3年前の3月27日、僕は山奥に住み始めた。
最初は僕ひとり。ジョー君も一緒に住む予定だったけど、少し和歌山観光がしたいと言って、最初の数日は旅に出ていた。
これは初めて和歌山に向かっている時、電車の中で撮った写真。
これからものすごい事になるという予感がして、たくさん写真を撮った。
それは本当になりかけている。
最初に山奥に行こうとした時、迷いはなかったのか、よく聞かれる。
答えはまったくなかった。
その時、僕はひきこもり状態だった。ネットで活動はしていたけど、リアルで人に会うことはほとんどなかった。25歳、大学中退。職歴ナシ。
いまさら就職活動する気はなかった。バイトだってろくに出来ない男が会社で上手くやっていけるとは思えない。
捨てるものなんてなかった。
ある日、この世界の文明が滅びて、電気も食べ物も住む家もなくなったら面白いと思ったことはない?
サバイバルだ。自分の持っているものをフル活用しないと生き残れない。
それは、今の世の中で25歳職歴ナシとして生きていくより楽しそうに思えた。
山奥で住むのはそれと同じことだ。
ここは火星だ。
人間は僕ひとりだ。
でも奇跡的に電気は来ているらしい。インターネットで地球との交信も可能だ。
これから畑を開拓すれば、食料は手に入る。水は問題ない。
古代文明の遺産のおかげで、屋根の下で眠れる。
次は何をしよう?
僕が山奥に最初にしたことは、ニコニコ生放送だった。今も続けている。とにかく人が必要だ。深いことは考えてなかった。
空き家がたくさんある。無料で住める場所がある。家賃を払わなくてよかったら、生き方の可能性はグンと広がる。
放送のタイトルを決めないと。ネットのコンテンツを見るかどうかは、タイトルとサムネだけで判断される。わかりやすくて、それでいて少しマヌケな感じがする名前。
最初に住んでいたのは古民家で、今の小学校だった建物に引っ越したのは2年前だ。
この家のままだったら、今ほど人は来なかっただろう。
今の建物を使うことができたのは、本当に単なる偶然。もしくは不思議な縁だ。
最初はひとりから始まったけど、今は15人が住んでいる。
元小学校の建物を母屋にして、僕が住んでいる離れと、ヨシ君が住んでいる小さな小屋と、新しく借りた空き家。
2017年の3月27日は、よく晴れた暖かい日だった。
村の人からみかん採りを頼まれて、何人かが出動した。
旅館の仕事に行くために、車に乗って1人が出かけていった。
僕は久しぶりに部屋に帰ってきたので、布団を干したくなった。でも干すためにはまずベランダを綺麗にしなきゃいけないと思い、欄干を雑巾で拭いた。
みかん採りにしては戻ってくるのが遅い。どうやら畑いじりもしてきたようだ。
お隣さんを訪ねてきた人に、ベランダから「今日は出掛けたんじゃないか」と声をかける。
そろそろ誰かが晩ご飯を作り始めた時間だ。居間に行って手伝おうか。
3年後はどうなってるんだろう。
たとえば火事で家が焼けたら、その上にテントを建てて住もう。
そうなったら今いる人の大半はいなくなるかもしれないけど、そのうちまた新しい人が来るだろう。
まぁなんとかなるさ。もし駄目だったらなんて考えてもしかたがない。
人類がフグを食べられるようになるまで、何人も死んできたのと同じだ。山奥ニートが失敗して、僕がホームレスになってのたれ死んだら、それを見つけた人はどうか他の誰かに伝えてくれ。その部位は食べられない、毒がある。それがわかるだけで僕の生きた価値がある。