過去記事掘り起こし
山奥ニートを始めたのは2014年4月から。
昨日今日と前のブログの記事をこのブログに移す作業をしている。
Tumblrから直接インポートする方法はないようで、一つずつコピペして画像をアップロードし直した。これが思いのほか時間がかかって、MPが減っていく。
2014年は今の元小学校の建物ではなくて、古民家に住んでいた。
最初は2人、夏頃に2人増えて4人になった。
もうはるか昔のことみたいだ。
数えてみると山奥ニートはもうすぐ4周年になるようだけど、感覚的には何十年も経ったかのようだ。それくらい山奥での暮らしは変化に満ちていて、今までの普通のニート生活より濃い毎日だったということだろう。
せっかく昔のブログ記事を掘り起こしたので、印象深い記事をピックアップして載せておく。
NPOの理事長がなくなったという記事
村の人と一緒に宴会をした記事
ねずみとの戦い。夜通し生放送をして、ねずみの侵入経路や何をしているか視聴者に見ていてもらったことがある。
住んで三ヶ月経った時の感想
初めて狩猟的なことをやった時のこと
隣の家が火事になって、消火活動をした話
phaさんに会いに行った時のこと
都会田舎計画の話
そして2015年の4月に今住んでいる廃校になった小学校へ引っ越した。
山奥ニートと不便益
山奥に住んでいて、不便じゃないんですか?
よく聞かれる質問だ。
住めば都とはよく言ったもので、一番近い信号が車で一時間走った所にあるこんな山奥でも、慣れてしまえばあまり苦にならない。
それに、技術は日々進歩している。
インターネットがなければ、とても山奥になんて暮らす気にならない。
逆に言えばインターネットさえあれば、世界中どこにいたって大して変わらないと僕は思ってる。
東京に比べたらテレビ局は少ないけどAbema、Netflix、Hulu等使えば関係ないね。
欲しいものがあれば、ほとんどのものはAmazonで買える。
外の人と話したかったらTwitterや生放送をすればいい。
妻とはあまり会えないけど、Skypeでいつも繋がっている。
人類の叡智をもってすれば、山奥すら快適だ。
便利なのはいいことだ。
一方で「不便益」という言葉がある。
不便だからこそ、良いことがあるという考え方だ。
「若い時の苦労は買ってでもしろ」と言ってるわけじゃない。
山奥ニートがそんな事言うわけないじゃないか。
それに酸っぱい葡萄の話でもない。
たとえば、貯金箱。
蓋を開けるだけで簡単に入れたお金を取り出せる貯金箱と、一旦お金を入れてしまったら割るまで出せない貯金箱、どちらがいいだろう。
蓋を開けられる貯金箱のほうが便利だ。割らなきゃ出せないほうは、間違えてお金入れちゃっても取り出せないし、お金を下ろすためにいちいち割らなきゃいけない。地球にもやさしくないね。
でも、お金が溜まりやすいのは割らなきゃいけないほうだ。
蓋があったらちょっとお金がなくなるたびに、出して使って貯まらない。
蓋があるほうが便利なのに、不便なほうが目的にはあっている。
これが不便益の考え方だ。
介護の世界では「バリアアリー」という言葉があるそうだ。
バリアフリーじゃない、バリアアリー。バリア、有り。
バリアアリーのデイサービス施設には、わざと長い階段や、段差が設けられている。スロープやエスカレーターをいつも使っていたら足の筋力が弱ってしまう。何の苦労もなく生活していたら、ボケだって進行していくだろう。
わざと不便さを残すことで、お年寄りが自分の力で生活できるように特訓している。
僕の住んでいる共生舎は住所を公開している。
遊びに来たければどうぞ、とも言っている。
普通インターネットに住所を公開したらヘンな奴が来るだろう。
でも今のところ、そんなにヤバい奴が来たことはない。
僕が思うに、その理由は山奥だからだ。ここに来るには相応の覚悟がいる。初めて来るほとんどの人は口を揃えて「想像以上に山奥でした」と言う。山の中では携帯電話だって繋がらないんだ。だからしっかりとした事前準備なしにはここに辿り着けない。
僕らはこの山に守られている。これも不便益だろう。
繰り返して言うけど、苦労するのがいいことだとは思わない。苦労なんてしないほうがいいに決まってる。
でも、苦労するのがイコール不幸ではない。
もし苦労=不幸なのだとしたら、この集落にいる村の人はどうなるんだ。未だに薪を割ってお風呂を沸かしてる人だっている。年金貰えるんだから、もっと便利な町に移り住めばいいのに。お湯なんてガスで一瞬で沸かせるし、スーパーも近くて便利だろう。
でもそうしない。山奥が好きなんだって。
逆も言える。苦労しないことが幸せではない。ニートは親の金で飯が食えて羨ましいと言う人がいるけど、そんな事はない。多くのニートは焦りとプレッシャーの中で戦っている。経験者の僕が言うんだから間違いない。
便利なことと、幸せなことは直接結びつかないんだ。
ある程度の相関はあるだろう。まったく関係ないわけじゃない。
でも、不便なことにも良いことがある。
山奥に来て、一番考えが変わったのはこれかもしれない。
今日お昼にイタチが捕まった。かわいい顔してるけど、うちの鶏を何羽も惨殺している。こいつらは食べるために殺すんじゃない、遊びで殺すんだ。殺すんなら食べろよ……。
大きさからしてメスだ。メスのイタチは殺しちゃいけない事になっている。遠くに逃した。もう来るんじゃない。
ホームレス小谷さんと比較すると、自分の原点が見えてきた(かも)
ホームレス小谷さんの事は前から知っていた。
「世界一ハッピーなホームレス」というキャッチフレーズで活動している人だ。
最近、FROGGYというサイトで彼のインタビューが公開されていた。
炊き出しに行くことをツイートしたり、今寝ている公園を当てたらダンボールがプレゼントされるとか、すげー面白い。BASEで一日50円でなんでも屋をやるのも面白い。
ホームレスなのに結婚しちゃうのも面白い。僕はニートなのに結婚したので、その道の先輩だ。
ホームレスになって生活レベルが上がったそうだけど、僕も山奥に来たおかげで美味しいものを食べられる機会に何度も恵まれている。
しかし、面白いと思う一方で、ホームレス小谷さんとは大きな隔たりを感じる。
僕はホームレス小谷さんみたいになれない。できない。やりたくない。
他人から見たら同じ事をしてるように見えるかもしれない。
僕が目指す「一流のニート」と、ホームレス小谷さんの「世界一ハッピーなホームレス」は何が違うんだろう?
