山奥ニートの日記

ニートを集めて山奥に住んでます。

山奥ニートやめます

 最初に言っておくと、僕は山奥ニートを辞めますが、山奥のシェアハウス共生舎は引き継いでもらって残ります。

現在、住人募集中ですので、まずは見学にどうぞ。

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時下ますますご清祥のこととお喜び申し上げます。

このたび、葉梨はじめこと石井あらたは2024年2月1日をもちまして、山奥ニートを辞めることとなりました。

このブログやツイッターを見てくださった方、『山奥ニートやってます』を読んでくださった方、ほしいものリストを買ってくださった方、共生舎を訪れてくれた方、みなさんには大変お世話になりました。

僕が山奥に来たのは2014年ですので、ちょうど10年山奥ニートをやっていたことになります。

急に山奥ニートを辞めると聞いて、驚かれた方が多いと思います。

こんな日がいつか来るような気がしていたような、この山奥に骨を埋めるつもりだったような。

「なぜ?」と訝しむ方もいらっしゃるかと思いますので、簡単にですが理由を書いておこうと思います。

 

1.山奥は保育園や学校が遠い

僕には1歳の子供がいます。

今住んでいる廃校舎から、一番近い保育園や学校までは車で1時間かかります。小学校にあがればスクールバスが来てくれるそうで、実際に移住してきた人のお子さんはバスで数十分かけて学校に通っています。(僕が住んでいる集落よりは町に近い場所ですが)

なので、山奥に住みながら義務教育を受けさせるのは無理ではないのです。保育園だって僕が毎日送り迎えをすれば通わせることができる。

車に長時間揺られることになるわけですが、それをどう思うかは子供次第です。もし子供が嫌がるようなら山奥から引っ越さないとな、とずっと考えていました。

 

2.ももこさん家族が引っ越した

僕が住んでいる山奥のシェアハウス共生舎には、僕家族の他にももこさん家族が住んでいて、僕の子の1歳上の女の子が住んでいました。

その女の子はうちの子のお世話をするのが好きだったし(タオルで顔拭いたり、おもちゃを渡したりする)、うちの子はその女の子の真似をすることがあります。年齢的にまだ2歳と1歳なので、一緒に遊ぶという感じではないけど、そのうち友達になっていくのだろうな、という感じがしていました。

しかし、ももこさん家族はここ半年くらい保育園の距離の観点からずっと引っ越しを考えていて、今年11月にはついに引っ越しが実行されました。

そうすると、子の遊び相手がいなくなって、山奥にいる利点がひとつなくなりました。

他の住人は、毎日30分くらい遊んでくれる人、僕がトイレの間見ていてくれる人、まったく関わらない人、など子への反応は様々です。

月に数人、見学者として新しい人が来るのですが、そういうときは子は新しい人をじいっと見て、何かの情報を得ているようです。その点はすごくいい刺激になっていると思います。

でも、保育園の代わりになるほど遊んでくれるわけでは当然ないので、今の時点ですら子供が暇してしまうことが多くなっています。

 

3.山奥で子供を遊ばせるのは危ない

山奥では自由に子供が過ごせるとイメージする方が多いと思います。確かに外で大きな声出しても怒る人はいません。

その点はいいんですが、田舎を超えて山奥であるこのあたりは平地が少なく、少ない平な土地でもすぐ崖になってることが多いんです。小学校高学年くらいになれば自分で気をつけられるんでしょうが、小さいうちはつきっきりで見てないと危なくてしょうがない。

車道には割れたサイドミラーの破片が落ちていたり、スズメバチがそこらへんを飛んでいます。人がいないから、環境を整備する人がいないんです。

子供を育てながら周辺の整備をしていく元気は、僕にはない……。

 

4.共生舎の平等さ

シェアハウスで子育てなんて正気じゃない、と思われる人がいるかもしれません。まあ僕もとりあえずやってみようという感じでスタートしました。

前例はいくつかあって、ギルドハウス十日町、共育学舎には子供がいます。コミューンやエコビレッジで子供を育てるのは昔から行われてます。

とはいえ、基本的には「オーナーの家族+長くて数年で入れ替わる滞在者」という感じでオーナーが大黒柱になっている印象です。

我らが共生舎は法人格があるし、もともと始めた初代理事長が亡くなっていることもあり、誰がオーナーかという意識はなくて、みんな割と平等に権限があるという感じです。

たとえば家が燃えても、法人としては困るけど誰か個人の財産が失われるわけではない。

そんなところが気楽なんですが、じゃあ子供を育てるってなったとき、その責任の所在の曖昧さは仇になります。
子供と共生舎住人の利益が相反したとき、どっちを優先するのか。

最近の具体的な例では「リビングを子供がいるのは危なっかしいから、子供をリビングに連れてこないでほしい」という意見が出ました。

この件は結局、リビングにベビーサークルを設置して基本的に子供はサークルの中に、という形にしたのですが、もうこういう意見が出た時点で何かが破綻している。他の住人の意見も尤もなんだけど。

この10年の間、共生舎にはいろんな人がいました。
・10代~40代
・男/女/その他
・健常者/手帳持ち
・時には国籍が違う人も
しかしそれでもこんな山奥に来る人はどこか似たところがあったのだと思います。

でも子供は決定的に違う。

「オーナーの家族+数年で入れ替わる滞在者」という形式だったなら、違いがあっても優先順位がわかりやすくてもっと楽なのかもしれません。

そっちの方向に舵を切るという選択肢も一度は考えました。

でも、共生舎みたいな曖昧な場所って他にはないと思うんです。

共生舎は今のままの体制がいいし、それを他ならぬ僕が壊してしまいそうなので引っ越そうと思いました。

 

5.妻のリモート勤務が終わった

妻は出産前までリモートで名古屋の会社に勤めていました。

しかしコロナ禍もそろそろ忘れられ、社内でリモート勤務の人がサボってたとかでリモート廃止の流れに。

辞めるとか個人事業主として請け負うとか選択肢はあったんですが、上記の理由もあるなら名古屋に引っ越してしまえばいいじゃん、と思ったのが引っ越しを考えたきっかけです。

ちなみに名古屋には僕の両親が住んでいて、近くに住む僕の兄の子を週末によく預かっているそうで、それにあやかれないかなという算段もあります。

 

6.自分が山奥でできることはやりきった

新しい住人が来ると、新しい何かをみんな始める。

でも最近は正直に言うと、以前いた住人がやったことと同じだと思うようになってしまった。実際は同じじゃないけど、そう思うようになってしまった。

僕は、山奥での生活に新鮮味を感じなくなったのでしょう。

共生舎がどんどん変わっていけば新鮮に感じるだろうけど、ゲストハウスやカフェや物品販売などビジネスの方向に行くのは目新しさがないし、かといって福祉方面に行って補助金もらって大きくするのもなんだかなぁ。

僕がいなくなった後にやるのは全然いいと思うし、むしろそうやって変わっていったほうがいいんだけど、僕が本心からやりたいと思わないことを、僕が率先して進めることはできない。

僕がこれ以上共生舎にできることは今見当たらないし、これから数年は保つくらいに安定したと思うから、やりきったと言っていいでしょう。

 

7.「ありものでなんとかする」からの変化

山奥ニートはビジネスではないし、なにかの目的がある活動じゃない。だからコンセプトみたいなものはありません。

でも僕なりに、山奥ニートという生活を始めたときにに感じていた面白さがあります。

それは、日本社会から要らないと言われたものが、日本社会から要らないと言われた場所に集まっていることです。

利用価値がない限界集落に、就職できないニートが集まり、型落ちのゲーム機や使われなくなったキャンプ用品を使って暮らす。

その暮らし方は映画『ファイトクラブ』に憧れる若い僕にはより人間らしい暮らし方に思えました。

持っている物がお前を束縛する。

僕は文明の思い上がりの象徴ともいえる物質文明主義を拒否する! 

