phaさんは甘えるのが上手な人だな、と思う。
『ザ・ノンフィクション』で引っ越しのときに「困った困った」と言ってうろうろしてる姿が印象に残っている。
困ったときに素直に「困った」と言える人はしたたかだ。誰かが助けてくれるから。
僕は真逆で、なかなか甘えられない。
妻に「にゃー」とか言えるようになったのだって、本当にごく最近だもの。心を開くのに6年くらいかかっている。
僕はいつでも、つい格好つけたくなってしまうのだ。
『夜のこと』の主人公は、自分をよく見せようという欲がまるでない。
セックスを誘う瞬間の男なんか、世の中で一番気持ち悪くてみっともない。
でもその姿を、今日はじめて会った人に見せられちゃう。
ちょっと羨ましい。
僕にはできないな。
そもそも、僕だってテレビのドキュメンタリー出たり、本書いたりしてるけど、女性から「セックスしませんか」なんてメール来たこと一度もないぞ!
東京と山奥の違いなのかなぁ。
ずっと前、東京に住んでる友達に山奥来ないか誘ったら「まだ女と遊びたいから嫌」と言われたな。地元じゃまったくモテる奴じゃなかったのに。
そういうもんなのか。東京すご。
でも妻いるから別にいいや。
余計なトラブルに巻き込まれないことを、山奥にまたひとつ感謝しなければならない。
『夜のこと』は恋愛とセックスについて書かれた本だ。
でも作者が意図したのか、偶然なのか。
四十歳という年齢のことが作中ずっとベースラインのように鳴り続けている。
冒頭の
今年の終わりに僕は四十歳になる。人生で一番恋愛沙汰が多かった三十代が終わろうとしている。
歳をとるにつれて、少しずつ恋愛感情や性的衝動が減退してきているのを感じていた。ならば、記憶と性欲が薄れてしまう前に、体験したことを書き残しておきたい、と思ったのだ。
から始まり、彼女と別れたからと男友達を誘った温泉旅行では
もし彼女とここに来てたらどんな感じだったんだろうか。綺麗なリゾートホテルやディズニーランドが好きな彼女は、こんなひなびた温泉地はあまり好きじゃないだろう。
なんて思っている。ならそういうとこ一緒に行ってあげなよ。
小説を書くきっかけとなった「あの子」と焼き肉を食べるときもこの調子。
疲れ切っている今の状態では脂っこいものをそんなに食べたくはなかった。でも、脂っこいものはもういい、と断るのは自分が若くないことを認めるようで嫌だったので、彼女が注文するのに任せた。
そういう目線で追っていくと、主人公が作中最後に訪れる場所は意味深だ。
彼はストリップ劇場に行く。
そして考える。
ストリップを見ると、自分は本当にまんこを見たいのだろうか、ということをいつも考えてしまう。人の裸の体は美しいけれど、まんこはそんなに美しくないと思う。肉体というよりは内蔵っぽい。だけど、そこがさらけ出されると、つい見てしまう。見ると気持ちがよくなるわけでもないのだけど、じっと凝視してしまう。
衰退し、時代遅れの存在となったストリップ劇場は主人公自身とダブって見える。
そして、そのストリップについての主人公の考えは、それまでに登場した女性が主人公に寄せた思いにそのままあてはまるんじゃないか。
主人公の内面は美しいものではない。でもその天衣無縫ぶりは人を惹きつける。
つい見てしまうのだ。
他の人が隠して見せない部分を、晒しているから。
だからボロくなったストリップ劇場へわざわざ足を運ぶ人が、今でもいなくならないのだ。