山奥ニートの日記

ニートを集めて山奥に住んでます。

山奥ニートやめます

 最初に言っておくと、僕は山奥ニートを辞めますが、山奥のシェアハウス共生舎は引き継いでもらって残ります。

現在、住人募集中ですので、まずは見学にどうぞ。

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時下ますますご清祥のこととお喜び申し上げます。

このたび、葉梨はじめこと石井あらたは2024年2月1日をもちまして、山奥ニートを辞めることとなりました。

このブログやツイッターを見てくださった方、『山奥ニートやってます』を読んでくださった方、ほしいものリストを買ってくださった方、共生舎を訪れてくれた方、みなさんには大変お世話になりました。

僕が山奥に来たのは2014年ですので、ちょうど10年山奥ニートをやっていたことになります。

急に山奥ニートを辞めると聞いて、驚かれた方が多いと思います。

こんな日がいつか来るような気がしていたような、この山奥に骨を埋めるつもりだったような。

「なぜ?」と訝しむ方もいらっしゃるかと思いますので、簡単にですが理由を書いておこうと思います。

 

1.山奥は保育園や学校が遠い

僕には1歳の子供がいます。

今住んでいる廃校舎から、一番近い保育園や学校までは車で1時間かかります。小学校にあがればスクールバスが来てくれるそうで、実際に移住してきた人のお子さんはバスで数十分かけて学校に通っています。(僕が住んでいる集落よりは町に近い場所ですが)

なので、山奥に住みながら義務教育を受けさせるのは無理ではないのです。保育園だって僕が毎日送り迎えをすれば通わせることができる。

車に長時間揺られることになるわけですが、それをどう思うかは子供次第です。もし子供が嫌がるようなら山奥から引っ越さないとな、とずっと考えていました。

 

2.ももこさん家族が引っ越した

僕が住んでいる山奥のシェアハウス共生舎には、僕家族の他にももこさん家族が住んでいて、僕の子の1歳上の女の子が住んでいました。

その女の子はうちの子のお世話をするのが好きだったし(タオルで顔拭いたり、おもちゃを渡したりする)、うちの子はその女の子の真似をすることがあります。年齢的にまだ2歳と1歳なので、一緒に遊ぶという感じではないけど、そのうち友達になっていくのだろうな、という感じがしていました。

しかし、ももこさん家族はここ半年くらい保育園の距離の観点からずっと引っ越しを考えていて、今年11月にはついに引っ越しが実行されました。

そうすると、子の遊び相手がいなくなって、山奥にいる利点がひとつなくなりました。

他の住人は、毎日30分くらい遊んでくれる人、僕がトイレの間見ていてくれる人、まったく関わらない人、など子への反応は様々です。

月に数人、見学者として新しい人が来るのですが、そういうときは子は新しい人をじいっと見て、何かの情報を得ているようです。その点はすごくいい刺激になっていると思います。

でも、保育園の代わりになるほど遊んでくれるわけでは当然ないので、今の時点ですら子供が暇してしまうことが多くなっています。

 

3.山奥で子供を遊ばせるのは危ない

山奥では自由に子供が過ごせるとイメージする方が多いと思います。確かに外で大きな声出しても怒る人はいません。

その点はいいんですが、田舎を超えて山奥であるこのあたりは平地が少なく、少ない平な土地でもすぐ崖になってることが多いんです。小学校高学年くらいになれば自分で気をつけられるんでしょうが、小さいうちはつきっきりで見てないと危なくてしょうがない。

車道には割れたサイドミラーの破片が落ちていたり、スズメバチがそこらへんを飛んでいます。人がいないから、環境を整備する人がいないんです。

子供を育てながら周辺の整備をしていく元気は、僕にはない……。

 

4.共生舎の平等さ

シェアハウスで子育てなんて正気じゃない、と思われる人がいるかもしれません。まあ僕もとりあえずやってみようという感じでスタートしました。

前例はいくつかあって、ギルドハウス十日町、共育学舎には子供がいます。コミューンやエコビレッジで子供を育てるのは昔から行われてます。

とはいえ、基本的には「オーナーの家族+長くて数年で入れ替わる滞在者」という感じでオーナーが大黒柱になっている印象です。

我らが共生舎は法人格があるし、もともと始めた初代理事長が亡くなっていることもあり、誰がオーナーかという意識はなくて、みんな割と平等に権限があるという感じです。

たとえば家が燃えても、法人としては困るけど誰か個人の財産が失われるわけではない。

そんなところが気楽なんですが、じゃあ子供を育てるってなったとき、その責任の所在の曖昧さは仇になります。
子供と共生舎住人の利益が相反したとき、どっちを優先するのか。

