コロナ渦と1億円もらえるボタン
突然ですが、問題です。
Q1.「押すと人類が0.1%の可能性で滅ぶけど、1億円もらえるボタン」があったらどうしますか?
Q2.人類滅亡の確率が10%だった場合と、0.001%だった場合、何か変わりますか?
Q3.そのボタンが無数にあり、多くの人の手に渡っているなら、どうしますか?
TwitterとDiscordで聞いたところ、いろんな意見がありました。
A1.押さない
A2.変わらない
A3.他の人が押そうとしているのを見たら、阻止する
A1.非課税なら押す!
A2.変わらない
A3.人類全員に押させないのは無理ゲーだから諦める
僕の答えは
A1.うーん、押すかどうかはその時になってみないとわからない。
A2.確率が変わっても結論は変わらないと思う。それよりも、その時自分がどのくらいお金を持っているかで押すか決める。
A3.周りの人に「自分は押すけど、押さない人には千円あげる」と言う。これなら人類滅亡のリスクを減らしつつ、自分は利益を得られる。
Q3の答えは「わからない」や「どうしようもない」が多かったです。
この問題で、何が聞きたかったのかというと、新型コロナにまつわるあれこれは突き詰めるとこの問題だと思うからです。
ボタンを押す=感染症を気にせずに活動する
ボタンを押さない=自粛して活動をやめる
ということ。
感染症が車の事故と違うのは、被害が指数関数的に増えていくことです。感染者が感染者を増やす。感染者が増えることで、新たな変異型が生まれて、人類の手に負えないウイルスが誕生してしまうかもしれない。
日本の2020年の死亡者数は例年より減っているのですが、新型コロナを注意し続けなければならないのはその再生産性が理由があります。
自分1人がボタンを押す(会食したり旅行する)だけならほとんどリスクはないですが、みんながボタンを押すと人類が滅亡する確率は現実的なものとなります。
こうした囚人のジレンマじみた状況がこの2年近くのコロナ渦です。
人類の滅亡を願い、ボタンを連打する人が現れるんじゃないか、と予想した人が複数いましたが、現実では意外と少なかったですね。
2020年前半は「俺はコロナだ」おじさんがニュースで報道されることはありましたけど、最近ではまったく聞きません。
日本の今の現状は、ボタンを押す人は叩かれるので、みんなまだ押していない、という感じですね。でもそれもそろそろ限界に近そうです。
Q1でボタンを押すべきかどうかって、議論のしようがないと思うんですよ。
だって、明日のご飯も心配なほど貧乏な人は絶対に押すでしょう。養わないといけない家族や社員が多い人だって、押して1億円を分け合いたいはず。
一方で、今の生活に満足している人や、健康な強者は押さない。人類の未来がこれから良くなると思ってる人も押さない。
その人が置かれている立場で、押すかどうかは決まってしまうはずです。
借金で殺されそうになってる人に「押すな」と説得してもまったく意味ない。
このように、新型コロナでどれくらい自粛するかって完全にポジショントークなんですよ。
話は平行線で、それぞれ意見を言ってもただの自己紹介にしかならない。
そこでQ2です。
議論の余地があるとしたら、リスクとリターンについてです。実はボタンを押して人類が滅亡する確率が0.1%ではなく10%だったら、あるいは0.001%だったらどうでしょう。
その確率だったら意見を変える、という人をまだ見ていません。
というのも、天秤の片方に乗っているのは全人類の未来だからです。そんな大きなものの重さなんて、どうやったって測れない。数値化できないから、数字同士で比較することもできない。
