山奥ニートの日記

ニートを集めて山奥に住んでます。

山奥ニート、義実家でニートする

2022年8月から2023年4月まで、和歌山県の山奥を離れて、青森県にいました。

妻の里帰り出産に付き添って、義実家に居候していた形です。

里帰り出産は、妻だけが帰省して、夫は仕事を続けるのがふつうだということは知ってます。

でも夫が無職の場合は、どうするのがふつうなんだ?

山奥に僕がいなければならない理由は特にない。

医療の進歩によって出産の安全さは上がったが、それでも母体が死ぬ可能性はあるわけで。

妻が死ぬかもしれないし、死ななくても死ぬほど痛い思いをするのは確定している。

いつもと変わらずのほほんと山奥でニートしているのはちょっと薄情なので、腹の大きい妻の介助のために僕も義実家に行くことにした。

僕の住む山奥(和歌山)から妻の実家の青森までは、飛行機に乗らなくてはならない。

臨月になったとき、飛行機の中で放射線を浴びるとあまりよくないらしいので、予定日のニヶ月前に青森に行くことにした。

帰りは生まれた子供が飛行機に乗れるくらい頑丈になる、生後半年くらいと予定。

そういうわけで、青森のお義父さんお義母さんの家で、8ヶ月過ごすことになった。

うーん、大丈夫だろうか。

いや、一流のニートを僕は目指している。

一流のニートは、他人の実家であっても上手くニートできなければならない。

これまで僕が培ったすべてのニート力を発揮するぞ!

と意気込んで、義実家へ。

   ***

妻は盆と正月のたび、できるかぎり実家に帰っていて、僕も他に予定がなければ同伴して何度かお義父さんお義母さんに会っている。

子供が生まれてからは子育てにてんやわんやになるだろうが、生まれるまではあとニヶ月ある。

その間に、ニートの僕にしかできないことをやらなければ。

お義父さんお義母さんは、共に仕事が大変忙しい。

そのせいなんだろうか。僕は義実家を訪ねるたびに、この場所は時間が止まったようだと感じていた。

妻とその弟が、小学校の図工で描いただろう絵、作文コンクールの賞状、ディズニーランドの入場券などがリビングや寝室に飾ってあって変色している。

大小さまざまな家族写真がリビングには置いてあるが、そのどれもが妻が小学校に入る前のものだった。きっと、そのあたりからお義母さんの仕事が忙しくなったんだろうな。

金色の立派な置き時計が分厚いホコリを被っていたのは、象徴として出来過ぎていた。

リビングの端や廊下には、お義父さんが仕事場から持って帰ってきた書類が何層にも積み重なっていて、壁が見えないほどであった。

おまけに、お義父さんは仕事をしながらお酒を飲んでそのままリビングで寝てしまうことも多かった。

それをお義母さんがお義父さんに怒る。

お義父さんはその瞬間は従うが、書類を片付けようとはしない。

この一連のやりとりが、儀式のように毎日毎日繰り返されている。

僕と妻が長期滞在するこの機会を逃したら、その繰り返しは更に10年20年続いていくように思われた。

   ***

さあ片付けるぞと意気込んだものの、妻が一緒にやるとはいえ、いきなりやってきた僕があれこれ手を出すのはなまいきだ。まずは信頼を作らなくては。

まずはニ階にある、妻が子供の頃使っていた部屋を片付けることにする。

この頃、妻は妊娠9ヶ月で、大きなお腹ではニ階に上がるのも大変だったので、僕が中心となって片付けることになる。

妻の物はあまり多くなかったが、ここ数年、この部屋は義弟の趣味の倉庫のように使われている。具体的に言うと鉄道模型ジオラマのための発泡スチロールや木材が置いてあった。義弟に連絡を取ると「捨てちゃ駄目」とのことなので、車庫に運ぶ。

僕が大学生になったとき、自分の部屋はほとんどそのままにして、実家を出た。盆や正月に実家に帰ると、母から片付けてほしいと言われたが、地元の友達と遊ぶほうを優先して何年も放置していた。実家の自室はいい倉庫だったのだ。

そのうち、僕の部屋はいつの間にか片付けられていた。あれ、いろいろ捨てられちゃった!?、と一瞬疑ったが、僕の漫画やCD、ミニ四駆や古いポケモンカードなどは一つ残らず綺麗にダンボールの中にしまわれていた。

高校生の頃だったら「ババア俺のものに触るんじゃねえ!」と憤ったかもしれないが、そのときは還暦を過ぎた母が一人で僕のおもちゃを片付けているのを想像して、胸が傷んだ。