最近の具体的な例では「リビングを子供がいるのは危なっかしいから、子供をリビングに連れてこないでほしい」という意見が出ました。

この件は結局、リビングにベビーサークルを設置して基本的に子供はサークルの中に、という形にしたのですが、もうこういう意見が出た時点で何かが破綻している。他の住人の意見も尤もなんだけど。

この10年の間、共生舎にはいろんな人がいました。
・10代~40代
・男/女/その他
・健常者/手帳持ち
・時には国籍が違う人も
しかしそれでもこんな山奥に来る人はどこか似たところがあったのだと思います。

でも子供は決定的に違う。

「オーナーの家族+数年で入れ替わる滞在者」という形式だったなら、違いがあっても優先順位がわかりやすくてもっと楽なのかもしれません。

そっちの方向に舵を切るという選択肢も一度は考えました。

でも、共生舎みたいな曖昧な場所って他にはないと思うんです。

共生舎は今のままの体制がいいし、それを他ならぬ僕が壊してしまいそうなので引っ越そうと思いました。

 

5.妻のリモート勤務が終わった

妻は出産前までリモートで名古屋の会社に勤めていました。

しかしコロナ禍もそろそろ忘れられ、社内でリモート勤務の人がサボってたとかでリモート廃止の流れに。

辞めるとか個人事業主として請け負うとか選択肢はあったんですが、上記の理由もあるなら名古屋に引っ越してしまえばいいじゃん、と思ったのが引っ越しを考えたきっかけです。

ちなみに名古屋には僕の両親が住んでいて、近くに住む僕の兄の子を週末によく預かっているそうで、それにあやかれないかなという算段もあります。

 

6.自分が山奥でできることはやりきった

新しい住人が来ると、新しい何かをみんな始める。

でも最近は正直に言うと、以前いた住人がやったことと同じだと思うようになってしまった。実際は同じじゃないけど、そう思うようになってしまった。

僕は、山奥での生活に新鮮味を感じなくなったのでしょう。

共生舎がどんどん変わっていけば新鮮に感じるだろうけど、ゲストハウスやカフェや物品販売などビジネスの方向に行くのは目新しさがないし、かといって福祉方面に行って補助金もらって大きくするのもなんだかなぁ。

僕がいなくなった後にやるのは全然いいと思うし、むしろそうやって変わっていったほうがいいんだけど、僕が本心からやりたいと思わないことを、僕が率先して進めることはできない。

僕がこれ以上共生舎にできることは今見当たらないし、これから数年は保つくらいに安定したと思うから、やりきったと言っていいでしょう。

 

7.「ありものでなんとかする」からの変化

山奥ニートはビジネスではないし、なにかの目的がある活動じゃない。だからコンセプトみたいなものはありません。

でも僕なりに、山奥ニートという生活を始めたときにに感じていた面白さがあります。

それは、日本社会から要らないと言われたものが、日本社会から要らないと言われた場所に集まっていることです。

利用価値がない限界集落に、就職できないニートが集まり、型落ちのゲーム機や使われなくなったキャンプ用品を使って暮らす。

その暮らし方は映画『ファイトクラブ』に憧れる若い僕にはより人間らしい暮らし方に思えました。

持っている物がお前を束縛する。

僕は文明の思い上がりの象徴ともいえる物質文明主義を拒否する! 

職業がなんだ? 財産がなんて関係無い。車も関係ない。財布の中身もそのクソッタレなブランドも関係無い。

人間は歌って踊るだけのこの世のクズだ。

初代理事長が亡くなってからは「ニートたちだけでできるかぎりやってみよう」と思ってやってきたので、何年続くか予想がつかなかったのもその考えを後押した。

この、「あるものでなんとかする」という方針には、「設備投資を重視しない」という姑息な面もあります。

住み始めたときから床に穴が空いていたけど、またいで通ればいいと直す必要性を感じません。

すべてのものは仮初め。人生は死ぬまでの暇つぶし。

しかし、子供が産まれたことでこの考えのままではいられなくなりました。床に穴が空いていると、子供が危ない。

今まではニートだったから、どんなに暑い夏でも寝転がって扇風機に当たってぼーっとしていた。気が向いたときは川に行って涼んだ。そうしていつの間にか秋になっていた。

しかし子供がいるとそうはいかない。

冷暖房をつけないと子供の眠りは浅くなり、わかりやすく深夜起きる回数が増える。子が起きたら親も起きて寝かしつけなければいけない。それがしんどいので、今年の夏は四六時中冷房をつけていました。