だから、新型コロナがどれだけ脅威であるのか、あるいはどれだけ脅威でないのかを数字で表しても、それで意見を変える人は少ないんじゃないかと僕は思います。
Q3は社会全体の話です。僕が答えた
周りの人に「自分は押すけど、押さない人には千円あげる」と言う。
というのは、新型コロナに置き換えると、休業要請と補償ということになります。
いくらあげるかは難しいですね。今の日本はこれを一部の人にだけやってる感じです。
もっと強行な手段としては「国がお金払ってボタンを買い取る」とか「ボタンを押した人は刑罰」がありますね。ロックダウンとかそういう感じなんじゃないでしょうか。
もっと素晴らしい、みんなが得する妙案があればいいんだけど。
さて、Q3の「「押すと人類が0.1%の可能性で滅ぶけど、1億円もらえるボタン」があり、それが多くの人の手に渡っている場合、どうするのが得なのでしょうか。
一番得なのは、自分だけが押して、他の人は押さない状態です。国や大企業は今まさにそうしてオリンピックやってますが、当然大きな反発を受けています。
二番目に得なのが、誰も押さない状態です。これなら自分の命が脅かされることがないですからね。「自分は押さないから、みんなも押さないで」と宣言すると、周りから信頼を得られて更にプラスです。同調圧力を上手く使っていきましょう。
三番目に得なのが、早く自分が押してしまうことです。みんなが押し始めたあとでは、すぐに人類が滅亡してお金が使えないかもしれない。だから押すなら1秒でも早いほうが得です。
押すか迷っている間に他の人が押していった結果、人類が滅んだり、ボタンを押すのが法律で禁止されるのが一番損です。
ましてや「自分は押す」と宣言したり「みんなで押せば怖くない」と仲間を募る弱虫は、まったくもって非合理です。得することがないです。「人類滅亡するなんて嘘だ」と信じない人もいますね。
で、僕はどうなんだ。たまに妻に会いに山を降りたり、取材の人が来ることはある。でも、基本的にはひきこもっている。
共生舎として、短期滞在の受け入れは停止している。
でも僕自身は山奥にいるおかげで、コロナ渦にどう向き合うのか、決めないままここまで来ている。僕の目の前には、まだボタンが届いていない。
この2週間、リビングにいるときはなるべくオリンピックを見るようにしていたけど、ついぞ素直に応援する気持ちにはならなかった。やっぱりどこか心に曇りがあって、選手に罪はないと割り切れずにいる。
「山奥ニート」という考え方の中には、少なからずアナーキズムがある。同調圧力なんてクソ喰らえファッキン。オラぁいちぬけた。
その一方で、7年間のここでの暮らしで共同体というものについて考える時間が増えた。所属、公共、市民。そうした概念がなければ、シェアハウスは成り立たない。
取材でたまに聞かれる。
「日本人のすべてが山奥ニートになったらどうしますか?」
ずるい質問だと思う。ならば全員がマスコミになった社会はどうなるんだ、と屁理屈を言いたくなる。
僕にはコロナ渦での行動も、山奥ニートも、原発も、自然破壊も、全部同じ問題に思える。
カント曰く「汝の意志の格率が、常に同時に普遍的立法の原理として妥当しうるように行為せよ」(『実践理性批判』)
まぁ要するに「全員がお前と同じ行動をしても、大丈夫な行動をしろ」
厳しすぎないか、カントさんよ。
山奥ニートはそうなっているんだろうか。
新型コロナへの態度はそうなっているんだろうか。
「推マ」って知ってますか?
