山奥ニートの日記

ニートを集めて山奥に住んでます。

よいお年を

「よいお年を」って言葉が好きだ。

挨拶自体はあんまり好きじゃなくて、起きて居間にいる住人に「おはよう」と言うのはなんだか照れくさくて嫌だ(やるけど)。

「よいお年を」は他の挨拶と違って、「年明けまではもう会いません」という意思が含まれてる。

いつもは別れるときに「それじゃ、また」みたいに、また会いましょうと社交辞令をするけど、年末だけはそれをしなくていい。会わないことを表明する挨拶は「よいお年を」だけだ。「さようなら」は寂しすぎて、小学生以来使ってない。

英語だと「Good luck」とか「Have a nice day」とか「良い○○を」という挨拶は多いけど、日本語だと他にない。

 

年末の感じは死ぬ間際に似てる気がする。死んだことないからわからないけど。

年末の大掃除は身辺整理だ。冬至の日の短さは世界の終わりだ。

ぼくが病気になったりして、もうすぐ死ぬと思うようになったとき、別れるときに言うべき言葉は「よいお年を」に限りなく近い何かだと思う。

「今世ではもう会わないけど、良い残りの人生を」、たぶんそんなことを言う。

「よいお年を」は「もう会わない」という寂しさを社交辞令でごまかさない。でも相手の息災を願う気持ちは本当だ。自分の不利益にならない程度には他人の幸せを願う、人間の感じが上手く表現された挨拶だ。

だからぼくは「よいお年を」というのが好き。なるべく早いほうが味わいがあって好き。その年で一番最初に「よいお年を」を聞くと嬉しくなる。でも今年はあんまり聞かなかったな。

2016年はいろいろ遊びに行って、あまり地に足ついてなかった。若いうちは増長もまた良し。後で黒歴史にならない程度に調子に乗って行こう。

 

それではみなさん。残り少ないけど、よいお年を。