エアコンに頼るなら、古い家は効率が悪い。

不便さを受け入れず、お金で解決しようとするなら山奥に住む利点はないです。

 

8.まとめ

秋頃のある日ふと、山奥を離れる選択肢もあるのか、と頭に浮かんだ。

その瞬間、にわかに心が踊ったのを覚えています。

山奥以外で暮らすということが、僕にとっては新しくてワクワクすることに思えた。

共生舎は僕がいなくても続いていくだろうし、他に共生舎みたいに地方でシェアハウスをする人も増えています。

ここまで書いてきたことのうち、どれが本心でどれが後付けなのか、書いている僕にもわからない。

もっと単純に、そろそろ別のことをしたくなる頃合いだったのかもしれない。

ニート若年無業者)」の定義は34歳まで。僕はこの前の誕生日で35歳になった。いろいろとちょうど良い。

一番の心配は、子供のことだった。

山奥ニートをしながら子育てすれば、シェアハウスの住人や見学者、地域の人など大人をたくさん見せられる。子はそれを教師にしたり、反面教師にしたり、自分で選んで学んでいくだろう。

山奥ニートを辞めて、核家族で街なかに暮らすようになっても、子に多様な世界を見せられるだろうか。

僕自身も、山奥ニートと同じくらい自分が面白いと思えることを見つけたい。

名古屋に引っ越したあと、何をやろうね。

ZINEとかミニコミ誌とか?

 

9.最後に

このツイートの後、2人長期滞在が新しく増えました。

でも僕が離れることでまた部屋が空くので、どんな場所か見に行って住めそうならいかがでしょうか。

僕が山奥ニートをやめることをもって、過疎集落に人は住むべきじゃないとか、地方移住は失敗するとか、シェアハウスはだめだとか、そういう風には言わないでほしいです。

過疎集落に移住して子育てをしている人はいるし、最初に書いたとおり山奥のシェアハウス共生舎は続いていきます。

僕は10年山奥で暮らして楽しかったし、山奥で暮らしたから結婚して子供ができたし、山奥に来てよかった。

山奥ニートは未来の何か新しいものに続いていると確信しています。

それを見届けることができないのは少し残念かな。

 

   ***

共生舎の住人を除いた集落の住人は、ついに2人になった。

そのうちの一人である、ずっとお世話になっている潤さんに僕が引っ越すことを伝えたのは一ヶ月程前。

潤さんは肩を落としてがっかりしていた。

あんなに人が失望するところ初めて見た。

いずれ山奥から離れるとしても、81歳の潤さんが亡くなるまでは山奥ニートを続けるべきだったのかもしれない。

潤さんだけじゃない。共生舎の亡くなった初代理事長は僕が辞めると知ったらどう反応しただろう。

どこで知ったのか、他の地域の人と会ったときに「頼むから出ていかないでほしい」と泣きながら肩を掴まれたことがあった。

エゴサしたら「山奥ニートなんて所詮、いつでも山奥を離れられるお遊び」というツイートがあった。

僕はどうするのが正解なのか。

答えられないまま、引っ越しの日程が近づいてきた。

集落のもう一人の住人、Kさんに僕が引っ越すことを伝えると、Kさんもやはりがっかりした様子で、しばらく無言になった。

Kさんは生活保護を受けて、一人身でずっと山奥の集落に住んでいる。自らを「計画的国賊」と呼び、山奥ニートの先輩のような存在だった。

別れ際、Kさんは口の片端をあげてシニカルに笑って、

「お前も、それなりの人生をな」と言った。

僕にはそれが疑いようもないエールだとわかった。

良い人生でもなく、悪い人生でもなく。

それなりの人生。

その人なりの人生。

僕なりの人生。

ここ数日の山奥は急に寒くなって、朝から晩まで雪がちらちら降っている。でも昼間にはすべて溶けて積もらない。

別の集落では積もっているらしい。この集落は川の近くだから、気温が安定しているのかもしれない。

何かそう聞いたわけではないけど、流れているものの側は冷え切ってしまわない気がする。

それでも寒いには違いないから、パネルヒーターに手を当てながら、キーボードを打ちました。

 

 

 

 

 

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