職業がなんだ? 財産がなんて関係無い。車も関係ない。財布の中身もそのクソッタレなブランドも関係無い。

人間は歌って踊るだけのこの世のクズだ。

初代理事長が亡くなってからは「ニートたちだけでできるかぎりやってみよう」と思ってやってきたので、何年続くか予想がつかなかったのもその考えを後押した。

この、「あるものでなんとかする」という方針には、「設備投資を重視しない」という姑息な面もあります。

住み始めたときから床に穴が空いていたけど、またいで通ればいいと直す必要性を感じません。

すべてのものは仮初め。人生は死ぬまでの暇つぶし。

しかし、子供が産まれたことでこの考えのままではいられなくなりました。床に穴が空いていると、子供が危ない。

今まではニートだったから、どんなに暑い夏でも寝転がって扇風機に当たってぼーっとしていた。気が向いたときは川に行って涼んだ。そうしていつの間にか秋になっていた。

しかし子供がいるとそうはいかない。

冷暖房をつけないと子供の眠りは浅くなり、わかりやすく深夜起きる回数が増える。子が起きたら親も起きて寝かしつけなければいけない。それがしんどいので、今年の夏は四六時中冷房をつけていました。

エアコンに頼るなら、古い家は効率が悪い。

不便さを受け入れず、お金で解決しようとするなら山奥に住む利点はないです。

 

8.まとめ

秋頃のある日ふと、山奥を離れる選択肢もあるのか、と頭に浮かんだ。

その瞬間、にわかに心が踊ったのを覚えています。

山奥以外で暮らすということが、僕にとっては新しくてワクワクすることに思えた。

共生舎は僕がいなくても続いていくだろうし、他に共生舎みたいに地方でシェアハウスをする人も増えています。

ここまで書いてきたことのうち、どれが本心でどれが後付けなのか、書いている僕にもわからない。

もっと単純に、そろそろ別のことをしたくなる頃合いだったのかもしれない。

ニート若年無業者)」の定義は34歳まで。僕はこの前の誕生日で35歳になった。いろいろとちょうど良い。

一番の心配は、子供のことだった。

山奥ニートをしながら子育てすれば、シェアハウスの住人や見学者、地域の人など大人をたくさん見せられる。子はそれを教師にしたり、反面教師にしたり、自分で選んで学んでいくだろう。

山奥ニートを辞めて、核家族で街なかに暮らすようになっても、子に多様な世界を見せられるだろうか。

僕自身も、山奥ニートと同じくらい自分が面白いと思えることを見つけたい。

名古屋に引っ越したあと、何をやろうね。

ZINEとかミニコミ誌とか?

 

9.最後に

このツイートの後、2人長期滞在が新しく増えました。

でも僕が離れることでまた部屋が空くので、どんな場所か見に行って住めそうならいかがでしょうか。

僕が山奥ニートをやめることをもって、過疎集落に人は住むべきじゃないとか、地方移住は失敗するとか、シェアハウスはだめだとか、そういう風には言わないでほしいです。

過疎集落に移住して子育てをしている人はいるし、最初に書いたとおり山奥のシェアハウス共生舎は続いていきます。

僕は10年山奥で暮らして楽しかったし、山奥で暮らしたから結婚して子供ができたし、山奥に来てよかった。

山奥ニートは未来の何か新しいものに続いていると確信しています。

それを見届けることができないのは少し残念かな。

 

   ***

共生舎の住人を除いた集落の住人は、ついに2人になった。

そのうちの一人である、ずっとお世話になっている潤さんに僕が引っ越すことを伝えたのは一ヶ月程前。

潤さんは肩を落としてがっかりしていた。

あんなに人が失望するところ初めて見た。

いずれ山奥から離れるとしても、81歳の潤さんが亡くなるまでは山奥ニートを続けるべきだったのかもしれない。

潤さんだけじゃない。共生舎の亡くなった初代理事長は僕が辞めると知ったらどう反応しただろう。

どこで知ったのか、他の地域の人と会ったときに「頼むから出ていかないでほしい」と泣きながら肩を掴まれたことがあった。

エゴサしたら「山奥ニートなんて所詮、いつでも山奥を離れられるお遊び」というツイートがあった。

僕はどうするのが正解なのか。

答えられないまま、引っ越しの日程が近づいてきた。

集落のもう一人の住人、Kさんに僕が引っ越すことを伝えると、Kさんもやはりがっかりした様子で、しばらく無言になった。

Kさんは生活保護を受けて、一人身でずっと山奥の集落に住んでいる。自らを「計画的国賊」と呼び、山奥ニートの先輩のような存在だった。

別れ際、Kさんは口の片端をあげてシニカルに笑って、

「お前も、それなりの人生をな」と言った。

僕にはそれが疑いようもないエールだとわかった。

良い人生でもなく、悪い人生でもなく。

それなりの人生。

その人なりの人生。

僕なりの人生。

ここ数日の山奥は急に寒くなって、朝から晩まで雪がちらちら降っている。でも昼間にはすべて溶けて積もらない。

別の集落では積もっているらしい。この集落は川の近くだから、気温が安定しているのかもしれない。

何かそう聞いたわけではないけど、流れているものの側は冷え切ってしまわない気がする。

それでも寒いには違いないから、パネルヒーターに手を当てながら、キーボードを打ちました。

 

 

 

 

 

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子育て1年目あって良かったもの

★このブログはアフィリエイト広告を利用しています

 

山奥ニート漫画を一緒に作っている棚園正一さんにお子さんが産まれるそうで

子育て1年目にあって良かったもの、要らなかったものをここらでまとめておこうと思います。

子育てって人類史で何億回も行われてるのに、全然マニュアル化されてなくてなんでだよ!人類サボってるな!と思う。子次第な部分はあるとしても、もうちょっとなんとかならんのか。

ということで、過去の自分が助かるように書き残しておきます。

あってよかったもの

・レック 哺乳瓶消毒ケース

この1年の膨大の時間を、哺乳瓶を洗うことに費やしてきた。
新生児の頃は昼夜問わず3時間おきにミルクだから、1日に8回哺乳瓶を消毒する。
哺乳瓶の消毒の方法はこの電子レンジ式の他に煮沸や薬液があるけど、僕は電子レンジ方式以外はありえないと思いました。
水入れてチンして終わり。
この商品は入れたまま水切りができるので、レンジから出して、外側の水を受ける部分を外して、あとは置いておくだけで自然に乾いて消毒終了。

 

・NOVUS ハイチェア
1.5万円くらいで購入。
10~1歳2ヶ月現在も使っている。
最初はいわゆるバンボを使っていたが、子が太ましかったので窮屈になった。
なるべくもらったものでなんとかする、という方針だが、子供用の椅子は新品を買うことにした。
子の姿勢が良くなってほしい親心と、子供が食べない原因は椅子の大きさがあってないことによるのが多いらしい。
小学生上がるくらいまで毎日使うと考えると、365日×6年×3食=6570。保育園行くことを差し引いても、1回あたり3円程度で子がスムーズに食べてくれるなら、めちゃくちゃ安い買い物。
買ったのはこれ。NOVUS ハイチェア。

まず、ベビーチェアにはローチェアとハイチェアの2種類がある。
子供は大人の真似が好きなので、大人が食べるところを見せるのが一番スマートに子供に食べる気を起こさせると考え、大人と同じ目線になるハイチェアを選択。バンボを使っているとき、子供の高さに大人が合わせると、大人の腰に大きなダメージがあることも学んだ。

