明日Abemaに出ます
インターネットで見れるテレビ、AbemaTVのニュース番組『AbemaPrime』に明日出演します。
21:00~23:00の放送です。僕は21:30以降に出るそうです。
山奥に取材来てもらったのでそのVTRと、スタジオに行って少し話すみたいです。
この記事に書いたように、イライラしてた時に撮られたものなのでオンエアが憂鬱だ…。絶対叩かれるだろうなぁ。ほんと、いつもはあんなんじゃないんですよ…。
あと、せっかくテレビの経費で東京に行けるので、ついでにえらいてんちょうと会う事にしました。
えらいてんちょうはブログもツイッターも生き方もめちゃくちゃ面白いです。
こんなのやってるんで、僕とえらいてんちょうに美味いもの食べさせたい人はお願いします。
山奥ニート、北へ(その4) 青森の一泊1900円のホテルに泊まる
青森駅前に着いたのは夕方ごろ。盛岡から弘前までバスに乗って、そこから電車で青森市へ。
8月なのに、Tシャツでは寒いくらいの気温だ。
まずはホテルにチェックインする。とんでもなく安いホテルを見つけたのだ。
一泊1900円というのはすごい。
部屋の中はこんな感じ。
部屋には髪の毛が何本か落ちていて、気にする人は気にするかもしれない。僕はこの値段なら全然OK。
テーブルの上にはオーナーが趣味か、ビジネス本が置いてあった。
そして、原価がすべて公開されていた。面白い。
この部屋1900円なのに、原価で超えてるんだけど。他の部屋で元を取ってるんだろうか。
ネットカフェと違って、ホテルのいいところは荷物を置いて外出できることだ。青森駅前をぶらつくことにした。
海。寒かった。
アスパム。格好いい。
びっくりするくらい美味しかった。
前から、街路樹に桜じゃなくて食べられる木を植えたら、貧乏でも餓死しなくて済むのになぁと思っていたけど、青森の街路樹はりんごだった。青森でニートすれば、このりんごを食べて行きていけるかもしれない。
明日のために、早めに寝るべきだったけど、久しぶりにテレビを点けたせいでだらだらと起きてしまった。
結局1時くらいに寝た。
明日はいよいよ、この旅の目的を果たす。
山奥ニート、マジギレする
今日、産まれて初めて「マジギレ」してしまった。
僕に会った事がある人は、僕が怒るような性格じゃないことはよくわかると思う。
実際、腹を立てることなんて一年に一度くらいしかない上、それを相手に伝えることはほとんどない。すぐに忘れる。
僕も自分自身を怒らない人だと思っていた。怒ってる人を見ると、なんでそんなに真剣に怒れるんだろうと不思議に思っていた。
ところが今日、僕は人を怒鳴りつけ、物を当たらずにいられなかったんだ。
昨日の夜からなんとなく虫の居所が悪かった。理由はこれと言ってないんだけど、なんとなくカリカリしていて、Twitterで少し棘がある事を言ったり、住人のブログのおかしな所を突っ込んだりしていた。イライラの理由を強いて挙げれば、テレビの取材が思ったより急だったことくらいかな。でも別に不都合があるわけじゃないし、何の連絡もなく話が消えるよりマシだ。
今朝起きた時も機嫌が悪かった。いつも寝起きでボケている事はあれど、不機嫌になることなんてないのに。朝からテレビの取材で、愛想なく「おはようございます」と言った。キャンプ場のアルバイトの日だった。
今日の予定は、午前中にキャンプ場アルバイト、午後に地域のお祭り、夜に隣のお爺さんと一緒に借りてきた映画を見るつもりだ。テレビの取材の人にもそう伝えていた。
僕はあんまりキャンプ場に行ってなかったんだけど、今日は軽トラを運転する仕事があるから「どうしても」と言われて行くことにした。お祭りは午後からなので、午前中は仕事しても十分間に合う。僕は他の住人と「お祭り楽しみだね」という話題を何度かしていた。アルバイトが午前中で終わることはホワイトボードに書いてあったし、僕が今日行くことになった時もお祭りに行ける事を確認した。
バイト先へ出発する時に、お隣のお爺さんに会った。お祭りにお店を出すので、14時に車で送って欲しいと言われた。もちろんOK、今日は午前中で終わりだから一緒にお祭り行けますと答えた。
キャンプ場のアルバイトは僕とあと2人の住人で行った。2人とも割と最近来た子で、今いる中では一番若い子と二番目に若い子だった。
バイト先のキャンプ場に着いて、スタッフのおばちゃんに言われたのは「今日は15時くらいに終わるよ」だった。僕は驚いた! 午前に終わるって聞いたし、お弁当も持ってきてないですよ。そしたら住人の若い子が「え? みんなに言いましたけど」と言った。
言いましたよじゃねえよ!