時が経って今僕は、部屋を片付けずに家を出ていった義弟の鉄道模型ダンボールにしまっている。お義母さんからは「あらたさんがそんなことしなくていいのに」と言われたが、これは平行世界の僕の部屋を片付けているのだ。因果からは逃れられない。

さて、妙な感傷に浸りながらも、元・妻の部屋=義弟のおもちゃ倉庫が片付いた。

義弟とお義母さんの関係はちょっと今微妙なようで、お義母さんはこの部屋に手出ししづらかった感じがある。それを片付けたことで、できるニート、という一定の評価が得られただろう。

第二段階に入る。

   ***

仕事から帰ってきたお義父さんを、物を一つもなくして、ピカピカに掃除した元・妻の部屋に案内したら、驚いていた。

そして「ここをお義父さん専用の部屋にしませんか」と提案。

お義父さんは「夫婦で一緒に寝られないのは寂しいなぁ」と冗談を言ったが、嬉しそうに思えた。自室ができると聞いて、悪い気がする人はいない。

お義父さんの布団とローデスクを部屋に運び込む。

空っぽにした本棚に、お義父さんの仕事に関係する雑誌をきれいに並べる。

なかなか良い部屋に見えるようになり、お義父さんも喜んでくれた。

お義父さんが自室を持つようになって一週間くらい経った。

「赤ちゃん生まれるとき、ちょっと今のリビングだと物多すぎるんで、リビングにあるお義父さんの書類を部屋に運びますね」とさりげなく言う。

お義父さんは無限に仕事の書類を持って帰ってくる。

しかしその癖を変えるのは無理だろう、というのが僕と妻が出した結論だった。

問題は、書類を家のリビングや廊下に置くことなのだ。

お義父さんがお義父さんの部屋に物を増やすかぎりは、なんの問題もない。

その書類を捨てなければならないだろうが、僕にこれを捨てる権限はない。お義父さんは「そのうち片付ける」と言うが、妻によると20年はそのままらしい。

リビングや廊下に山となっていた書類を、すべてお義父さんの部屋に運び込む。

部屋いっぱいになるかと思ったけど、書類をダンボールに入れてちゃんと積んだら、仕事するスペースと布団を敷くスペースは残った。

お義母さんには、これからお義父さんが書類をリビングや廊下に置いたら、お義父さんの部屋に運んでください、とお願いする。

なかなか人の癖は治らないから、ニ階のお義父さん部屋に持っていくのではなく、再びリビングや廊下に書類が置かれることが予想される。

お義母さんもお義父さんと同じくらい仕事が忙しいので、リビングや廊下のお義父さんの書類に対して「なんで私が片付けないといけないんだ」という風に思っている様子だ。でも運ぶ場所が決まっていて、運ぶ許可も取らなくていいなら、やってくれるハードルは低いのではないかと予想した。

しかし、僕の失礼な予想に反して、お義父さん専用部屋を作って以降、お義父さんは仕事場から書類を持ち帰ることはあっても、それをきちんと自室まで運ぶようになった。

お義母さんの逆鱗の触れることも少なくなり、家を片付けることで、片付く以上の意味があったなと妻と何度も称え合った。

この文章を書いているのは、この義実家の里帰り出産を終えた後だ。

とりあえず僕がいた間は、この大改造以降僕が特別なにかする必要もなく、この片付けた結果が維持されていたとここに書いておこう。

   ***

最後に、リビングに貼ってあった妻や義弟の賞状や絵画を剥がさせてもらった。

色褪せ、黄ばんでいたことを理由にしたが、本当のところは、妻や義弟の過去の姿が残留思念のようにこの家にとどまっているように思えたのだ。

今の妻だって子供の頃とは違う方向でかわいいし、義弟は同棲始めて立派に自立してる。そういう「今」を見てほしくて、写真立てに入っていた写真を、何枚かここ数年の間に撮られたものと入れ替えた。さりげなく僕も写っている家族写真も一枚入れた。

僕の子供――お義父さんとお義母さんにとっては初孫が生まれたら、そのときまた写真を更新してほしいと思う。

この義実家改造計画は、すごく差し出がましいことであると自覚している。

でも僕の若さゆえのでしゃばり、ということで大目に見てもらって、その結果何か少しでもいい方向に行ったらいいなぁと思ってやったことだ。そのうち笑い話になるだろう。

まぁこれが、義実家にいる間タダメシを食べさせてもらったニートの僕なりの恩返しなのです。

次に帰省したとき、元に戻ってないといいなぁ……。