プラスチック製と木製があるが、プラスチックのほうがいいと思う。木製はおしゃれだけど重くて動かすのが大変。値段も木製のほうが高い。この商品はプラスチックながらも、下のほうが金属で安定感がある。

注意点としては、足が後ろに大きく張り出していること。これによって子供が暴れてもまったくゆるがないが、近くを通る大人はつまづきやすい。この商品の最大の欠点はここなので動線近くに置く場合はこれじゃないほうがいいかも。

この商品を選んだポイントはベルトが5点式で肩も止められる点。同居しているもうすぐ2歳の子は、椅子からすぐ立ち上がってしまうので、立てなくするために肩ベルトは必須だと思った。止める手間は少し増えるが、体がかっちり固定されるおかげで食事を中断したことは一度もない。

あと、座面がやわらかい素材じゃないことも加点。
やわらかいほうが子供のお尻に優しそうだが、こぼれる食品を拭くには素直にプラスチックのほうがいい。
子供のお尻は転んでも大丈夫なように肉でクッションになっているので、ふわふわお尻とウレタンの座面の柔らかい同士より座面硬いほうが安定して座りやすそうに思う。

汚れが落ちやすいザラザラのプラスチックなので、1歳0ヶ月のときはテーブルに直接つかみ食べの食材を置いていた。外して洗うのも、プラスチックで軽いので簡単。木製だったらこの使い方はできなかった。

 

・シナぷしゅ
テレ東系の乳幼児向け番組。
NHK+で『おかあさんといっしょ』も見れるんだけど、YouTubeで毎日更新されているこっちのほうが手軽に見れる。

youtu.be2023年度のOPとED、それまでとクオリティが段違いでめちゃくちゃかわいい。子供がどういう動きをしたら可愛く見えるかよくわかっている……!

EDの後に"アンコール"があって、もう1曲やってくれるのが良い。僕は離乳食食べさせるときに見せているけど、食事が終わっていればアンコール手前で切ってもいいし、まだ食べ終わってなければアンコール見てから切ればいい。
キリが良い地点が2箇所あるのは親としてすごく助かっている。


ピジョン 電動搾乳機


母乳か粉ミルクか、というのは母親にとって大きな問題なようです。
栄養や愛情を考慮外にしても、粉ミルクはお金がかかるし、哺乳瓶を消毒する手間が増える。

その一方で母乳は赤ちゃんに定期的にあげないと乳腺が詰まってしまう。詰まった乳腺から固まった母乳を出すのは見ているだけで辛そうだった。尿道結石ってあんな感じだろうか。
なので母乳をあげることを選んだら「今日はお母さんお出かけするから母乳じゃなくて粉ミルクで」は基本的にできない。

それを少しだけなんとかできるのが搾乳機。搾乳した母乳は常温で4時間持つので、ストックができる。冷蔵するともっと持つけど、成分が沈殿するので湯煎で温め直さないといけない。
新生児は3時間に1回おなか空いて起きるが、その1回を父親が代わりにストックした母乳をあげることで母親の睡眠時間を確保できる。
妻はこれに大変助けられたと言っていた。
ただ、母乳の出によるので必要かどうかはその人次第ですね。

 

ダイソー メンディングテープ

0歳児にとって、本は食べ物。すぐにヨダレまみれになる。
なんなら溶かして口の中でもぐもぐしていたりする。
傷んだ本を修繕するためのものがこのメンディングテープ。
図書館で使ってるやつです。それがダイソーで売ってるのでありがたい。
セロテープと違って、時間経過で黄色くパリパリにならない。
絵本を気に入ったと感じたら、痛めつけられる前に縁をメンディングテープで補強しておくのがいい。
ただし、子が本気で齧ろうとするとメンディングテープ貫通してくるので過信は禁物。

歯が生えてきてからは、もう少し厚いフィルムを買いました。

あと、どの絵本が子のお気に入りになるかわからないので、試行回数のためにとりあえずダイソーの絵本を全種類買うのおすすめ。ウケなくても100円。0歳はハードタイプの本じゃないとすぐ破ります。
名作絵本より、スーパーの広告チラシのほうが気に入ったりするのでわからん。

 

 

亀田製菓 野菜ハイハイン


子の栄養管理は妻が計算してくれているが、手作りの離乳食では鉄分が足りないそうだ。
この野菜ハイハインは鉄分配合で、子供のウケもいい。
サクサク食べるときもあるし、じんわり溶かして食べているときもある。
離乳食初期はこれとおかゆを交互に口にいれてなんとか食事を進めさせた。
値段も、大人のお菓子と比べれば高いが、他の幼児用シリアル等と比べると安い。

あと離乳食に関しては、初期の10倍がゆは作るのが大変なので粉末やフレークを買ったほうがいいです。裏ごしするのに腕も時間も消耗する。

 

・BASE BREAD

 

ビタミンやミネラル、たんぱく質、食物繊維などの身体に必要な栄養素が全部入ったパン。少しジャリジャリするけど、それはそれで美味しい。
子供が生まれてから一ヶ月は常に極限状態で、親が連続して眠れるのは2時間程度。
大人の食べるもの用意している余裕なんかない。
そういうとき、これがあると「これさえ食べればとりあえずOK」と思える。
賞味期限が長く、温める必要もなく、授乳しながら片手で食べれる。
夜食として適当に食べても栄養を補給している感じがして良い。

 

・コカコーラ 300ml


これの空きペットボトルに生米を入れてマラカスにしたり、漬物の残り汁を入れて色水にしていた。
コカ・コーラのペットボトルが一番頑丈だと思う。
500mlだと0歳の手には大きいので、これくらいの大きさがちょうどいい。
中にいれるものは万が一フタが空いちゃったときのため、喉に詰まらないものを探した。
おさがりのおもちゃをたくさん貰っているけど、結局一番のお気に入りはこれ。
ガジガジ噛んでも大丈夫だし、安心して与えられる。

 

ベビーサイン

物ではないんだけど、ベビーサインを習得させられたことは大きかった。
ベビーサインとは、赤ちゃん用の手話。
赤ちゃんは言葉を発声できるようになる前に、言葉を理解しているらしい。
言葉がわかっているのに自分は喋れない、というもどかしい気持ちがイヤイヤ期に繋がるとか。
いち早く子と意思疎通ができたらきっと楽しいと思い、教えてみることにした。
僕らがやったのは、ミルクをあげる時に「ミルク」と言いながら、ミルクのベビーサイン――手をグーパーするというだけ。子の視界内で「ミルク」という単語を出すときも、必ず手をグーパーする。

4ヶ月頃から教え始めた。それからずっと、特に反応はないままだったが、8ヶ月半頃いつものようにグーパーしながら「ミルク」と言ったらやけに熱心に見ている。子の手を取ってグーパーさせてみる。「ミルク」

その次の日、食事のあとのミルクを拒否するから諦めて子を解放。子は5分くらいおもちゃで遊んだ後に手をグーパー。まさかと思って、哺乳瓶を加えさせたらごくごく飲んだ。それからというもの、グーパーした後にミルクをあげると9割の確率でミルクを飲む。グーパーしない時にミルクをあげると飲む確率のはせいぜい3割ほど。

それから半月経って9ヶ月になる頃には、住人が缶ビール飲むのを見てグーパーするようになった。「あれってミルクでしょ?」と言っているようだった。

「水」のベビーサインもあるのだが、ミルクと特に区別する必要はないように思ったので、水も同じグーパーで表すことにした。そうすると、グーパーしてもミルクを飲まない場合が出てきて、そういう時は水を与えると「待ってました」とよく飲んだ。