僕は怒鳴ってしまった。
なんでホワイトボードに午後なしって書いてあったのに訂正しなかったの? おかしいと思わなかったの? みんなって誰だよ。僕はみんなの前で今日仕事行く事言ったよ。だから十中八九みんな今日午後ある事わかってないよ。お爺さんと話してた時、いたじゃん一緒に。なんでその時言わなかったの? 自分以外に興味ないの? 僕がお祭りの話してたの聞いてなかったの? 瞬時に言いたい事が山ほど出たけど、原因の追求は後回しだ。お隣のお爺さんは誰に代わりに送ってもらおうか。お祭り、楽しみにしてたのに。
気を取り直して善後策を考えないといけないのに頭が全然働かない。そもそも今日の仕事内容、軽トラの運転じゃないらしい。軽トラの運転手がどうしても必要だから、バイトに入ったのに。それもホワイトボードに書いてあったよね?
とりあえず勤務時間になったので、働く。軽トラの運転以外の仕事の勝手はまったくわからないのでいちいち指示を仰いだ。住人2人は若いからか、人に指示することになれてなくて手持ち無沙汰になることが多かった。そして、普段働いてないから、午後まで体力が持つ自信がない。
テレビの人が合間にインタビューしてくるけど、それにも八つ当たりしてしまう。「働くってなんですか」ってなんですか。どういう意味ですか。逆に聞きますけど、働くの定義を教えてください。人によって定義が違うことについて意見を求めるのって意味あるんですか?
お昼の休憩になった。とりあえず、代わりにお隣さんを送ってもらうよう、共生舎に電話。
体力温存のため、椅子の背もたれにもたれかかって座る。タオルを頭にかぶせて、目をつむる。どうしよう、午後僕だけ抜けて、共生舎戻って、お祭り行って、その後ここに戻ってきて2人を迎えに来るか? いや、それは流石に無駄が多すぎる。バイト先、共生舎、お祭りの場所まではそれぞれ30分かかる。それに3人のバイトを2人で回すのも大変だ。結局お祭り諦めるしかない。テレビの人にお祭りの様子を見せてあげられないのは残念だけど、それはまぁ仕方ない。頭が破裂しそう。抑えきれない。
バチーン!
僕は頭に乗せていたタオルを地面に叩きつけて、立ち上がっていた。
怒りに任せて叩きつけたので、タオルでも大きな音がして、周りにいた全員が振り返った。
僕はピョンピョン跳ねながら「ごめんなさいこんなの初めてで、でもどうにも怒りが抑えられないです」と言った。飛び跳ねたのはそれが一番怖くない動きだと思ったからだ。
バイト先のおばちゃんは、僕の肩に手を回してなでてくれた。僕は顔を伏せて「いやー、僕は怒らない人だと思ってましたけど、人って怒るんですね」と言った。おばちゃんは「そうだよ、世の中に理不尽なこといっぱいあるんだから、でもそのたびに取り乱してたら何も守れないよ」とやさしく言った。僕は少し涙が出て、タオルで顔を拭った。
それでも、それで気が晴れたわけじゃない。
午後のバイト内容は、キャンプ客の車の監視のようなもので、ほとんど僕がやることはなかった。
おばちゃんは僕を気遣ってくれて、バイトを14時までにしてくれた。
怒りは帰り道も収まらない。車内で会話はない。車の運転してもらってんだから、その間運転手が退屈しないように話しかけるべきじゃねえのとか、バイトなのにその服装どうなのとか、どうでもいいことにまで腹が立ってくる。クラクションを思いっきり鳴らしたくて堪らなくなった。
祭りには少し遅れて行くことができた。お肉もいっぱい食べれたし、ビールもいっぱい飲んだ。お隣さんと約束してた映画は行く気分にならかったのと、お酒を飲みすぎて眠ってしまった。代わりに他の住人が別の映画を見に行ったようだ。よかった。
結局、今日僕はいつもより楽な仕事でお金をもらい、お祭りに行って美味しいものを食べられ、お爺さんとの約束も守れたわけで何ひとつ失ってない。だけどこれを書いてる今でも頭に血が登ってくる。
僕だけバイト午前で帰ればよかったんだ。それで他の人に2人を迎えに行ってもらえばいい。それを提案されたけど、他の人の負担考えてそうしなかった。でも、僕がイライラする事よりはそっちのほうが全体の損は少なかったかもしれない。テレビの取材も続いていたけど、最後まで刺々しく接してしまった。いい人だったのに。
この怒りの原因は、僕が今日他の人のために動いた事だ。「こんなにしてやったのに!」と思っているからだ。自分のために動いてたら、腹は立たない。残念だってがっかりするだけだ。
ああ、それにしても
