コロナ渦と1億円もらえるボタン
突然ですが、問題です。
Q1.「押すと人類が0.1%の可能性で滅ぶけど、1億円もらえるボタン」があったらどうしますか?
Q2.人類滅亡の確率が10%だった場合と、0.001%だった場合、何か変わりますか?
Q3.そのボタンが無数にあり、多くの人の手に渡っているなら、どうしますか?
TwitterとDiscordで聞いたところ、いろんな意見がありました。
A1.押さない
A2.変わらない
A3.他の人が押そうとしているのを見たら、阻止する
A1.非課税なら押す!
A2.変わらない
A3.人類全員に押させないのは無理ゲーだから諦める
僕の答えは
A1.うーん、押すかどうかはその時になってみないとわからない。
A2.確率が変わっても結論は変わらないと思う。それよりも、その時自分がどのくらいお金を持っているかで押すか決める。
A3.周りの人に「自分は押すけど、押さない人には千円あげる」と言う。これなら人類滅亡のリスクを減らしつつ、自分は利益を得られる。
Q3の答えは「わからない」や「どうしようもない」が多かったです。
この問題で、何が聞きたかったのかというと、新型コロナにまつわるあれこれは突き詰めるとこの問題だと思うからです。
ボタンを押す=感染症を気にせずに活動する
ボタンを押さない=自粛して活動をやめる
ということ。
感染症が車の事故と違うのは、被害が指数関数的に増えていくことです。感染者が感染者を増やす。感染者が増えることで、新たな変異型が生まれて、人類の手に負えないウイルスが誕生してしまうかもしれない。
日本の2020年の死亡者数は例年より減っているのですが、新型コロナを注意し続けなければならないのはその再生産性が理由があります。
自分1人がボタンを押す(会食したり旅行する)だけならほとんどリスクはないですが、みんながボタンを押すと人類が滅亡する確率は現実的なものとなります。
こうした囚人のジレンマじみた状況がこの2年近くのコロナ渦です。
人類の滅亡を願い、ボタンを連打する人が現れるんじゃないか、と予想した人が複数いましたが、現実では意外と少なかったですね。
2020年前半は「俺はコロナだ」おじさんがニュースで報道されることはありましたけど、最近ではまったく聞きません。
日本の今の現状は、ボタンを押す人は叩かれるので、みんなまだ押していない、という感じですね。でもそれもそろそろ限界に近そうです。
Q1でボタンを押すべきかどうかって、議論のしようがないと思うんですよ。
だって、明日のご飯も心配なほど貧乏な人は絶対に押すでしょう。養わないといけない家族や社員が多い人だって、押して1億円を分け合いたいはず。
一方で、今の生活に満足している人や、健康な強者は押さない。人類の未来がこれから良くなると思ってる人も押さない。
その人が置かれている立場で、押すかどうかは決まってしまうはずです。
借金で殺されそうになってる人に「押すな」と説得してもまったく意味ない。
このように、新型コロナでどれくらい自粛するかって完全にポジショントークなんですよ。
話は平行線で、それぞれ意見を言ってもただの自己紹介にしかならない。
そこでQ2です。
議論の余地があるとしたら、リスクとリターンについてです。実はボタンを押して人類が滅亡する確率が0.1%ではなく10%だったら、あるいは0.001%だったらどうでしょう。
その確率だったら意見を変える、という人をまだ見ていません。
というのも、天秤の片方に乗っているのは全人類の未来だからです。そんな大きなものの重さなんて、どうやったって測れない。数値化できないから、数字同士で比較することもできない。
だから、新型コロナがどれだけ脅威であるのか、あるいはどれだけ脅威でないのかを数字で表しても、それで意見を変える人は少ないんじゃないかと僕は思います。
Q3は社会全体の話です。僕が答えた
周りの人に「自分は押すけど、押さない人には千円あげる」と言う。
というのは、新型コロナに置き換えると、休業要請と補償ということになります。
いくらあげるかは難しいですね。今の日本はこれを一部の人にだけやってる感じです。
もっと強行な手段としては「国がお金払ってボタンを買い取る」とか「ボタンを押した人は刑罰」がありますね。ロックダウンとかそういう感じなんじゃないでしょうか。
もっと素晴らしい、みんなが得する妙案があればいいんだけど。
さて、Q3の「「押すと人類が0.1%の可能性で滅ぶけど、1億円もらえるボタン」があり、それが多くの人の手に渡っている場合、どうするのが得なのでしょうか。
一番得なのは、自分だけが押して、他の人は押さない状態です。国や大企業は今まさにそうしてオリンピックやってますが、当然大きな反発を受けています。
二番目に得なのが、誰も押さない状態です。これなら自分の命が脅かされることがないですからね。「自分は押さないから、みんなも押さないで」と宣言すると、周りから信頼を得られて更にプラスです。同調圧力を上手く使っていきましょう。
三番目に得なのが、早く自分が押してしまうことです。みんなが押し始めたあとでは、すぐに人類が滅亡してお金が使えないかもしれない。だから押すなら1秒でも早いほうが得です。
押すか迷っている間に他の人が押していった結果、人類が滅んだり、ボタンを押すのが法律で禁止されるのが一番損です。
ましてや「自分は押す」と宣言したり「みんなで押せば怖くない」と仲間を募る弱虫は、まったくもって非合理です。得することがないです。「人類滅亡するなんて嘘だ」と信じない人もいますね。
で、僕はどうなんだ。たまに妻に会いに山を降りたり、取材の人が来ることはある。でも、基本的にはひきこもっている。
共生舎として、短期滞在の受け入れは停止している。
でも僕自身は山奥にいるおかげで、コロナ渦にどう向き合うのか、決めないままここまで来ている。僕の目の前には、まだボタンが届いていない。
この2週間、リビングにいるときはなるべくオリンピックを見るようにしていたけど、ついぞ素直に応援する気持ちにはならなかった。やっぱりどこか心に曇りがあって、選手に罪はないと割り切れずにいる。
「山奥ニート」という考え方の中には、少なからずアナーキズムがある。同調圧力なんてクソ喰らえファッキン。オラぁいちぬけた。
その一方で、7年間のここでの暮らしで共同体というものについて考える時間が増えた。所属、公共、市民。そうした概念がなければ、シェアハウスは成り立たない。
取材でたまに聞かれる。
「日本人のすべてが山奥ニートになったらどうしますか?」
ずるい質問だと思う。ならば全員がマスコミになった社会はどうなるんだ、と屁理屈を言いたくなる。
僕にはコロナ渦での行動も、山奥ニートも、原発も、自然破壊も、全部同じ問題に思える。
カント曰く「汝の意志の格率が、常に同時に普遍的立法の原理として妥当しうるように行為せよ」(『実践理性批判』)
まぁ要するに「全員がお前と同じ行動をしても、大丈夫な行動をしろ」
厳しすぎないか、カントさんよ。
山奥ニートはそうなっているんだろうか。
新型コロナへの態度はそうなっているんだろうか。