよ。だって愛情持って育てた後「このポケモンはメガシンカしません」ってなったら悲しいから。

メガシンカは最終進化形しかできないという設定。これもきつい。ゲームの売りとなるメカニズムなのに、序盤は相棒ポケモンをメガシンカさせられない。できるのは仲間になったばかりのポケモン。『XY』ならルカリオ、今作ならアブソル。マジック・ザ・ギャザリングのゲームデザイナーであるマーク・ローズウォーターは「コモンのカードにできなければ、それはテーマじゃない」とコラムに書いていた。トレーディングカードゲームのパックを開けて、そのパックから高い確率でこのセットのテーマ(多色や墓地利用や両面カードなど)が出なければ、テーマ足り得ない。たとえばドラゴンって大きいからコストが重いイメージがある。だからドラゴンをコモンにすると、コストが重いカードばかりになってしまう。だからドラゴンそのものをテーマにすることは難しい、という話だ。これと似た問題がメガシンカにはある。メガシンカより後の、Zワザやダイマックス、テラスタルではこの問題が解決されて、最終進化じゃなくても、すぐに使えるようになっている。

あと、メガストーンをポケモンに持たせるってのも大きな制約だよなぁ。このゲームに「たべのこし」や「せんせいのつめ」のような、メガストーン以外のポケモンに持たせるアイテムを出したのはセンス無い。上で「メガシンカしないポケモンを使いたくなくなる」と言ったが、正直「このポケモンに何もたせようか」って考えるのって楽しいの。なのに、メガストーンがあるポケモンに関してはそれを悩めない。メガシンカで遊んでほしいのか、道具で遊んでほしいのかどっちだよ! せめて、メガストーンは手に入れるだけで効果あることにしたらよかったのに。アイテム実装するの大変だろうに、楽しさに繋がってない。

これらメガシンカの欠点はダイマックス、テラスタルでは解決されている。新しいゲームシステムとして、メガシンカは最初の試みだったから欠点があるのはしょうがない。でも、ZAで復活させるんなら、欠点を改良しろよ! キロシンカとかいって、メガできないポケモンはそれに一歩劣るシンカができるとか。変化は体が金色に輝いてるとかさー。

今作の新しいメガシンカ、別に意図は無いだろうが、カラマネロ、シビルドン、ドラミドロ、ガメノデスと海にいそうなポケモンが多かった。偶然、僕の手持ちがこれらのポケモンだったので、残りのポケモンもなんとなく海っぽいポケモンがいいなって思った。でもメガシンカできるのがいい。それで調べたら、メガハッサムがいるじゃないか。ちょっと蟹っぽいじゃん? で、ハッサムのメガストーンがお店で売ってることも確認。少しシナリオを進めると、野生のストライクも出てきた。いいね、シナリオでハッサム使ってみよう! ・・・メタルコートが手に入るのがゲーム最終盤って何? しかも通信交換が必要って。レジェアルではアイテムで進化できるようになって、すごく気が楽になったのに。通信で進化するのって、何が楽しいの。楽しくないって気づいたからレジェアルは方式変えたんじゃなかったの? 特殊な進化方法っていまさら発見する楽しさなんか無く、検索して攻略サイト見てしまうし、全部アイテム進化でいいよもう。

レジェアルは図鑑完成まで楽しんだ。今作はレジェアルであった良かった点がことごとく無くなっている。

レジェアルで良かったのは、まず雰囲気。ポケモンと人の関係が手探りだった開拓時代、その雰囲気を出すために、ポケモン図鑑がすべて昔風に書き下ろし。今作でも、フランスっぽさを出すために工夫が欲しかった。メニュー画面がアール・ヌーボーっぽいとか。

それに図鑑システムも良かった。ポケモンを捕まえるだけではテキストは読めなくて、何匹も捕まえたり、ワザを見る必要がある。ポケモンってやっぱり捕まえるのが楽しいじゃんか。でも他作品は厳選でもしてないかぎり、1匹捕まえたらそれ以上捕まえることにメリットがなかった。でもレジェアルでは何匹も捕まえることで図鑑テキストが読めるという知的な報酬を得ることができる。それに、ポケモンを捕まえることで、お金がもらえる。これによってまたモンスターボールを買うことができる。捕まえたポケモンを逃がすことで、更にアイテムがもらえる。捕まえれば捕まえるだけ、言い換えると楽しいことをするほど、いいことがあった。ZAでは、一度も図鑑のテキストを読んでいない。捕まえたときも表示されないし、以降読む機会もない。