「推しマ」というものを知っていますか。
推しマークの略称だそう。推し絵文字、「ファンマ」とも言う。こっちはファンマークの略。
名前は聞いたことなくても、Twitterでアカウント名や自己紹介の欄に絵文字をつけて、自分があるもののファンだとわかるようにしている人を見たことはあるかもしれない。それです。
この方の場合は、
救急車=大空スバル
悪魔=百鬼あやめ
おにぎり=猫又おかゆ
彗星=星街すいせい
といった具合に、バーチャルYoutuber7人を推していることがわかります。
この例では1人1文字だけど、かぶらないように1人2文字で表すことが一般的です。
この「推しマ」、文字数が限られるアカウント名や自己紹介欄で最小の文字数で、ファン同士は互いにファンだと気づけて、ファン以外が見てもわからない、という大変合理的な仕組みなのです。
有名人自体がこれ使ってくださいと言うパターンもあるみたいだけど、多くはファンが勝手に決めている。
モチーフがはっきりあるバーチャルYoutuberなら決めやすいけど、アイドルや俳優だとそうもいかず、その有名人が好きな食べ物や知られたエピソード、インスタなどでよく使う絵文字から決まるみたい。
NiziUのマコさんの推しマは、オーディションで「無表情でレモンを食べる」という特技を見せたことからレモン。もうひとつは、好きな食べ物からチョコレートと、天然な雰囲気が似ているからコアラの2派閥がある。
https://moet-678.com/archives/3979
この「推しマ」の発祥について調べたんだけど、情報がぜんぜん出てこない。そもそも「推しマ」や「ファンマ」という言葉を意識せずにみんな使っている。おまけに、その当時の名前や自己紹介はログに残らない。
Twitter上では、2017年4月5日に「○○たんに推しマつけてもらえてることがもう幸せです」とのツイートを発見。
これ以前の「推しマ」は推しマーケティング、推しってマジ?の略として使われていて膨大な量なので、これ以上は調べません。
どうもSPOONなどの女性配信者が「私の推しマつけてない人はリプ返し、フォロバしません」みたいに表明して、ファンを囲い込むために使っていたっぽい。少なくともTwitter発ではない。
Pixiv百科事典では
とあり、VRChatで言う「お砂糖さん」に近い使われ方もされているようだ。
この推しマ、ファンマはインターネットの片隅で行われていた営みだったけど、バーチャルYoutuber界隈に広まったことで一気に流行し、大通りに現れるようになった。
推しマ自体は、おそらく自然発生的に出てきたものだと思う。
僕の妻はポルノグラフィティのファンなんだけど、この話をしたときにポルノクラスタは名前に「∠」をよくつけているけど、それと同じかな、と言っていた。これは「∠TRIGGER」というアルバムがあって、それを真似しているそう。
これは原始的な推しマだといえる。絵文字ではなく、ただの記号(角記号)である。
元ネタとなったアルバム「∠TRIGGER」の発売は2010年。さすがに発売当時から「∠」が推しマとして使われていたわけではないはずだけど、妻の記憶では2017年より前から使われているとのこと。
これはアイドル文化と、後述のオタク文化を繋ぐミッシングリンクなのではないだろうか。
昔のインターネットは、顔文字なんて基本使えなかった。それどころか機種依存文字を使うのはマナー違反という暗黙のルールがあった。
推しマが使われるようになった一番の要因は、スマホの普及に違いない。
しかし、絵文字や記号でなくても、自分の好きなものの影響を受けて名前を変形させる文化はTwitter初期から存在している。
たとえば名前に東方シリーズから⑨、『ささみさん@がんばらない』というアニメが放送されてるときは名前に「@がんばらない」をつけたり、『ダンガンロンパ』から「超高校生級の○○」とか。こういうのは今でもアニメクラスタではよく見かける。「○○上手の☓☓さん」とか。
それの延長線だと考えると、推しマという文化が少し身近に思えてくる。
もっともこれはファンであることを主張し同士を見つけるというよりは、ネタとして消費している面が大きい。
自分たちだけにわかる符丁を決めて交流する、というのは女性オタクの文化っぽいが、そっちの方面にはまったく明るくない。
詳しい人に会ったら、いつごろから推しマ、あるいはその祖先である”推しワード”と呼ぶべき符丁があったのか聞いてみたい。
インターネットってつまんなくなったなーと思うことが多いんだけど、それは僕が限られたものしか見ていないせいでそう感じるだけで、僕が知らないインターネットでは新しいものが生まれ続けている。
かつての僕がそうであったように、そこで夢中になって青春している人もいるんだろうな。
僕はもうそこに入っていけないけど。
シン・エヴァ感想(ネタバレ)
参加していたアニメーターのツイート
シンエヴァ一個だけネタバレさせて
— げそいくお (@gesoikuo3) 2021年3月8日
この映画は誰かと見終わることが大事だと思う
映画が終わって、場内が明るくなった後、僕はこう思っていた。
「この映画館で、この映画を一番よくわかったのは僕だ」
こんなのエヴァじゃない、とか言ってるおまえら!
