どうにも書きたいことが現れては消えていく
女性の太ももってすごく魅力的じゃないですか。
二次元でも、3Dモデルでも、写真集でも。
でもネットで画像漁ってると、たまに「実は男でしたー」なんてことがある。
これいい太ももだなーと思って画像保存したあとに実は男ですってわかるととても悔しい気分になるし、男の太ももで興奮してしまった自分が情けなく思う。保存した画像はもちろん即刻ゴミ箱行き。
でもそれっておかしな話だ。
別に男が男をおかずにしてしまっても別に問題ないはずだ。一体どこに問題がある?
結局ぼくがゲイに偏見があるから、綺麗な男の太ももはゴミ箱送りにしているのだ。
20年そこそこ生きていれば世の中の仕組みもなんとなくわかってくるもので、絶対的な悪人なんていなくって、こういう当たり前に考えていることが積み重なって差別とかいじめとかいう「悪」が生まれていくのだろう。
たとえば歌い手がひとり捕まったからって、ここぞとばかり「歌い手」という存在に対する不満点をぶちまける人がいる。普段はオタクがひとり捕まったからってオタク全部が悪いわけじゃないって言ってるその口で。
たとえば「韓国人は裏表があり、その場しのぎで強者に媚を売る」なんて何の論理性もないレイシズムをこの21世紀の時代でも当たり前のように言う人がいる。LINEのことだってそうだ。毎日Google使っといて情報漏れとか今更な気がする。
たとえばある有名人のブログに書かれたものは不幸になるだなんて話を無制限に信じたりする。有名税だとか宣伝になってるとか言うけど、そんな名の知れ方をして嬉しいだろうか?「お前の触ったものに触れると不幸になる」って小学校くらいの時にいじめられた人はたくさんいるでしょう。なんとも思わないんだろうか?
ぼくは「~するべきだ」とか「~しなければならない」なんて言い方が口癖になっているんだけど、それだってリベラルには程遠い悪癖だ。
他人の中にある「悪」にはさわれないけど、せめて自分の中にあるそういうものは自覚しておきたいなあと思う今日このごろ。