山奥ニートの日記

ニートを集めて山奥に住んでます。

ショッピングモール化するインターネット

インターネットとの出会い

ぼくが最初にインターネットに触れたのは中学生の時、2003年くらいかな。
その頃のインターネットは、ドラわさびとかpya!とかそんな感じだった。あと電車男は2004年か(しらない子はパパにきいてみよう)。
それから高校生になって親のパソコンを占有するようになり、自分のノートパソコン買ってもらってブログを始めたりネトゲしたりした。
ぼくの記憶にあるインターネットは、個人のサイトの「リンク集」を辿っていく感覚だ。お気に入りからサイト巡回もしてたな。

今のインターネット

で、2016年現在に戻ってみると「リンク集」なんて言葉が死語も同然になってるように、ネットに深く潜っていく感覚は失われた。
インターネットをやってるというより、TwitteryoutubeWikipediaを見てるだけのような感覚だ。
わざわざ自分で面白いことを探しにいかなくても、一定のクオリティのものが勝手に流れてくるようになった。
味が失われた、というのはなんだか懐古みたいで嫌だけど、言いたいのはそういうことだ。

今のネットはショッピングモール

今のインターネットってショッピングモールみたいだと思う。
自分で個人商店を探さなくても、いろんな場所からみんなにウケたものが集まってくる。
中学生、高校生、カップルに向けたものがたくさん生まれた。
便利だけど、そんなセルアウトなものダッセーって言うひねくれた人もいる。
昔の、やってるんだかやってないんだかよくわかんない個人商店ののれんをくぐって、来場者数カウンターを回しながらサイトの隅々まで見た時代が懐かしいね。そうした個人サイトは今や絶滅状態に近い。
インターネットがショッピングモール化している。
別に悪いことじゃない。イオンだったら撤退した後ひどいことになるかもしれないが、Twitterがなくなっても代わりの何かがすぐに生まれるだろう。
いきなりブラクラ踏ませるような危険もほぼないしね(昔のインターネットユーザーの8割が、散歩中に見かけた蓮の種に恐怖を抱いたという。なぜだろう?)。
でもなんか物足りない。結局、品が変わってるだけで、見るのは毎日同じ光景だ。今日は何があるんだろう、というワクワク感はない。ルーチンワーク。同じ水色の鳥、同じ「今、なにしてる?」、同じHIKAKINの顔。

インターネットブラウザがなくなるのはそう遠くない気がする。
それぞれのアプリを起動すればいい。TwitterならTwitterのアプリ、YouTubeならYouTubeのアプリを。
検索窓に文字を叩きこめば、世界中と繋がれる、なんてのはまやかしだ。
真実はSEO対策ばっちり金稼ぎ目的のサイトが表示されるばかり。
TwitterYouTubeFacebookWikipediaTumblr以外に繋がらないインターネットでも、別に困らないだろ?

ぼくらのインターネットはどこへ行った

でもどっかに昔のような自由なインターネットがあるんだろうなー。
ぼくのアンテナが鈍いだけで。
このインターネットの海のどこかで、カオスで馬鹿馬鹿しい祭りが起こっているに違いない。

それとも単なる「昔は良かった」的な老害で、昔のインターネットもこんなにつまらなかったんだろうか。
まぁ中学生の頃好きだったフラッシュは、今見ると何が面白いのかまったくわからないのは事実だけど。

ところで、TwitterYouTubeがショッピングモールだとすると、今個人サイトをHTMLなんかで建てたら、それはDIYってことになるのかな。
「小屋暮らし」の生き方が興味を持たれる時代だけど、インターネットの中に小屋を立てるほうが簡単だ。

さぁ、君もDo it your self! 君が作った小屋を見せてくれ。
ぼくは、シアンとマゼンダだらけの、文字が点滅しながら流れていく、開いた途端MIDIが流れて慌ててミュートにする、あのホームページが見たいんだー。

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