あんなにわかりやすく書いてるのに、わかってないやつが多すぎる!
改めて言うのも野暮なんだけど、エヴァは庵野秀明の私小説なんだよ。
エヴァはずっとオタクのためのものだ。
オタクなら、庵野秀明が関わったものを当然予習してきてるよな!
よい子のれきしアニメ おおきなカブ(株)
【庵野監督・特別寄稿】『エヴァ』の名を悪用したガイナックスと報道に強く憤る理由
エヴァンゲリオンの粗悪品(グッズやゲーム)を量産してしまう。
新しくヴィレ(カラー)を立ち上げて、エヴァンゲリオンをやり直そうとするも
上手くいかなくて鬱になってしまったシンジ(庵野)。
そんなシンジ(庵野)を癒やしたのは、第三村(ジブリ。素材提供『となりのトトロ』)の人々。
(ただ、「おおきなカブ(株)」では『風立ちぬ』で声優やって、特に変わらず帰ってきたとなっているので、第三村の図書館にあった安野モヨコの本から、やっぱり庵野を癒やした最大の要因は妻なんだと思う。)
シンジが立ち治った理由が薄い、という感想があるけど、あれは劇中では短い間だったけど、現実では25年経ってるわけだからね。現実とは違う理由を創ってシンジくんを立ち直らせたほうがお話としては優秀かもしれないけど、そこで嘘をつかないのが庵野秀明の誠実さだと思う。僕らはずっとその、嘘がつけない庵野秀明が好きだったんじゃないのか。
あと、全裸や下着姿のアスカに、まったく劣情を催さなかったのって僕だけ?
なんで前はこんな中学生の体にエロさ感じてたんだろ、って思うくらいだった。
アヤナミはシンジに「名前をつけて」と頼む。(上記「おおきなカブ(株)」で安野モヨコは、庵野から新しいアニメスタジオの名前をつけてと頼まれる)
アスカもレイと同じく、コピーだったらしい。つまり誰かの創作物。つまりただのアニメキャラ。それがシンジと結ばれるのはありえない。ケンスケとアスカの2人はジャンとナディアですね。
そしていよいよ、打倒ネルフのためにヴンダーが発進する。
あそこ、めちゃくちゃ往年のガイナックス感があったよね。惑星大戦争のBGMも最高。
それに対して、ヴンダーの同型機が何台も現れる。
(これは上記声明の福島ガイナックスやGAINAX WEST始め、いろんなガイナックスが知らないままできていたってこと)
しかも、最後に粗悪エヴァたちは、巨大なドリルの形になる。(ガイナックス制作の『天元突破グレンラガン』。でもグレンラガン作ったスタッフはTRIGGERに移って、シン・エヴァにも多く参加してる)
おそいかかるエヴァのなりそこない。
「エヴァを射出するまで耐えるんだ!」
目まぐるしい戦闘を観ながら、僕は考えてた。
これだけ、すべての配置がメタ的意味を持つなら、マリはなんなんだろう。
アスカは旧劇から一貫して、他者の象徴だ。
カヲルは幾原邦彦、および尊敬するアニメの先輩。
なら今までシンジとろくに絡んでいないマリは何を表すんだ。
13号機を壊せないアスカ。自分のATフィールドが邪魔しているという。これまでずっとATフィールドは自分を守るバリアだったのが、ATフィールドがあることによって手が出せない。
シンジを撃とうとするサクラ。シンジが動けなくなればエヴァに乗らずに済むからだと言う。何勝手に期待してんだ。LASへの決別。
はてブコメントであったコメント
それを旧劇では「気持ち悪い」と言ったんだ。
シンジとゲンドウはマイナス宇宙で対峙する。
ここでゲンドウもまた、庵野秀明の一面だったとわかる。
オタクとしての庵野秀明。
ゲンドウの目を開かせたユイと、シンジの目を開かせた第三村は同じものだ。(決してアヤナミではない。アヤナミのみによって立ち直ったのなら、アヤナミが死んだときまた沈むはずだから)
Qでのミサト始めヴィレ面々とのディスコミュニケーションを、シンジは許す。
悪意を持って捉えるのではなく、好意を持って捉え直す。
そしてゲンドウに対しても、好意を持って捉え直すシンジ。
「そうか、お父さんはお母さんを見送りたかったんだ」
こういうの大好きなんだよ僕は!