怒りに対象は要らないんだな。恨みには対象が必要だけど、恨んでる気持ちはない。ただ、ひたすら攻撃的な気分だ。誰でもいい、むしゃくしゃしてやってしまいそう。
こんな自分もあるんだ。知らない自分がまだあった。
山奥ニート、北へ(その3)
仙台といえば半田屋らしい。行かない手はない。30分で戻れば、一時間早い列車に乗れたけど、やっぱ無理だった。ご飯を普通盛りにしたらかなり多くて、お腹がすごくいっぱいになった。
一時間ほど電車の待ち時間ができたので、仙台駅をうろつく。昔、ここで野宿をした事がある。あの時は七夕の季節で、飾りが駅前を彩っていた。仙台は都会だ。少なくとも駅周辺に限ればかなりきらびやかだった。
仙台から、ワンマン電車に乗り込む。IKEAもある都会からワンマンが始発するのはなんだか変な感じだ。ワンマン電車は仙台駅を出た時は混んでいたが、すぐに空席ができた。とぎれとぎれのair wifiでインターネットをする。一ノ関に着いた。辺りは真っ暗だ。明かりは見当たらない。一面田んぼなのだろう。駅のホームに降りると、ひんやりとした風が吹いている。Tシャツ一枚の僕は、少し寒かった。
一ノ関は聞いたことない駅名だったが、立派にハブ駅の役割を果たしていた。駅構内のコンビニでチューハイとポテチを買う。財布に入ったお金から、昨日今日使ったお金を計算する。2日で5000円、ただお土産を買った分を除けば3000円だった。1日1500円は食費・宿泊費込みとしては上出来だった。今夜はネカフェに泊まる。
20分ほど待って、盛岡行きの最終電車に乗った。2両編成のワンマンだ。21:41発、22:45着。盛岡ですんなりネカフェの場所がわかればいいんだけど。確か、盛岡は前に行ったことがあったはずだけど、どんな駅かまったく思い出せなかった。地図によれば、北上川を超えた先にネカフェがあるらしい。JR盛岡駅は川の中洲にあった。なんでそんなところに作ったんだ…。
駅からは少し歩いたものの、迷うことなくネカフェに着いた。その向かいにはちょうどじゃじゃ麺屋があったので、盛岡到着を祝って食べる。汁なしのうどんの上にひき肉が乗っているような食べ物だ。よく混ぜて食べる。食べ終わった後、出汁を入れてスープにして飲むらしい。まぁ、冷麺のほうが僕は好きだな。でもお店はピアスをした十代のお兄さんがひとりで切り盛りしていて、なんか良かった。
ネカフェでは『ゴールデンカムイ』と『ファイアパンチ』を読んだ。
盛岡から青森までは18切符が使えない。この区間はJRではなく、第三セクターが運営しているからだ。そのまま鈍行を乗り継いでいく予定だったが、ふとバスのほうが安いんじゃないかと思って調べる。ちなみに名古屋→青森のバスや、東京→青森のバスは売り切れだった。案の定、盛岡から青森のバスがすんなり見つかった。高速道路は通るが、予約の必要がない路線バスのような感じらしい。少し不安を覚えながらも、これを使うことにした。こっちのほうが2000円も安い。
翌朝、ネカフェを出るのが遅れて、バスの時間に間に合わず青森行きは出発してしまった。チケット予約するタイプじゃなくてよかった。青森行きの次のバスは3時間後。さすがに待っていられないので、弘前行きに乗ってから、電車で弘前から青森まで行くことにした。弘前行きのバスのほうが料金が安くて驚いた。青森市のほうが近いイメージだったのだ。
弘前行きバスまで1時間ほどあった。バスの待機所にある観光案内を読む。盛岡は昔、不来方(こずかた)と呼ばれていたらしい。なんだか格好いい名前じゃないか。由来はこうらしい。昔むかし、鬼が暴れていたのを人々が踊りを踊って鎮めたという。この踊りが後のさんさ踊りになったと言われている。そして、鬼はもう来ないと約束をしたから「不来方」なんだそうだ。僕は盛岡のことが好きになった。宮沢賢治、石川啄木の故郷だというのもよい。どちらもニートだ。啄木・賢治青春館というのがあるらしい。どちらも碌な青春を送ってなさそうで面白そうだ。
お盆前だというのに、盛岡は十月のような風が吹いていた。東京の熱にやられた僕には気持ちいい。盛岡、いいじゃん。旅をしていると、不思議と好きになる町とそうでない町に分かれる。それは単に交通の接続が悪くて長い時間待たされてイライラしたり、たまたま店員の対応が良かったりという偶然だけど、気に入った町は次来るときも良いことが起こるものだ。僕はだいたい太平洋側の町が好き。日本海側はいつも曇っているし、海と山の方向感覚が狂って迷子になる。あとは吉野家やマクドナルドみたいなチェーン店がある規模の町がいいなぁ。