また、1歳0ヶ月の時にはこういうことがあった。
コップで水を飲んだ後にまだグーパーする。水を追加しようとしたら、コップをすごい力で握って離さない。そして何かを伝えようと僕の目をじいっと見たまま、水のサインを続ける。コップじゃないなら哺乳瓶ならどうかと思ってくわえさせようとしても、嫌だと拒否。ここまで強く意思表示するなら何かあるのではと考え、哺乳瓶の乳首を取って、細長いコップのような状態にしたらすんなり飲み始めた。
その水をあげる直前に、僕は自分の細長いタンブラーで飲み物を飲んでいたので、それを真似しようとしたとでも言うのか。
理由は定かではないが、「コップ以外で飲みたい」と思った1歳児が「コップを離さないまま水のサインをすればコップ以外で飲ませてくれるだろう」と考えて行動したわけで、言葉喋れる前でもちゃんと思考してると実感して人間ってすごいなと思った。

「水かミルクがほしい」という1つの表現を応用して、子と僕は会話している。
子供を持たない人から「子供って大体何ヶ月から話せるの?」と聞かれることがあるけど、「逆に『話せる』の定義を聞こうか」という感じです。

1歳2ヶ月現在では
「ミルク・水(グーパー)」の他に
「おむつ(股をぽんぽん)」
「お腹すいた(お腹をパーでさする)」
「おいしい(ほっぺをペタペタ)」
「電話・スマホ(耳に手を当てる)」
「部屋を出る(開いた手を小刻みに揺らす)」
を使っている。日本ベビーサイン協会が定めるベビーサインがあるらしいけど、それにこだわらず日本語手話、英語手話、日常ジェスチャーから子がやりやすそうな動きを選んで、我が家庭オリジナルで作っている。僕らの間だけで通じればよし。

ちなみに、「アウトプットしたことは覚えやすい」というのは赤ちゃんの言語習得も同じようです。
たとえば「イヌ」という発音は未発達な声帯では難しく、赤ちゃんはアウトプットできない。アウトプットできないと、イヌという概念も覚えづらい。
そこで、赤ちゃんでも発音しやすい「わんわん」という名前にすれば、アウトプットできるので赤ちゃんはイヌという概念を覚えやすくなる。これが幼児語の必要性なんだそうです。
ベビーサインを使えば、赤ちゃんは幼児語より更に早くアウトプットできるようになり、概念も早く理解できるようになる。概念を理解してさえしていれば、日本語を発声できるまで声帯が成長したとき、日本語とすでに知っている概念を結びつけるだけでよくなるので、ベビーサインを覚えた子のほうが発声できる言葉が増えるのも早いらしいです。

 

・ベビービョルン ベビーキャリア MINI

抱っこ紐。幸運なことに、各方面の知り合いからそれぞれ貰って3種類持っていた。どれを使うか選べる立場だったけど、着脱しやすい、メッシュで蒸れない、腰で支えられる、という点からこれが一番よかった。日本のメーカーの物はしっかりしてるが、ごちゃごちゃしてて使いづらかった。
0~5ヶ月頃まで寝かしつけに毎晩使った相棒。
抱っこ紐を着けて部屋の中を歌いながら1時間くらい歩き回って、子が寝たら腰のバックル外して抱っこ紐ごと布団の上に降ろして寝かせていた。(これのために、子を起こさないくらい着脱がスムーズにできるかが大事)

ちなみに妻との間では、子が寝た後もすぐには外さずしばらく抱いていることを「ウイニングラン」と呼んでいる。「ウイニングラン」の時間は体感的にすごく長く感じるので、僕は子守唄がてら小声で1曲歌ってから布団に置くことにしていた。

 

・日本育児 ベビーサークル

メルカリで6枚4000円で買った。送料を考えると無料みたいな値段で出してもらって感謝。梱包するだけでかなり大変だったと思う。
子供から目を離すことができるようになるので、ストレスが一気に減った。
それまでは常に命がけの綱渡りをしているような気分だった。

日本育児を選んだのは、単純に一番多く中古市場にあるから。

実際あとから更に買い足して、結局合計3セット買った。リビングに2セットぶんのサークルを繋げて日中はそこで過ごし、自室に1セットぶん置いて大人が寝てる間にどっか行かないようにしている。

 

大乱闘スマッシュブラザーズSPECIAL

 0歳児の子育てには、妻が母乳あげている間や哺乳瓶を消毒するなど、微妙な待ち時間が発生するので暇つぶしに買った。半覚醒の子を起こさないように部屋を明るくできないので、本は読めない。

1年でだいぶやり込んだつもりだけど、オンラインは怖くて行ってない。SNS見てしまうよりは時間を有意義に使った気がする。

 

・電気ポット

ミルク飲むのは1年くらいだし、電気ケトルでよくない?と思っていたけど買ってよかった。
本当に何度も何度もミルクをあげるので、ミルクあげる手間を減らすのは0歳児の子育てにおいて最優先事項。
おなかすいたとギャン泣く子供を、ケトルが沸くまで待たせるのは精神的に辛くなりそう。
電気ポットでも、子が飲める温度に冷ますために水せんしなきゃいけなくて(水道水を足して冷ますと煮沸した意味がなくなる)、待たせるのが申し訳ない。
お湯の出るウォーターサーバーとか、調乳機とか、調乳ポットとかいろいろ選択肢はあるけど、何かしらは絶対必要です。


・医者から処方された保湿クリーム

赤ちゃんの肌はすぐ荒れるのでクリームが必要だけど、赤ちゃん用だとアレルギーを気にしなければならず、そういうのはけっこうな値段になるので、お医者さんに処方箋をもらうと負担が減ります。

 

・ベビーバス

0~4ヶ月ごろまで毎日使っていた。
新生児(生後一ヶ月)は衛生的に大人と違うお湯に入ったほうがいいが、それ以降は一緒の湯船でも大丈夫、らしいがベビーバスに入れてしまうほうが僕的には楽だった。
とはいえ、子はぐんぐん大きくなってベビーバスでは窮屈になってくるので使ったのは4ヶ月まで。
使う期間は短いのに新生児には必須なので供給が多く、リサイクルショップや子供用品交換会でタダ同然で手に入る。

 

・バウンサー

揺り籠みたいなやつ。要らないという人は多い。ベビーバスと同じく小さい頃しか使えず供給過多なので、リサイクルショップで1000円だった。
夕方に意味もなく泣く「黄昏泣き」というのが酷いときに買った。子を入れて揺らしたら泣き止むので、1000円の元はすぐに取れた気がする。
ただし、かなり激しく揺らさないと納得してくれなかった。疲れるが、抱っこするより全然マシ。
使っていたのは3~6ヶ月頃だけなので、まぁ新品で買う価値はないと思います。

あとチャイルドシートもリサイクルショップで安く売ってます。

 

・粉ミルク

新生児のときは気を使って一番高い「E赤ちゃん」使ってましたが、コスパがいい「はいはい」に乗り換え。そのまま「ぐんぐん」に移行しました。

「E赤ちゃん」は粉が細かくて溶けやすいけど、価格が大きく違う。

 

・おむつ

0~4ヶ月くらいの間は、グーンプラスを使っていて漏れることが数回あった。
もっと高いおむつならこの「数回」が減ったのかもしれないが、まぁ別に大丈夫。

ちなみに最安はAmazonのセールだったので、チェックする価値あり。ドラッグストアよりやすかった。次点で西松屋のセール。

 

微妙だったもの

・おしゃぶり

生後3ヶ月くらいのとき、黄昏泣きですごく泣くので使ってみた。
歯並び悪くなるという説もあるけど、少なくとも歯が生える前に使う分には絶対に問題ないと判断。
与えた瞬間、物理的に口が塞がって泣き止む。
その効果は絶大。怖くなるくらい泣き止む。
ただ、それによってお腹すいていることに親が気づけなくなったりするので、あまり使わないようにしていた。
どうしても泣き止まないときの最終奥義として1ヶ月くらい使ったが、そのうちに口から出すことを覚えて、使うのをやめた。その頃には黄昏泣きもやわらいでいた。
明確な欠点としては、子が使い終わったら消毒が必要なこと。とてもめんどくさい。