ホームレス小谷さんのブログやツイッターって、宣伝ばかりなんだよね。
ブログによると「天才万博」というフェスを主催しているらしい。すごい。
イベントの主催をするなんて、僕にはとてもできない。
主催なら、そりゃ精一杯宣伝するよ。当たり前だ。
2017年1月9日現在、ホームレス小谷さんのツイッターは「レターポット」の自動投稿で埋まっている。
「レターポット」とは、キングコング西野さんが作ったウェブサービスらしい。
ホームレス小谷さんはキングコング西野さんの家に住んでいた事があるそうで、繋がりがあるんだろう。その時の恩義で宣伝しているのか、それとも単に知り合いが作ったサービスが面白くて夢中でやってるだけなのかも。
でもなんだか、そういう宣伝を見ると「ホームレス」も「一日50円で豊かに生きていく」も、結局ビジネスじゃないかと思ってしまう。
今までと違うビジネスの仕方をしているだけ。
ビジネスが悪いこととは言わない。
それに、僕がイベントやメディアに出る時、何度も宣伝ツイートをしている事を忘れたわけじゃない。でも、本当はしたくないと思ってるんだ。だけど僕を呼んだせいで主催者が大損したら気の毒だから、宣伝する。これからもするだろう。ニート祭り2018よろしくね。
なんなんだ!
なにが言いたいんだ僕は!
自分でもはっきりとはわからない。
ただ僕が思う「一流のニート」は自分を宣伝なんかしないと思うんだ。
自分を宣伝するってことは「仕事ください」と言ってるのと同じだ。それはニートではない。求職者だ。
「世界一ハッピーなホームレス」は自分を宣伝するんだろうか?
まぁしてもおかしくない。ホームレスは求職しててもホームレスだから。
僕は「一流のニート」になりたいんだ。
それも、物心ついた時からずっと。
このブログの右側にだって書いてある。
「山奥ニート」はそのための手段に過ぎない。
そんなことを、ホームレス小谷さんを見て思い出した。
ニート祭り2018に出演します
NPO法人ニュースタートさんが開催する2月10日(ニートの日)のニート祭りの今年も呼んでもらいました。
毎年話題を呼ぶニート祭りも今回で12回だそうです。今年は土曜日なので盛り上がりそうですね。
今回は小屋暮らしのかつやさんと一緒です。
テーマは「ひきこもらず、ニート的感性で生きる!」です。誰が考えたんだかわからないけど、いいテーマですね。
「ニート」という言葉には多くの意味があって便利なもので、僕もついつい使いすぎてしまいます。「ニート的感性」とはどういうものなのでしょうか。それは良いものなんでしょうか。みんなで良いニートを目指しましょう。
参加費は500円。事前の支払いが必要です。
あと、どうせ東京に行くので、翌日2月11日(日曜)はイベントバー・エデンで一日バーテンやります。こちらもどうぞ。
山奥ニートの年越し2018
麻雀やりながら『笑ってはいけない~』見てたら年を越したようだ。
三が日が過ぎて、旅館手伝っていた人や、帰省していた人たちが戻ってきた。
また賑やかになりそうだ。
個人的な2017年の目標は「何事もなく結婚すること」だった。目標通り何事もなく結婚式をやり過ごせたのはラッキーとしか言いようがない。
ちなみに2016年の目標は「雇われずに1円でも稼ぐこと」で、これは達成できずに2017年に持ち越された。こちらはイベントやテレビ出演でいくらか貰っていることで達成できたと言えるんだけど、そういうのは持続可能性がないからあまりよくない。
今年は、本を出したい。
この山奥ニートの面白さはもっと世に広めるべきで、そのために何か形にしたい。
作家になるのはとても難しいけど、一冊本を出すのは一人の編集者にさえ認められればそう難しくない気がする。
前に海堂尊が『スタジオパークからこんにちは』で「誰でも一生に一冊は面白い本が書ける」と言っていた。それはサマセット・モームからの引用のようだけど、アナウンサーが「私は前に書こうとしたけど書けなかったです」と笑いながら言ったら、海堂尊が「それは貴方が本を書くべきタイミングではなかっただけです。その時が来ればきっと書けます」と確信を持って言い返したのを憶えている。僕の書くべき時はいつだろう。
なんとなく、今年なんじゃないかと予感する。