ゲンドウのシンジに対する思いは、子供がいない僕にはちょっとわからない。
庵野秀明にも子供はいないはずだ。
シンジが怖かった、というのは若い世代が怖い、とまで広げて解釈していいのかな。
シンジのヴィレ若手への不信は、庵野の若手アニメーターへの不信もあるのかもしれない。
35歳でエヴァ作った庵野秀明はもう60歳だ。老いへの恐怖はきっと次回作以降で描いてくれるだろう。
浜辺に座るシンジ。
どんどん、背景が簡略化されていく。「よろしくおねがいします」と投げられた絵コンテ。
TV版と同じになっていくのか、やっぱり庵野はいつもの庵野なのか、と思われたとき、マリが現れる。
エヴァンゲリオンはどんなシーンから始まったか。シンジが迎えを待っているところから始まる。
世界は再構成された。ループでもパラレルでもない。
「だーれだ」
シンジの目を開かせるマリ。
その格好は今までのアニメっぽい服装ではなくて、別の漫画の登場人物のよう…。(キャラデザに安野モヨコ入ってたのはこのため? マリの名前は制作初期段階では「マリコ」だったらしい。また安野モヨコは古い歌をよく歌っていると『監督不行届』で描写される。また『監督不行届』では結婚以前の庵野は数週間同じ服を着ていたという。もしかしたらモヨコに何度も臭いを指摘されたことが、マリの匂いを嗅ぐ描写に繋がっているかも。)
駅なのに電車に乗らない。電車はエヴァにおいて精神世界を表している。その電車に乗らずに外に出て行く2人。
今回の主題歌。PVは庵野監督。
これ、完全に宇多田ヒカルを妻として撮ってるでしょ。
彼女にしては宇多田ヒカルの服が気合入ってなさすぎる。駆け引きとかを超えて、安定した夫婦な関係。
『エヴァ破』を観たとき、興奮したよ。
でも『シン・エヴァ』で描かれた愛に比べたら、そんなのちっぽけなものだ。
だって王子様がお姫様を助けるなんて、ただのフィクションじゃん。
庵野秀明が鬱になって、スタジオに行くことさえできなくなったと知っていた。
ガイナックスで利用され、芸大時代の友から裏切られて、作品は叩かれて。
だから『シン・エヴァ』の大半は他のスタッフに任せるか、あるいは全部ひっくり返してめちゃくちゃにするかのどちらかだと思っていた。
でも庵野秀明は、それを真正面から向き合った。
信じられない。でも庵野はやったのだ。
「試写会に行った知り合いが、一人も面白いって言ってないんだよね(笑)」って言ってた岡田斗司夫。それはお前にはわからないと思ったからだ。
庵野秀明はもうエヴァンゲリオンを創れないと書いた小山晃弘。それはお前が思う限界だからだ。
女キャラは聖女(レイ)と娼婦(アスカ)に分けられるとか言ったどっかの誰か。庵野はそこに25年かけて、妻(マリ)を追加したぞ。
「もう少しこうならよかった」とか言ってる奴ら。ちっさいこと言うな。男の旅立ちだ。祝ってやれよ。
インターネットのオタクたちは庵野秀明をオタクを苦しめて喜んでいると思ってる。
それって何年前のインタビューだよ。
『アオイホノオ』や『監督不行届』や各種ドキュメンタリーや、他の関係者の話を見てると、どうもそんな意地の悪い人には思えない。
嘘がつけない、特撮馬鹿だ。
よくも悪くも、自分がどう見られているかを気にしない人だ。
25年かかったけど、それは必要な時間だった。
人間はここまでできるんだ。
海猫沢めろんさんが「シン・エヴァはどうしたら大人になれるのかが描かれてなくて、アップデートされてない」と言ったのに対して
— 葉梨はじめ(山奥ニート) (@banashi) 2021年3月9日
滝本竜彦さんが「それはエヴァの仕事じゃない。僕たちの仕事じゃないか」
と言ってたの、めっちゃ格好良かった。
2020年の山奥ニート
2020年
1月
妻の実家で酒を飲みすぎて体調を崩す