ポケモンがいる世界のアクションゲームを作ろう、となったとき、どんなアクションが必要か。ポケモンを捕まえるためにモンスターボールを投げるアクションが必要だ。おや、バトルするときもポケモンの入ったボールを投げるぞ。なら、ボール以外にもエサや煙幕を投げられるようにしよう! ←実にスマートだ。任天堂のゲームづくりのようだ。え・・・ZAではボール以外投げられない? なんで? 草むらが用意されてないと、身を隠せない? 野生ポケモンの注意を引けないから、後ろ向かせるには待つしかない? 待ってたら夜になったじゃねーか!!! じっくりポケモンを観察させたいのか、焦らせたいのかどっちだよ! こっそり近づいて、ナイフのように刺すヘビーボールの鈍い音! 自動ロックオンがずれるほど遠い距離から、こちらに気づいていないポケモンめがけてスナイパーのようい投げるフェザーボール! どちらも楽しかった。なんで無くなってんだよ! ボールの種類がたくさんあったって、アクションゲームの最中に切り替えられないよ! センスないわー。ロックオンしないと投げれないって何。プレイヤーにとってズルする事ほど楽しい事は無いのに。

今作、いつものポケモンと違って、ひとつの街の中での冒険というのがひとつの目玉となっている。なのに、街が全然魅力的じゃない。街の街らしさの表現として、①街にいるNPCに近づくだけで吹き出しが出る ②ミニクエストをたくさん用意した ってか? ①は『ブラック/ホワイト』のときからやってるよな。確かにあのときは、雑踏の表現方法としてなかなかいいと思った。でも今、令和ですよ。②はなかなか良かった。でもそこに開発リソース使うのは本当に正しい判断だったのか?

街がさ、ハリボテなんだよなぁ。入れる建物が全然無い。というか魅力的な街って、エリアごとに特色があるもんなんじゃないの。あるエリアは治安が悪くて若者がたむろする場所、別のエリアは坂道が多い風光明媚な所、また別のエリアは高級店が並んで歩くだけで緊張する所・・・。ミアレシティは、どこも一様にポケセンがあって、カフェがあって、ワイルドエリアがあってって感じで、便利なんだけど「このエリアに住みたい」と思うことは一瞬たりともなかった。どこも清潔で整理されていて、イオンの中みたいだ。

僕はポケモンがやりたいからこのゲームを遊んでるのであって、操作性最悪なSASUKEやりたいわけじゃないのよ。いや、レジェアルではポケモンがアイテムとってきてくれたじゃん。なんで、広場の端っこまでアイテム取りに走らなきゃいけないの。何も楽しくない。ビルの屋上まで、ポケモンに乗って飛べよ! あるいは、ビルの人に「屋上に暴走メガシンカポケモンがいるから中に入れてください!」って頼めよ!!! 頼めないよなあ、ゲームの世界だもの!!! あのビルの屋上どっから行くのかなぁって悩むの、まっっったく楽しくない時間だった。誰が楽しいの? ポケモンやらせろ。ポケモンでズルさせろ。

ホテルZで「目覚まし時計が鳴っている」で起こされるの、嫌だったなぁ。主人公がなんであの街に来たのかわからないけど、ホテル暮らしってロマンがある。なのに目覚まし時計で起こされたら台無しだよ。あれはね、黒い画面から明けたときに、手持ちのポケモンから1匹ランダムに勝手に出ていて、そいつに起こされたことにしたらいいのに。メガニウムー! 先に起きてたのー!? いい子いい子。

起きたあと、ホテルのロビーに行くといつものメンバーがいる、というのは好きだった。夜ごはんをみんなで食べてるより、朝ごはん一緒に食べるほうがホテルでは自然では。そのあと暴走メガシンカ作戦会議にしたらいいのに。