 

・まくら

まず、0才児にまくらはいらないです。逆にうつ伏せになったときに窒息の危険があるので消費者庁は非推奨している。
でも、どうも子のゆがんだ頭蓋骨の形が気になってしまう。
「子供 頭の形」で検索すると不安な情報しか出てこなくてうんざりする。10万円の器具で早いうちに矯正しないと手遅れに、みたいな。
それで3000円でまくらを買ってしまった……。
その後、頭の形のゆがみを測定できるアプリを使ったら、全然正常と言われたのでちょっと安心した。
検診にいったとき、お医者さんに「うちの子、頭の形おかしくないですか!?」って聞いたけど、お医者さんは「はいはいあるある」と思ってただろうな。赤っ恥赤っ恥。

 

・安い哺乳瓶

生まれる前は哺乳瓶なんて2本あれば十分だろう、と思っていたけど、最終的に5本必要だった。
何本か知り合いからいただいたけど、それだけでは足りなかったので値段みたら結構お高いのですね。
ケチって西松屋の一番安い2本800円のを買って、乳首だけピジョンのちゃんとしたやつに取り替えて使うことにした。
しかしこの安い哺乳瓶が使いづらい。フタが取りづらいし、乳首と哺乳瓶の間に隙間ができて漏れる。
哺乳瓶は子育て1年目のメインアイテムなので、いいものを買ったほうがいいです。
もらったピジョンの哺乳瓶は、転がっていかない工夫があって、値段の価値あるなと思った。赤ちゃんにはたき落とされることがあって、その時に拾うのが楽です。
ヌーク(NUK)の哺乳瓶は種類によっては他の哺乳瓶と互換性ないので注意。

 

・ベビーカー

一代目はリサイクルショップで2500円で買った。
子を寝かせるための散歩に使うのが主なので、まぁなんでもいいかなという感じ。
一度だけ路線バスに乗ったときは折りたたみのスピードは大事だと思ったけど、そもそもそんなに路線バスに乗らなかった。
生後7ヶ月頃に、お下がりでストッケのすごくしっかりしたベビーカーを貰ったのでそれに乗り換えた。タイヤが大きくて段差を乗り越えやすくていい。でも大きくて重いので、ちょっとオーバースペック感がある。郊外の広い店舗ならいいけど、日本の街なかのお店には入りづらい。車に乗せると、荷室のほとんどを占めてしまっている。

 

・おしりふき

ドラッグストアで売ってる一番安いコットンを水で濡らして使ってました。お尻が荒れ模様のときはおしりふきを買います。

 

・おむつ袋

ダイソーで100円で100枚の食品保存袋Sで捨ててます。大のときは2枚重ね。

 

・スギの積み木

僕が住んでいるのは和歌山県田辺市なんですが、「木のぬくもりプレゼント事業」なるものでスギの木で作られた積み木がもらえた。

子どもの頃から身近に木のぬくもりを感じ、豊かな心を育む子育てに資するため、7か月児健診又は11か月児相談日において地元産材を用いた木製玩具等を贈ります。
とのことです。 

地元のものを活かそうということなんだろうけど、この積み木ぜんぜんダメ。
スギって木材としては柔らかいのよ。
積み木って赤ちゃんが口に加えたり、他のものにぶつけたりするもんです。
スギ材ではすぐに傷がついてしまうし、うちの子は前歯で削り取って破片をもぐもぐしていたのですぐ取り上げた。
積み木をプレゼントするなら、材質に注意。

 

・帽子
・手袋
・靴下
0歳の間はほとんど外出ないので要らない。
もらったけど、1回使ったかどうかくらい。

 

・行事

行事は大事。
でもお金をかけずとも儀式はできると思っています。

お宮参り →里帰り出産した義実家近くの、徒歩3分の神社に参った。

お食い初め →タイは高かったので、ハマチをオーブンで丸焼きにした。出世魚だし、ハマチはハマチで縁起いいでしょ。

一升餅 →生米を一升ぶんビニール袋と風呂敷に入れて背負わせた。一升パンって何が一升なんだろう?

 

あと、メリー(赤ちゃんの頭の上で回るモビール)は親子教室行ったときに大層気に入っていたのであったらよかったかも。
使う期間が短そうなので買わなかった。
リサイクルショップで安いのを見つけたら買ってもいいかと。

 

まぁ、山奥のシェアハウスという妙な子育て環境ですが、なんとか子を1年生き残らせることができました。

住人が子供の相手してくれることがあるし、見学に新しい人が来るたびに子はじーっと観察しています。割と人見知りしないほうなので、しばらくすると慣れてかまってくれと声をあげるようになります。

ちなみに同居していたももこさんの子(もうすぐ2歳)はめちゃくちゃ人見知り激しくて新しい人がいるとリビングに入れない程だったので、シェアハウス暮らしによって人見知りしなくなったというわけではなく、単に個性だと思われます。

僕はニートなので子育てに直接的にコミットしていて、子が起きている間のほとんどの時間を一緒に過ごしています。とはいえ、専業主夫として一人前かというと全然そんなことはなく、予防接種の予約や離乳食作り、離乳食の栄養計算などを妻にしてもらってます。ワンオペ育児なんてとてもとても。

共生舎にいて出会う人の中には、小さい子を持つお父さんもけっこういるんですが、直接子育てにコミットしている人は全然いなくて、仲間だーと思って「1歳ごろお子さんどんな感じでした?」など聞いても、「妻に聞かないとわからない」みたいな答えが毎回返ってきて僕は勝手に裏切られたような気持ちになっています。本当に勝手ですね。
そういう人はお金を稼ぐという間接的な方法で子育てにコミットしているので、単に夫婦間の役割分担なんですけどね。話が合う人がいない……。

この文章を書いた今現在は、子供は1歳2ヶ月を迎えようとしてます。

1年子供を育てた感想としては、自分の子供は思ったよりずっとかわいいなーというところです。なんでなんでしょうね。
長く一緒にいるから、というのもあるけど、やっぱり自分と似ているからというのが大きな理由だと思います。僕はアニメキャラでも動物でも、自分と似たところがある人を好きになる。
DNAの繋がりによって、子はやっぱり僕に似ています。
顔だけじゃなく、うっすらとわかり始めた子のパーソナリティにも僕の同じ要素があると感じています。
子に対してちゃんと他者として向き合おうというのが生まれる前に決めたテーマなんだけど、何年も子のそばにいるうちに自分と子と同一視してしまいそうで、怖いです。

山奥ニート、義実家でニートする

2022年8月から2023年4月まで、和歌山県の山奥を離れて、青森県にいました。

妻の里帰り出産に付き添って、義実家に居候していた形です。

里帰り出産は、妻だけが帰省して、夫は仕事を続けるのがふつうだということは知ってます。

でも夫が無職の場合は、どうするのがふつうなんだ?

山奥に僕がいなければならない理由は特にない。

医療の進歩によって出産の安全さは上がったが、それでも母体が死ぬ可能性はあるわけで。

妻が死ぬかもしれないし、死ななくても死ぬほど痛い思いをするのは確定している。

いつもと変わらずのほほんと山奥でニートしているのはちょっと薄情なので、腹の大きい妻の介助のために僕も義実家に行くことにした。

僕の住む山奥(和歌山)から妻の実家の青森までは、飛行機に乗らなくてはならない。

臨月になったとき、飛行機の中で放射線を浴びるとあまりよくないらしいので、予定日のニヶ月前に青森に行くことにした。

帰りは生まれた子供が飛行機に乗れるくらい頑丈になる、生後半年くらいと予定。

そういうわけで、青森のお義父さんお義母さんの家で、8ヶ月過ごすことになった。

うーん、大丈夫だろうか。

いや、一流のニートを僕は目指している。

一流のニートは、他人の実家であっても上手くニートできなければならない。

これまで僕が培ったすべてのニート力を発揮するぞ!