2月
「ニート祭り」に今年も呼ばれて東京へ。レンタルなんもしない人、若新雄純さんと会う
3月
お隣の潤さんの誕生会を開く
ミニコミ誌「GOMI」Vol.1発刊
4月
集落の食事会
男性1人が新たな住人に加わる。リモートによって山奥から仕事をする人
新型コロナ流行が本格化。山奥にはあまり関係なかった。
5月
『「山奥ニート」やってます。』発売。即増刷かかる。
6月
NHKラジオ『マイあさ!』著者からの手紙
7月
NPO総会
女性セブン「ニートになるなら東京か?山奥か?」でphaさんと対談
印税使ってみんなで温泉旅行に行く
8月
子供連れの家族が見学に来て楽しかった
川遊び
新型コロナの影響から、見学者の受け入れ停止
朝日新聞に書評が載る
15歳の男の子が住人に加わる
9月
女性2人が住人に加わる
10月
J-WAVE『JAM THE WORLD』
読売テレビ『ten.』
朝日新聞「折々のことば」
烏骨鶏が孵化する
みんなで紅葉狩りに行く
11月
集落の祭り
ボイラーが壊れて数日水風呂。新しいのを買って18万円かかった
読売新聞『ここが僕らの生きる場所 共生舎の人々(1)〜(3)』
SUUMOジャーナル『月収2万円で「山奥ニート」歴7年。自分の価値や感情を生まれて初めて知った』
Discordサーバー「遁世主義者の集い」開設。参加者500人を超える
OculusQuest2を買う
共生舎に焚き火ブームが到来。薪ストーブも設置
12月
パーリー建築の宮原翔太郎さんに会う
M-1をみんなで見る
クリスマス会
雪が積もる
一部、月は間違ってるかもしれない。
今年は本を出したという安心感と、新型コロナによって引きこもりのお墨付きを国から貰ったせいで、何もしてない気がする。
取材はたくさん受けたけど、自分じゃ何もしていない。
もうちょっと頑張らないといけない気がする。
仕事をしない事が良いわけじゃなく、仕事をする事が良いわけでもない。
大事なのはバランスである。
来年はFANBOXで生き延びていきたい…。
炎上するラインがわからない
最近のインターネット、「なんでそれが炎上するの?」ってものが炎上していて、アウトとセーフのラインが全然わからない。
しかも、それをツイッターで言ったら「そんなこともわからないのか」とまた炎上する。
僕程度のフォロワーでは燃えあがらないかもしれないけど、風向きや湿度みたいな運次第でそうなるんなら、怖くて何も言えない。
というわけでFANBOXを開設しました。
全体に公開すると不味そうな記事は、有料公開にしてます。
料金は月額500円です。
FANBOXはnoteよりピンハネが少ないし、無料版で月額制にできる。何よりnote自体がきな臭い。
半分くらいは無料の記事にしますが、山奥ニートを支援してもいいなーという方はどうか、どうか。
pha『夜のこと』感想
phaさんは甘えるのが上手な人だな、と思う。
『ザ・ノンフィクション』で引っ越しのときに「困った困った」と言ってうろうろしてる姿が印象に残っている。
困ったときに素直に「困った」と言える人はしたたかだ。誰かが助けてくれるから。
僕は真逆で、なかなか甘えられない。
妻に「にゃー」とか言えるようになったのだって、本当にごく最近だもの。心を開くのに6年くらいかかっている。
僕はいつでも、つい格好つけたくなってしまうのだ。
『夜のこと』の主人公は、自分をよく見せようという欲がまるでない。
セックスを誘う瞬間の男なんか、世の中で一番気持ち悪くてみっともない。
でもその姿を、今日はじめて会った人に見せられちゃう。
ちょっと羨ましい。
僕にはできないな。
そもそも、僕だってテレビのドキュメンタリー出たり、本書いたりしてるけど、女性から「セックスしませんか」なんてメール来たこと一度もないぞ!
