10年前の自分へ
ちょうど10年前に書いたこの記事が、まとも書房のDiscordで話題になっていた。
タイトルはこんなんだけど、実際は僕はベーシックインカム(以下BI)賛成派だった。
でも、10年後の今はBI賛成派ではない。別に否定派でもない。
社会を変えるということに、あまり興味が無くなった。
なぜBI賛成派ではなくなったか。
敵を作りたくないので、10年前の自分の文章を批判する。
この文章は、いつかBIが実現する、という前提で書かれている。それはまぁ事実だろう。いつかはね。
しかし、我々には肉体があって、この肉体は50年もしたら滅びる。その事から目を背けている。今からBIが実現するまで何年かかる? 世間は未だ勤労の美徳が尊ばれている。今からストレートに時代の空気感が変わったとしても、そこから政治家が動き、予算の調整があり……10年?20年? 僕がその恩恵に受けられる可能性はどれだけある? もしまだ僕が生きているうちに実現したとしても、その頃にはすでに年金や生活保護をもらっているはずの年で、BIを実感できないのでは?
にも関わらず、BIを推す理由はなにか。現在の資本主義からBI実現までの歴史の1ページに自分がいるのだと自分を位置づけたいのだろう。ニートであるお前は、何にも所属していない。そこで、労働からの解放という大きな物語の一員になることで、自分のアイデンティティを確立しようとしている。でもそれは間違っている。イデオロギーで自分を縛るのは危険だ。柔軟性がない思想は、自分も他者も必ず傷つける。
人間を作るのは、脳みそだけで考えた空論ではなく、肉体を持つ人間との関わりだ。お前が本当にやるべきことは歴史に爪痕を残すことじゃない。現実の世界に存在するお前が出会う、現実の人間と適切に関わることに労力を割くべきだ。
歴史は変えようとして変わるもんじゃない。誰にもコントロールできずに、いつの間にか変わってしまうものだ。自分が変えようなんておこがましいにも程がある。何様のつもりだ。BIができるならできればいい。できなければ、できないだけだ。現実の、いろんな力によって歪んだ今の資本主義と、空想上の理想のBI社会を比べることに意味はない。実際にBIが導入されるとして、そのBIは今の資本主義と同じく、いろんな力によって歪んだ状態で実装される。決して理想のBIではない。完璧なシステムなんてできないんだ。仮にできたとしても、それは一時的なもので、人間はシステムを必ず変えてしまう。永遠に変わらないシステムはない。たとえAIが政治を行うようになっても、それを実行するのが人間であるかぎり、憲法の解釈を変えるようにAIの言うことの解釈を変えてしまうだろう。
権力者じゃない僕らができるのは、自分が出会う人とどう関わるかだけだ。
そりゃ人間だから、やるべきことを受け入れられず、逃避が必要なこともある。だからこの文章自体は否定しない。でもこの文章は娯楽にこそなれ、本当のことは書いてない。ここに真実はない。