と意気込んで、義実家へ。

   ***

妻は盆と正月のたび、できるかぎり実家に帰っていて、僕も他に予定がなければ同伴して何度かお義父さんお義母さんに会っている。

子供が生まれてからは子育てにてんやわんやになるだろうが、生まれるまではあとニヶ月ある。

その間に、ニートの僕にしかできないことをやらなければ。

お義父さんお義母さんは、共に仕事が大変忙しい。

そのせいなんだろうか。僕は義実家を訪ねるたびに、この場所は時間が止まったようだと感じていた。

妻とその弟が、小学校の図工で描いただろう絵、作文コンクールの賞状、ディズニーランドの入場券などがリビングや寝室に飾ってあって変色している。

大小さまざまな家族写真がリビングには置いてあるが、そのどれもが妻が小学校に入る前のものだった。きっと、そのあたりからお義母さんの仕事が忙しくなったんだろうな。

金色の立派な置き時計が分厚いホコリを被っていたのは、象徴として出来過ぎていた。

リビングの端や廊下には、お義父さんが仕事場から持って帰ってきた書類が何層にも積み重なっていて、壁が見えないほどであった。

おまけに、お義父さんは仕事をしながらお酒を飲んでそのままリビングで寝てしまうことも多かった。

それをお義母さんがお義父さんに怒る。

お義父さんはその瞬間は従うが、書類を片付けようとはしない。

この一連のやりとりが、儀式のように毎日毎日繰り返されている。

僕と妻が長期滞在するこの機会を逃したら、その繰り返しは更に10年20年続いていくように思われた。

   ***

さあ片付けるぞと意気込んだものの、妻が一緒にやるとはいえ、いきなりやってきた僕があれこれ手を出すのはなまいきだ。まずは信頼を作らなくては。

まずはニ階にある、妻が子供の頃使っていた部屋を片付けることにする。

この頃、妻は妊娠9ヶ月で、大きなお腹ではニ階に上がるのも大変だったので、僕が中心となって片付けることになる。

妻の物はあまり多くなかったが、ここ数年、この部屋は義弟の趣味の倉庫のように使われている。具体的に言うと鉄道模型ジオラマのための発泡スチロールや木材が置いてあった。義弟に連絡を取ると「捨てちゃ駄目」とのことなので、車庫に運ぶ。

僕が大学生になったとき、自分の部屋はほとんどそのままにして、実家を出た。盆や正月に実家に帰ると、母から片付けてほしいと言われたが、地元の友達と遊ぶほうを優先して何年も放置していた。実家の自室はいい倉庫だったのだ。

そのうち、僕の部屋はいつの間にか片付けられていた。あれ、いろいろ捨てられちゃった!?、と一瞬疑ったが、僕の漫画やCD、ミニ四駆や古いポケモンカードなどは一つ残らず綺麗にダンボールの中にしまわれていた。

高校生の頃だったら「ババア俺のものに触るんじゃねえ!」と憤ったかもしれないが、そのときは還暦を過ぎた母が一人で僕のおもちゃを片付けているのを想像して、胸が傷んだ。

時が経って今僕は、部屋を片付けずに家を出ていった義弟の鉄道模型ダンボールにしまっている。お義母さんからは「あらたさんがそんなことしなくていいのに」と言われたが、これは平行世界の僕の部屋を片付けているのだ。因果からは逃れられない。

さて、妙な感傷に浸りながらも、元・妻の部屋=義弟のおもちゃ倉庫が片付いた。

義弟とお義母さんの関係はちょっと今微妙なようで、お義母さんはこの部屋に手出ししづらかった感じがある。それを片付けたことで、できるニート、という一定の評価が得られただろう。

第二段階に入る。

   ***

仕事から帰ってきたお義父さんを、物を一つもなくして、ピカピカに掃除した元・妻の部屋に案内したら、驚いていた。

そして「ここをお義父さん専用の部屋にしませんか」と提案。

お義父さんは「夫婦で一緒に寝られないのは寂しいなぁ」と冗談を言ったが、嬉しそうに思えた。自室ができると聞いて、悪い気がする人はいない。

お義父さんの布団とローデスクを部屋に運び込む。

空っぽにした本棚に、お義父さんの仕事に関係する雑誌をきれいに並べる。

なかなか良い部屋に見えるようになり、お義父さんも喜んでくれた。

お義父さんが自室を持つようになって一週間くらい経った。

「赤ちゃん生まれるとき、ちょっと今のリビングだと物多すぎるんで、リビングにあるお義父さんの書類を部屋に運びますね」とさりげなく言う。

お義父さんは無限に仕事の書類を持って帰ってくる。

しかしその癖を変えるのは無理だろう、というのが僕と妻が出した結論だった。

問題は、書類を家のリビングや廊下に置くことなのだ。

お義父さんがお義父さんの部屋に物を増やすかぎりは、なんの問題もない。

その書類を捨てなければならないだろうが、僕にこれを捨てる権限はない。お義父さんは「そのうち片付ける」と言うが、妻によると20年はそのままらしい。

リビングや廊下に山となっていた書類を、すべてお義父さんの部屋に運び込む。

部屋いっぱいになるかと思ったけど、書類をダンボールに入れてちゃんと積んだら、仕事するスペースと布団を敷くスペースは残った。

お義母さんには、これからお義父さんが書類をリビングや廊下に置いたら、お義父さんの部屋に運んでください、とお願いする。

なかなか人の癖は治らないから、ニ階のお義父さん部屋に持っていくのではなく、再びリビングや廊下に書類が置かれることが予想される。

お義母さんもお義父さんと同じくらい仕事が忙しいので、リビングや廊下のお義父さんの書類に対して「なんで私が片付けないといけないんだ」という風に思っている様子だ。でも運ぶ場所が決まっていて、運ぶ許可も取らなくていいなら、やってくれるハードルは低いのではないかと予想した。

しかし、僕の失礼な予想に反して、お義父さん専用部屋を作って以降、お義父さんは仕事場から書類を持ち帰ることはあっても、それをきちんと自室まで運ぶようになった。

お義母さんの逆鱗の触れることも少なくなり、家を片付けることで、片付く以上の意味があったなと妻と何度も称え合った。

この文章を書いているのは、この義実家の里帰り出産を終えた後だ。

とりあえず僕がいた間は、この大改造以降僕が特別なにかする必要もなく、この片付けた結果が維持されていたとここに書いておこう。

   ***

最後に、リビングに貼ってあった妻や義弟の賞状や絵画を剥がさせてもらった。

色褪せ、黄ばんでいたことを理由にしたが、本当のところは、妻や義弟の過去の姿が残留思念のようにこの家にとどまっているように思えたのだ。

今の妻だって子供の頃とは違う方向でかわいいし、義弟は同棲始めて立派に自立してる。そういう「今」を見てほしくて、写真立てに入っていた写真を、何枚かここ数年の間に撮られたものと入れ替えた。さりげなく僕も写っている家族写真も一枚入れた。

僕の子供――お義父さんとお義母さんにとっては初孫が生まれたら、そのときまた写真を更新してほしいと思う。

この義実家改造計画は、すごく差し出がましいことであると自覚している。

でも僕の若さゆえのでしゃばり、ということで大目に見てもらって、その結果何か少しでもいい方向に行ったらいいなぁと思ってやったことだ。そのうち笑い話になるだろう。

まぁこれが、義実家にいる間タダメシを食べさせてもらったニートの僕なりの恩返しなのです。

次に帰省したとき、元に戻ってないといいなぁ……。

 