東京と山奥の違いなのかなぁ。
ずっと前、東京に住んでる友達に山奥来ないか誘ったら「まだ女と遊びたいから嫌」と言われたな。地元じゃまったくモテる奴じゃなかったのに。
そういうもんなのか。東京すご。
でも妻いるから別にいいや。
余計なトラブルに巻き込まれないことを、山奥にまたひとつ感謝しなければならない。
『夜のこと』は恋愛とセックスについて書かれた本だ。
でも作者が意図したのか、偶然なのか。
四十歳という年齢のことが作中ずっとベースラインのように鳴り続けている。
冒頭の
今年の終わりに僕は四十歳になる。人生で一番恋愛沙汰が多かった三十代が終わろうとしている。
歳をとるにつれて、少しずつ恋愛感情や性的衝動が減退してきているのを感じていた。ならば、記憶と性欲が薄れてしまう前に、体験したことを書き残しておきたい、と思ったのだ。
から始まり、彼女と別れたからと男友達を誘った温泉旅行では
もし彼女とここに来てたらどんな感じだったんだろうか。綺麗なリゾートホテルやディズニーランドが好きな彼女は、こんなひなびた温泉地はあまり好きじゃないだろう。
なんて思っている。ならそういうとこ一緒に行ってあげなよ。
小説を書くきっかけとなった「あの子」と焼き肉を食べるときもこの調子。
疲れ切っている今の状態では脂っこいものをそんなに食べたくはなかった。でも、脂っこいものはもういい、と断るのは自分が若くないことを認めるようで嫌だったので、彼女が注文するのに任せた。
そういう目線で追っていくと、主人公が作中最後に訪れる場所は意味深だ。
彼はストリップ劇場に行く。
そして考える。
ストリップを見ると、自分は本当にまんこを見たいのだろうか、ということをいつも考えてしまう。人の裸の体は美しいけれど、まんこはそんなに美しくないと思う。肉体というよりは内蔵っぽい。だけど、そこがさらけ出されると、つい見てしまう。見ると気持ちがよくなるわけでもないのだけど、じっと凝視してしまう。
衰退し、時代遅れの存在となったストリップ劇場は主人公自身とダブって見える。
そして、そのストリップについての主人公の考えは、それまでに登場した女性が主人公に寄せた思いにそのままあてはまるんじゃないか。
主人公の内面は美しいものではない。でもその天衣無縫ぶりは人を惹きつける。
つい見てしまうのだ。
他の人が隠して見せない部分を、晒しているから。
だからボロくなったストリップ劇場へわざわざ足を運ぶ人が、今でもいなくならないのだ。
生存ポイント
僕が「山奥ニート」ではなく「ただのニート」だった頃、世の中から置いていかれるのが怖かった。
世の中には「生存ポイント」という目に見えない数値があると思っている。このポイントが高いほど人生が生きやすくなり、低いほどちょっとした事で転落してしまう。
生存ポイントが高いのはどんな人だろうか。
体を鍛え、格闘技を習った人は戦闘力が高くて生き残りやすい。
でも、弱肉強食と言われる野生動物の世界ですら、単なる戦闘力が生存に繋がることは少ない。もしそうならアフリカ大陸はライオンだらけになり、ネズミは絶滅している。
いわんや人間社会をや。個人の戦闘能力の高さの差などに大した差はなくて、それよりもどれだけお金を持っているか、安定した職についているか、見目麗しいか、愛嬌があるかなどが生存ポイントに繋がる。
日々の暮らしの中で、生存ポイントは増減し続けている。
老いるほど生存ポイントは減っていく。お金が貯まるほど上昇する。経験を詰むことでも、新たな人と知り合うことでも増えていく。
