山奥ニートの日記

ニートを集めて山奥に住んでます。

神聖かまってちゃん新曲「22才の夏休み」を考察してみた

神聖かまってちゃんを知っている人には説明不要なのだけど、の子は2008年の夏に「23才の夏休み」という曲を作っている。

なぜ25才の夏休みではなく、いまさら「22才」なのか。

23才という年齢は、順調に進んでいればもう社会人になっている歳だ。

その歳で夏休みがあるということは浪人か留年か、一年中夏休みかのどれかということ。

の子の場合は最後のパターン。

周りはみんな社会人になって働いている。

遊ぶ友達もいないから予定もない。

その友達たちは今頃働いて給料をもらって貯金ができている。

自分は33才になってもニートかもしれない。

だけどそんなやつらに、今すぐ追いついて見返してやる!

という歌だとぼくは解釈してる。

22才って年齢は、大学4年。

「君」と一緒にゆく最後の夏休み。23才になると「関係ない」と言ってしまっている。

内定なんかもらってどんどん先にいく君に対してのコンプレックス。

「甲子園に行きたかった」とつぶやくのは桃色の青春時代をまだ諦めきれていないから。

ニコニコ動画の「踊ってみた」動画のように悪ノリをやってみるけど、あとになって虚しくなる。

ちなみにの子はいつも「日記」タグで投稿するけど、この曲に限って「踊ってみた」タグで投稿されている。

過去に作った曲のリメイクだからだろうか。

「23才の夏休み」の「君が僕にくれたあのキラカード」とはちばぎんがの子にあげたというビックリマンシールであることはファンの間では常識なんだけど、

そう考えると曲全体に出てくる「君」もちばぎんのことなのだろうか。

「23才の夏休み」ができたとき、ちばぎんはバンドのメンバーではなくて正社員だったはずなので、の子がコンプレックスを感じていてもおかしくはない。

そのちばぎんと一緒に今バンドをやっていて一蓮托生になっているというのはある意味運命かもしれない。

それにしても、曲がいいのはもちろん、映像の進化が凄い。

「23才の夏休み」のPVもすごく好きだったけど、今回のもすごい。

まるで映画だ。

下モロ出しの場面や、アームカットの場面が普通なら衝撃的なはずなのに、それ以上に追いかけられるの子が印象的だ。

このままでいいのか!?という焦燥感と後悔が伝わってくる。

ある意味人生を諦めていた「23才」から、まだなんとかなるんじゃないか?とわずかな希望を感じる「22才」にの子が成長したのだと思う。これが25才の夏休みになったら、さらにニート歴が長くなって絶望になってしまう。

とにかくすごいんです。

「22才の僕は22才の君より22才してない夏をゆく」

こんなに今の自分にぴったりな詞聞いたことない。

ところで、「23才の夏休み」ができた頃、神聖かまってちゃんのライブにはお客さんが2人しかいなかった。

今、「22才の夏休み」ができたことを、音楽ニュースサイトがニュースとして取りあげている。

たったの2年でなんだこれは…。