2500人のDiscord運営して思ったこと

 

遁世Discordってのを運営してます。

「遁世」っていうのは、世間を逃れることで、まぁ深い意味はないです。

DiscordというのはSNSの一種で、ひとつの「サーバー」にみんなが集まってチャットや通話をしてます。

「サーバー」の中には更に細かく「チャンネル」があって、我が遁世Discordサーバーでは「気になるニュース」とか「今日知ったこと」とか「質問・悩み相談」とかがあって、そこにみんなが書き込む感じです。

作ったのが2020年10月だから、もう2年近くやってる。

参加人数は2500人を超えた。大規模サーバーと言っていい人数だ。

作った理由と実際のところはこんな感じ。

 

1.「山奥ニート系」シェアハウス立ち上げ支援

Twitterでちょこちょこ「山奥ニートやってみたい」という声を聞くけど、ただつぶやいているだけでは現実性がない。でもそういう人が集まればもっと具体的な話になっていく。物件の確保の仕方、家賃の設定などのノウハウを共有できる。

→ 遁世Discordに参加しているシェアハウスは現在28件。すごい。ただ、運営や立ち上げの相談みたいなのはあまりない。というのも、シェアハウスの主催者同士で仲が悪いことが結構ある。僕はコミュ力というのは絶対的な数字ではなく、パズルのピースをいくつもっているか、というものだと思っている。持っているピースが少ない人は、主催者になるといい。そうしたら手持ちのピースにハマる人が来るから。だからいわゆるコミュ力のピースが少ない人がシェアハウス主催者になるのは良いことだと思う。でも主催者同士の会話になると、ディスコミュニケーションが発生することがしばしば・・・。まぁ、それも含めて住みたい人はどの主催者がいるシェアハウスを選べるので良いことだと思う。

 

2.共生舎に人来すぎ

空き部屋がない時も共生舎に「行くところないんです。住ませてください」って連絡がしょっちゅう来る。心苦しいが断るしかない。でもこのDiscordの存在によって、他のシェアハウスを紹介できるようになるはず。

→ 共生舎で断った人が、他のシェアハウスに住むという流れはよくあることになった。シェアハウス同士でも、このシェアハウス合わないなと思った人が、すぐに別のシェアハウスを見つけて引っ越すことができている。

 

3.コミュニティの連携

山奥ニート的なことをしてる人って、実は全国にたくさんいる。でも各地に散らばってるから、ほとんど交流がない。そういうコミュニティにいる人って社会のいざこざが嫌だからやってるところあるから。

この日本に自分と近い考えの人がたくさんいるのに、その存在すら把握できないのはなんだか悲しい。このDiscordに入ることによって、他のコミュニティの状況を把握できて、それを真似したり自分と比較することができる。文化って人が集まっていないとできないけど、インターネット上で擬似的に集まることで文化が熟成されたら素敵だ。それがヒッピーのようなムーブメントに成長するかも。

→ それぞれのシェアハウスの「チャンネル」で、みんなすごく真面目に活動報告を上げている。見てて楽しいし、山奥に住んでいる僕ですらうらやましいと思うようなことがある。海はいいなぁ。Discordに入ってないコミュニティに行った報告が上がるのもとても良い。ただ、文化になるにはほど遠い。それには遊び成分が足りない。
たとえば「今日知ったこと」ってチャンネル、僕がひきこもりだった頃にあったら、1日ネットの海で泳いで見つけたものを教えたくてしょうがなかったと思うし、みんなの知識が集まったら辞典みたいになって面白いと思うんだけど、ほぼ僕しか書き込んでない。みんなだらだらネットしないんだなって思う。一番盛り上がってるのはだいたい投資の話。寂しい。

 

4.炎上怖い

僕のTwitterのフォロワーが1万5千人を超えて、ツイートする前に炎上しないかどうかいちいち気にする必要が出てきた。そういう目で見ると、僕のフォロワーのツイートの中でも「それフォロワー1万人超えてたら炎上してるよ」ってものがいくつもある。かといってオンラインサロンはうさんくさいし、全世界に開け放たれているわけではないけど、それなりに閉じた場所がほしい。(まぁ遁世Discordには誰でもすぐに参加できるんだけど)

→ うーん、Discordの中のほうがかえってうかつな事を言えない雰囲気はあるかも。みんなシェアハウスを運営していたり、住む場所を探していて、真剣だから。うっかりしたこと言うと「それってウチのシェアハウスdisってます?」みたいなのが来る。あと単純に2500人は閉じてない。
鶴見済さんがやってる「不適応者の居場所」のネット上みたいになったらいいなと思ってたんだけど、みんなが安心して発言できるという雰囲気ではないなぁ。まぁ真剣に住む場所探してる人には良いことなんだけど。

 

あとはまぁ、

・グループ通話で「死にたい」と話す十代の子に対して大人があれこれアドバイス

・漫画描きながら作業通話する人

・沖縄オフで、原付借りてツーリングを映像付きで中継

・「遁世キャラバン」と題し、車に乗り合わせて各地のシェアハウスを巡る旅を敢行。途中で降りたり、新しい人が乗ったり。

・「遁世サミット」と題し、今年1月に名古屋に各シェアハウスの主催者が集まるイベントをやった。それぞれのシェアハウスの紹介したり、ボードゲームしたり。

・山奥ニートがやってるサーバーに入っておきながら、ニートを馬鹿にする人をBAN

・その他、いろんな人との対話、対話、対話・・・

 

無料で誰でも参加可能なのでよかったら覗いてみてくださいな。

僕はもっと暇なニートが来るといいと思ってます。

discord.gg

 

 

 

 

 

2021年の山奥ニート

ざっと報告。

2021

1月 NHKおはよう日本で放送される。FANBOXで定期収入を得ようとしたけど、全然更新できなかったです…。

2月 ニート祭り2021。今回のゲストは大原扁理さんと武田砂鉄さん。山奥に住んでる僕が凄い人と知り合える貴重な機会です。

3月 みかんサバを送っていただいて、しめ鯖にして食べた。皮剥いたり骨抜いたり面倒だったけど、すごくすごく美味しかった。ウマ娘が流行って、アニメ一気観したり、アプリをみんな一斉に始めて楽しかった。

4月 集落の鳥居が倒れたので、新しい鳥居を再建するのを手伝う。具体的には、材料となる木を運んだ。朝だったので僕は貧血で倒れていた。共生舎養蜂部が発足してがんばってた。僕は蜂怖いのでやりません。

5月 NHKの山奥ニートのドキュメンタリーが放送される。8月にも再放送

6月 この辺から僕が運営してる「遁世Discord」発のシェアハウスの多くが実働しはじめた気がする。この記事書いてる時点で23件登録されてます。選べるのはいいことだ。

7月 何も覚えてないな。大原扁理さんとインドカレー食べに行った。

8月 食欲がなくなったので、ついでに100時間断食した。

9月 名古屋に住んでた妻が、山奥に引っ越してくる。仕事は変わらず、リモートでやってる。

10月 妻のために自室の床を張り替えた。DIYは楽しいけど、人のためにやると感謝を強要してしまうのでよくない。

11月 ももこさん夫妻の子供が産まれる。まだ小さすぎて、手伝うとかできない。

12月 コロナが一旦落ち着いたので、講演依頼が一気に3件くる。同じ資料使い回せたからよかった。

1月 年末は妻もいなくなるし、退屈だから気分を変えようと思って実家に一ヶ月くらいいた。ちょうど名古屋で「遁世サミット」なるDiscordオフ会があって参加した。エデン名古屋で一日バーテンもやった。