弘前行きのバスが来た。高速道路で3時間ほどで着く。いよいよ青森が近づいてきた。
山奥ニート、北へ(その2)
目を覚ますと宇都宮だった。たっぷり2時間近く眠っていた。喉が乾いていた。バックパックには水が入ってたけど、お昼を過ぎてお腹も空いていたので駅のホームのセブンティーンアイスを買って食べた。130円、クッキー&クリーム。思ったより美味しい。クッキーとチョコチップの歯ごたえが心地よかった。黒磯行きの電車はとても混んでいた。空いてそうな車両に乗ったが、大きなリュックを抱えた人やスーツケースを持った人でベンチシートは埋まっていた。
僕はベビーカーを持った父親らしき男性の前に立った。スリムな体型よくで日に焼けている。隣には未就学児だろうか、2人の兄弟が座っていた。おそろいのドクターイエローのTシャツはお気に入りなんだろう。よくみると、ベビーカーの中には虫かごが入っていた。夏休みの虫取り準備は万端だ。兄弟は非日常に興奮しているようで、時折金切り声を上げていたが、向かいに座ったスーツの男性は微笑んでそれを見ていた。僕はなんだか安心した気分になった。電車は住宅地を抜け、田園地帯を走っていた。平たい黄緑の田んぼの向こうには、綺麗な新築の家が並んでいた。空は台風一過で美しい青で、入道雲も遠くに見えた。
北関東の町並みは美しいが新鮮味がなく、すぐに飽きてしまった。いつもなら、ここに住んだらどんな生活を送っていただろうと想像を広げるが、どうにもこの農業用に整理された畑と新築の家の町に住むのはごめんだ。豊かな土地かもしれないが、ワクワクしない、つまらない土地に見えた。
車内に視線を戻すと、鮮やかな黄色いスーツケースを足の間に挟んだ女の子が目に止まった。スーツケースの上にはうなぎパイの袋を持っている。東京を横切って、静岡から来たんだろうか。ケースとは別にひざの上にはリュックを乗せていて、シンプソンズの缶バッチと、アラジンのジーニーの小さなぬいぐるみ、それにうる星やつらのラムちゃんの大きなキーホルダーを付けていた。スマホカバーはスポンジボブ、キャップはヤンキースだ! 僕はなんだかこの子が好きになってしまって、こっそり観察して情報を探したら、それ以上は何もなかった。派手な赤いマニキュアをしていたっけ。
父親とドクターイエローの兄弟は途中の田舎の駅で降りていった。父親の実家があるのだろう。女の子は黒磯まで一緒だったが、乗り換えで見失ってしまった。
山奥ニート、北へ(その1)
東京に着いたのは15時ごろだった。
名古屋を出発したのは8時。それから7時間かけて、東京に入った。盆が近いから、平日昼間でも乗客は多い。18キッパーには難所と名高い静岡県だが、運良く座れてよかった。この乗り換えは何度もしているから、体が覚えている。実際、7時間は一瞬のように感じた。ほとんど眠っていたからだ。旅の前日はいつも徹夜に近くなるが、それを差し引いても車内で十分な睡眠が取れた。
思ったより早く着いたので、どこか寄る場所はないかと考えを巡らせる。お腹は空いていなかった。今から東京の友達に連絡を取るのは億劫だし、何より次の日からの日程を思うと、旅に不確定要素を入れる気にはなれなかった。
三日後に、本州の北端にたどり着かなきゃいけない、絶対に。
お金がないから青春18切符だ。乗れるのは鈍行列車だけ。一日7時間電車の中で過ごす。それを丸三日。日本って意外と広い。
今夜はphaさんが住んでいるシェアハウスに泊めてもらうことにしていた。よく知らないけど、コロニーと呼ばれてるらしい。大方、リビングで値落ちするように眠ることになるだろう。
台東区の駅から少し迷ったが、なんとかたどり着いた。四階建ての建物で、1フロアは細かく区切られている(ああ、もちろん「田舎と比べれば」だ。すっかり僕も田舎者になってしまった。都内ではすごく広いのだろう)。玄関のドアはたぶん開いていて、勝手に入っても怒られないと思ったが、念のためインターホンを押す。phaさんはギターを弾きにスタジオに行っていて不在らしい。代わりに別の人が出迎えてくれた。顎髭を生やした社交的な男の人だった。挨拶がてらTwitterをフォローする。どうやら小説家のようだった。もし別のところで出会ったら色々聞くところだけど、ギークハウスでそれは何か似合わない気がして、興味ないフリをした。舐められちゃいけない!