世の中の人たちが仕事をして、経験とキャリアと信頼とお金を得て、毎日どんどん生存ポイントを積み重ねていくのに、部屋に閉じこもっているニートの僕はまったく生存ポイントが増えず、どんどん生きづらさが増していく。その状況が恐ろしくって、朝を迎えるたびに叫び出したくなった。
でも働く気は全然起きない。外にでかけて知り合いを作れば生存ポイントは上がるだろうけど、それには莫大な体力が必要だった。
僕はせめて暇つぶしの中で少しでも生存ポイントを稼ごうと思って、将棋のゲームをやっていた。
RPGやアドベンチャーゲームに比べて、将棋のほうが生存ポイントがほんの少し高いと思ったからだ。だってほとんどのゲームはリリースされてから5年も経てば飽きて辞めるけど、将棋ならこれからの人生の中で誰かと指すことがあるかもしれない。そのときに強ければ、気に入られて何か奢ってもらえるかもしれない。
アニメや映画で気に入ったものがあったときは、ブログに書くことにした。見っぱなしより、文章を書くことによって、僕のことを好きになってくれる人が現れたり、自分の文章を書くスキルが身につくと思った。
もちろん、そんなせこせこした生存ポイントの稼ぎ方をするより、働いたほうがずっといい。1日働くことで得られる生存ポイントを100とするなら、こんな遊ぶゲームを選ぶことによる生存ポイントは1とか0.1でしかない。
でも、その差によって僕がニートできなくなる瞬間が早まるとしたら。
そう思って、少しでも生存ポイントが高いと思うほうを選んできた。
正しかったのかは分からない。ゲームの選び方の話だって、考えようによっては、流行のゲームを遊ぶことで出会った人と世間話ができるし、誰も知らないようなマイナーなゲームをプレイしていることで、偶然それをプレイした人と会えたとき、意気投合するかもしれない。
ただ、生存ポイントを意識すること自体は、意味があることなんじゃないかと今でも思っている。
僕は将棋ゲームをしていたことでお年寄りと一局指すことができたし、ブログに文章を書いていたから本を出版することができた。
都会に行ったときや無料アプリを開いたときに出る広告は、僕の生存ポイントの増減を気にしない。むしろ消費者の生存ポイントが下がるほど、経済はよく回るようになる。逆に生存ポイントが上がることが、大々的に宣伝されることはない。
現代社会において、ニュートラル状態の人間は生存ポイントが低くなるほうへ流されていく。だってそうなるように、広告会社の人は毎日知恵を絞ってるんだから。
だからAとB、ふたつの事から選ぶとき、生存ポイントが高そうなほうをほんの少しだけ価値を高く見積もって選んだほうがいいと思う。
……なんかこういうこと言うと、本屋に平積みにされてるキャリアポルノみたいだ。
生存ポイントを身につけるために、生活を歪めるのは野暮だ。
そんなの長続きしないし、窮屈だ。僕はぶよぶよのお腹を引っ込めるために運動すれば確実に生存ポイントが上がるんだけど、ダイエットって大変そうで全然できない。
生存ポイントを集めること自体が目的になってる人をたまに見かけるけど、それはそれで自分の意思で選択しているのか疑問だ。
僕は山奥ニートとして遊んでいる中で、無理なく取れそうな生存ポイントを取っているだけ。
繰り返すけど、ちゃんと仕事すれば何百倍もの生存ポイントが得られると思うよ。
それができない僕は、わずかな生存ポイントをかき集めて、少しでも引き離されないようにしてるんだ。