ラストバトル、花と戦って何が楽しいの。演出はよかったけど。タワーが出てくるのに最後まで登らないって、チェーコフがびっくりしてるよ。

・・・ふぅ。

僕が小学2年生のとき、初めて遊んだビデオゲームがポケモン赤だった。

それ以来、シリーズのほとんどをプレイしている。

新しいポケモンを遊ぶたび、自分が小学2年生だったらどう感じるだろう、と考える。

その視点では、『ソード/シールド』が最高だったな。コマンド式RPGの完成形と言っていい。大人からすると少しボリュームが物足りないけど、小学生だったらちょうどいだろうし、早くクリアしてネタバレ解禁して感想を共有したいというSNS時代に合った作品だった。

『レジェンズアルセウス』は難しいから小2ではクリアできないかな。でも目を赤く光らせたオヤブンが追いかけてくるのを、怖がりながらも興奮して楽しむだろう。

『スカーレット/バイオレット』は序盤から伝説のポケモンと絡めるのが、ワクワクしただろうな。『XY』の電池でしかない伝説のポケモンの扱いから随分進歩した。

で、『レジェンズZ-A』は何。これまでの進歩をひっくり返すような酷い出来だ。小2の僕がこれをやったら、RPG自体が嫌いになるだろう。「なんだ、選択肢出るけどどれ選んでも一緒じゃん。これならマインクラフトやフォートナイトのほうが自由で面白いや」こう思う。

頼むよポケモン。

お前はロールプレイングゲームの数少ない生き残りなんだ。

ポケモンというIPだけじゃない、RPGというジャンルの未来も背負っているんだ。

ほんと、一回考え直してくれ。

Aランクになったら願いが叶えられるって?

じゃあ願いは「このゲーム作った奴と今すぐ話をさせろ。本当にこれでいいと思っているのか聞きたい」です。

え・・・それすら選べないの・・・じゃあ「なんでも叶う」でゲームを引っ張るなよ・・・

10年前の自分へ

banashi1.hatenablog.com

ちょうど10年前に書いたこの記事が、まとも書房のDiscordで話題になっていた。

タイトルはこんなんだけど、実際は僕はベーシックインカム(以下BI)賛成派だった。

でも、10年後の今はBI賛成派ではない。別に否定派でもない。

社会を変えるということに、あまり興味が無くなった。

なぜBI賛成派ではなくなったか。

敵を作りたくないので、10年前の自分の文章を批判する。

 

この文章は、いつかBIが実現する、という前提で書かれている。それはまぁ事実だろう。いつかはね。

しかし、我々には肉体があって、この肉体は50年もしたら滅びる。その事から目を背けている。今からBIが実現するまで何年かかる? 世間は未だ勤労の美徳が尊ばれている。今からストレートに時代の空気感が変わったとしても、そこから政治家が動き、予算の調整があり……10年?20年? 僕がその恩恵に受けられる可能性はどれだけある? もしまだ僕が生きているうちに実現したとしても、その頃にはすでに年金や生活保護をもらっているはずの年で、BIを実感できないのでは?

にも関わらず、BIを推す理由はなにか。現在の資本主義からBI実現までの歴史の1ページに自分がいるのだと自分を位置づけたいのだろう。ニートであるお前は、何にも所属していない。そこで、労働からの解放という大きな物語の一員になることで、自分のアイデンティティを確立しようとしている。でもそれは間違っている。イデオロギーで自分を縛るのは危険だ。柔軟性がない思想は、自分も他者も必ず傷つける。

人間を作るのは、脳みそだけで考えた空論ではなく、肉体を持つ人間との関わりだ。お前が本当にやるべきことは歴史に爪痕を残すことじゃない。現実の世界に存在するお前が出会う、現実の人間と適切に関わることに労力を割くべきだ。

歴史は変えようとして変わるもんじゃない。誰にもコントロールできずに、いつの間にか変わってしまうものだ。自分が変えようなんておこがましいにも程がある。何様のつもりだ。BIができるならできればいい。できなければ、できないだけだ。現実の、いろんな力によって歪んだ今の資本主義と、空想上の理想のBI社会を比べることに意味はない。実際にBIが導入されるとして、そのBIは今の資本主義と同じく、いろんな力によって歪んだ状態で実装される。決して理想のBIではない。完璧なシステムなんてできないんだ。仮にできたとしても、それは一時的なもので、人間はシステムを必ず変えてしまう。永遠に変わらないシステムはない。たとえAIが政治を行うようになっても、それを実行するのが人間であるかぎり、憲法の解釈を変えるようにAIの言うことの解釈を変えてしまうだろう。