そうなると、やることはないので彼はドラクエ11を始め、僕はTwitterの通知と目の前の彼のブログを読むことにした。ギークハウス、phaさんは僕にとって憧れの場所だ。僕の想像と実際の内情は違うんだろうけど、僕はこの憧れをずっと持っていたかった。ここに人間のはぐれものが夜な夜な集まって、毎日が熱狂する日々を送っているんじゃないかと期待してしまう。しかしまぁ、本当は多くの時間、ただの元気のないおっさんのたまり場なのだろう。小説家の人のブログは僕の心を揺さぶった。
シェアハウスに住んで思ったこと - 都心環状線 - Yahoo!ブログ
裏側というか、避難所というか、ぼくはこの三カ月間、そんなところにいたような気がしていた。二者択一の選ばれないほうを、わざわざ選択し続けているような感じに酔っていた。
もちろん、そんなのは幻だった。実家暮らしと、いまの生活とのあいだに本質的な違いがあるかっていうと、正直怪しい。家族が心配してくれる声が聴こえなくなった代わりに、自分が自分に言い聞かせなきゃいけなくなっただけだ。家を出ないとそれを理解出来なかったというのは、恥ずかしいことだけど想像力の足りない点だったかもしれない。
これを読んで僕は、憧れの場所の裏側を覗き見るようで、悲しくなったのだろうか。わからない。ギークハウスとは何なんだろう。住んでいる人にとっては早く売れて出ていきたい場所なんだろうか。若くて金がない時に一時的に住んで、成功したり耐えられなくなって出ていって、たまに遊びに来るのが理想なんだろうか。前に、ギークハウスの何かで、蝉の幼虫から蝉の幼虫が脱皮して来るロゴを見た。永遠のモラトリアム。アダルトチルドレン。遅くて長い青春。そんなイメージを僕は持っている。僕は放送されたドキュメンタリーを思い出してみたけど、住んでいる人がどう思っているのかはわからなかった。それとも、オタクというシャイな人種の謙遜なのだろうか。その場にいる誰かに聞いてみても良かったけど、僕自身がなんと答えられれば満足するのかわからなかった。
そんなことを思いながら、パネポンを見てた。
深夜1時くらいになると、phaさんが自室から這い出てきた。僕はいつもお爺さんお婆さんに話しかけるハキハキした声でない、ギークハウスの人がよくやる力の入らない小さな声を真似して話した。phaさんに今回の旅の目的を告げると「あー、大変だねー」と同情した。明日は11時間電車に乗り続けると言うと顔をしかめた。その後、曖昧な話をした。僕は2時くらいにアイマスクをして寝た。
次の日、目が覚めるとphaさんがリビングにある鳥かごの覆いを外していた。9時半だった。意外と早起きなんだなーと思いながら挨拶する。まくるめさんとすれ違って、僕はコロニーを出た。名残惜しい気持ちがあった。あの家にいる間は、自分が特別な人になれたような気がしたからだ。実際に住んだら、きっとただの日常なんだろう。でも僕はこの憧れを持ち続けることにした。困ったことがあると、僕はphaさんだったらどうするかを考える。その想像のphaさんはきっと本当にphaさんとギャップがあるんだろう。でも虚構を信じられるのは素敵なことだ。今はそう思うことにした。
それと、共生舎・山奥ニートも憧れるような特別な場所にしなくちゃいけない。うちに来た人に、この感覚を味わわせるのだ。そう思いながら、バーガーキングでワッパーを食べて東京を出た。
山奥ニート、結婚報告の瞬間
結婚の報告をするのは楽しい。
光属性の話でこれだけ驚いてもらえる事って、長い人生でもそうそうない。
せっかくなので、発表の瞬間を動画で撮ってみた。
人間、本当に戸惑うとこうなるんだなぁ。
もっと派手なリアクションを期待してたのに。
普段なら「ええええええええ!? マジっすか!!!」みたいなノリだと思う。今回は何かそれぞれ思う所があったんだろうか。
この動画の後もしばらくは、なんだか妙に静かで今までにない空気が流れていた。
僕自身、なかなか言い出せなくて何日か悶々としていたんだ、実は。
yaba-raiko-shusaku.hatenablog.com