 

面白かったコンテンツ

・シン・エヴァンゲリオン(アニメ映画)

・オモウマい店(テレビ番組)

チェンソーマン(漫画)

・ダンダダン(漫画)

アラビアのロレンス(映画)

レ・ミゼラブル(1998年の映画。2012年版は刺さらなかった)

・腰痛は怒りである(本)

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↑ 赤ちゃんを見てると、富士山や虹や台風のときと同じ気持ちになる。偉大なる自然に、人は畏怖するしかない。

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↑ なんか偉い人がたくさんいる所で山奥ニートの暮らしを発表した。

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↑ 山奥ではコロナとか関係なく、地域の人と飲み会してます。

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↑ すべての肉の中で、アナグマが一番美味しいんです。

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↑ 苦手な人、ぎょっとするだろうけど、スズメバチの素揚げ。これが手が止まらなくなるくらい美味しいんです。

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↑ 床の張替え。お金はかかったけど、見違えるくらいきれいになった。

ザ・ノンフィクションに出ます

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2022年2月20日放送の『ザ・ノンフィクション』に出ます。

一年くらいずっと取材を受けていました。うちの住人はもう取材にウンザリしてます。

「山奥ニートの結婚 ~一緒に赤ちゃん育てませんか~」というサブタイトルがついています。

僕は本出してからこの2年間、マジで全然働いてないのでニートと呼ぶ以外ないと思うけど、今回、結婚して子供産まれた住人は普通に働いてるからニートじゃないんだよな…。タイトル詐欺です。

そんな感じで、自分も映像まだ見てないので、だいぶ不安です。

放送されてないのに、想像だけでTwitterで叩かれてるし…。

実際はこの一年、山奥に住んだ8年間の中で一番平和だったと思う。コロナのおかげで、新しい人入ってこないから、気心知れた人しか周りにいない。

でもだんだん空気淀んでくるので、そろそろ開放したいけど、情勢見るにまだ先かな。

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実は僕が『ザ・ノンフィクション』という番組に出るのは初めてじゃなくて、phaさんの回にちょっとだけ出てるんです。もう4年も前らしい。

ナレーションはヨルシカのボーカルだそうです。そこは楽しみ。

 

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別居婚を解消しました

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結婚したのが3年前。

遠距離恋愛で付き合っていた期間も含めると、かなり長い間、妻は名古屋で会社員、僕は和歌山の山奥でニートをしているという、いわゆる別居婚が続いていた。

ちなみにこの「名古屋」というのは、厳密に言うと「名古屋圏」のことです。

別居婚というと、なんだか仲が悪いように思われそうなので、説明が面倒くさいときは「僕が和歌山で単身赴任でニートしている」なんて言うこともある。

僕は山奥の暮らしがとても楽しかったし、妻は自分の専門である仕事に就くことができている。

僕ら2人とって、結婚しても別々に住むというのは当たり前のことでした。結婚自体も、特に結婚への障害がないし、税金とか安くなるんならしとくか、というふんわりしたものだった。

僕は基本的にヒマなので、たまに妻のところに行っては、遅く帰宅する妻のご飯を用意します。洗濯や掃除に手を出すとダメ出しの嵐なので、料理だけ。なので専業主夫とはちょっと言いづらい。妻の家にいる間は、ヒモに毛が生えたような存在だ。

そういうわけで僕は、地方都市である名古屋と、和歌山の山奥の二拠点生活をしていました。

山奥ニート本も、多くの部分を気軽に図書館に行ける名古屋にいる間に書いていたし、元々田舎より都会のほうが好きなので、良い気分転換になる。

都会は歩くだけで、様々な情報が飛び込んでくるし、たくさんの人間の創意工夫に感心する。でもこれは山奥の住人たちの中では異端で、みんなは広告の多さと騒音にうんざりするみたい。

僕にとって、2拠点生活の最も良いところは、移動するたびに自分の生活をリセットできる点だった。

毎回、移動する日が近づくと、身辺整理を始める。

山奥を離れるときには、川で水遊びは十分楽しんだか、BBQはしたか、雨上がりの早朝の雲海に浮かぶ黒い山を見たか。

都会を離れるときには、散歩途中で缶チューハイを買ったか、マックや丸亀製麺には行ったか、妻と十分時間を過ごしたか。

「いつでもできる」と思うと、案外やらないもんです。逆にもうすぐここからいなくなるんだとわかると、なんでもないものも大事に思えるようになる。

そうして、山奥から都会に行くなら、山奥の僕は死に、都会の僕として生まれ変わる。都会を去り山奥へ戻るときは、その逆になる。

交通手段は鈍行電車をよく使う。

高速バスのほうがほんの少し安いけれど、何度か乗り過ごしたことがある。それに、南紀へ向かう電車はいつだって空いていて、車窓から緑を眺めながら、静かに酒を飲むのだ。

乗り物に乗っている間は、そこに座っているだけで「移動している」ことになる。

自分が何もしていなくても、何かしていることになる。

ぼーっとしていても、罪悪感を覚えるスキマがない。

だから旅が好きだ。

けれど、完全に脱力していいわけじゃない。

名古屋から山奥へ帰るときは、脳の一部を覚醒させておかなくちゃ。

14時50分に紀伊田辺駅に着いていなければ、共生舎行きのバスに間に合わなくなる。

これは、朝8時に出発しても、電車1本逃したら自力で帰れなくなることを意味する。

ちょうどよく、うちの住人が町に降りていればピックアップしてもらえるけど、僕は携帯電話を持っていないので、それもなかなか難しい。

電車の遅延は致命傷。そのせいで、駅前のゲストハウスに泊まったことが何度かある。

何年も同じ路線に乗っているから、すっかり新鮮味がなくなってしまった。ワクワクする旅ではなく、ルーチンになる。残るのは疲れだけ。

交通費だって馬鹿にならない。

でもこの2拠点生活で一番嫌だったのは、名残惜しそうに僕を見送る妻の顔を見ることだった。

  ***

そうして「そろそろなんとかしたい」と2人が思い始めた折に、新型コロナがやってきた。

名古屋でも時短営業。外に出るにはマスクが必須。山を降りても知人にすら会えない。

多くの会社がリモートワークを始めた。

ならもう都会の意味ないじゃん。ってことで、妻も最先端の仲間入り。

妻の会社も、リモートワークにOKを出した。

今の会社に籍を置いたまま、今年9月からこの山奥に住むことになった。

僕と妻が出会ったのは、妻がこの近くで猟師の見習いをしていたとき。猟師見習いを辞めたあと、短い間だけど共生舎に住んでいたこともある。

山奥での暮らしは抵抗がないどころか、念願といってもいい。

僕の部屋は他より多少広い場所を使わせてもらっているので、なんとか2人暮らせる。

日中は妻は別の部屋でお仕事。僕はその間、今までどおりの山奥ニート

妻と一緒に、山奥の季節を感じられるのが嬉しい。

新型コロナを利用してやれた。ざまあみろ。やられっぱなしじゃないからな。

妊娠中のももこさんがワクチンが打てないこともあって、しばらく鎖国は続けるだろう。

夫婦が2組いることを他の住人たちはどう思ってるんだろう。

僕と妻にとっては、ももこさん夫妻の子供が生まれることは、将来自分たちが子育てするにあたって、格好のモデルケースだ。なるべく手伝わせてもらって、経験を積みたい。

予定日は12月。

一体これからどうなるんだろう。

今はとっても平和で、おだやかな毎日だ。

でも間もなく別世界からやってくる、カオスの化身を、僕は楽しみにしている。

 

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↑ 地域の人の家で飲む

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↑ おでんが美味しい季節

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↑ アナグマ美味しかった