権力者じゃない僕らができるのは、自分が出会う人とどう関わるかだけだ。

そりゃ人間だから、やるべきことを受け入れられず、逃避が必要なこともある。だからこの文章自体は否定しない。でもこの文章は娯楽にこそなれ、本当のことは書いてない。ここに真実はない。

タイムスリップしても歴史は変わらない

妻が資格勉強のために高校数学の解説動画を見始めた。

隣で僕も「あーこんなんあったなぁ」と思って見てたんだけど、すぐに高校生の頃に学校の勉強に抱いていた気持ちが生々しく蘇ってきた。
こんなくだらないことに頭使えるか、って。

公式の説明とか証明を聞くのは楽しい。そんな発想あるんだって驚くし、考えた人すごいわってなる。
で、その公式を使って1~2問解いてみる。なるほど、こうすればココがわかるようになるのか。へぇー、ためになった。
でも、試験になると、その公式が反射的に出てくるくらいに体に染み付いてないと時間と体力が足りない。

僕は試験のたびに「えーとsinθってのは、頭に三角形を思い浮かべて、sの筆記体を書いてみると斜めからの縦、だから斜め÷縦だから…」って所から始めることになる。もちろん、公式なんか暗記してない。
一回やり方わかったんだからもういいじゃん。せめて公式くらい試験のときも見せてくれ。こんなの実際ここの答えを出したいんなら、公式なんてググったら一瞬で出てくるし、電卓に計算させるでしょ。
試験問題を解くためだけに、それを体に覚えさせる意味ある?
と思って、まったく勉強しなかった。

37歳の今も、授業の動画を見てまったく同じことを思う。
勉強できる人にこれ喋ると「考えることって楽しいじゃないですか」とか言われる。
いや考えることは楽しいよ! 数学も楽しい。でも試験問題を見たときに反射的に解法がわかるまで訓練する事にはこれっぽっちも魅力を感じない。
考えることが好きだからこそ、考えずに解けるようになる価値を見出だせない。

数学Ⅰはまだついていけてたけど、数学Ⅱになるともう、公式を暗記してないと全然ついていけない。語呂合わせで覚えろとか言われる。
自分の脳みそにそんなどうでもいい事インプットしたくないんだ。メモリの無駄遣い♥したくない。 
もしかしたら、中学生の頃好きだったシャーロック・ホームズが言っていた「地球が太陽を回っている事なんか推理に必要ないからすぐ忘れないと」というのの真似をするのが格好いいと思っていたのかもしれないが。

でも、僕より頭のいい人がたくさん勉強している事が不思議でならない。
なんで勉強をしてもいいって思えたんだろう。世の中にはもっと知的好奇心を駆り立てるものがたくさんあるのに。

ニートの人は学歴コンプレックスがある人が結構多いんだけど、僕は大学中退だけどまったく感じない。

有名大学出てる人は、僕が興味ないゲームをやりこんだんだなーって感じ。
いや、なんかのゲームをやりこんだ人と同じくらいは尊敬するよ。なんでもやりこむって凄いことだから。
でも「遊戯王で県1位でした」って言われて、凄いなーと思うけど嫉妬したりはしないじゃんか。

それでも、もっと勉強のモチベーションが湧いて、変わった人がたくさんいる大学に行って、学問への興味を失わずに教員免許を取って、教員として働いている時期があったなら、今よりもっといい感じに自分を売り出せたのになーとは思う。だから高校生が勉強イヤだーとか言ってたら、勉強はしたほうがいいよって言う。

でも卒業して20年経った今も授業見ても「面白いけど、これを秒で解けるまで練習するの無意味だなー」という17歳の頃とまったく同じ感想しか出てこない。

これはもう、今の知識と経験を持ったまま高校生に戻っても、僕は勉強して良い大学に入ることはできないんだろうな。
タイムスリップしても歴史は変わらない。
この気質、この経歴以外の人生は無いと思ってやってく他ない。

まぁでも僕の人生はもうどうでもいいんだけど、17歳になった子供が同じこと言い始めたら、僕は言葉を持たない‥‥。