鹿を殺した日
【注意】今回は、本当に気分が悪くなるかもしれない記事なので、心の準備をしてから読んでください。
さて、夜が明けて。
箱罠を貸してくれた近くの猟師さん呼んで、鹿を解体する。
檻の中の鹿は、よく見ると一頭は大きくて、もう一頭は小さい。どうやら、母子のようだ。
檻に木を差し込んで、鹿が動ける範囲を狭めている。
本当なら、木の先に包丁をつけたものでとどめを刺すんだけど、今回はまだ用意していなかったから、代わりに先の尖ったもので心臓を刺す。
親鹿は死にもの狂いで暴れていたが、子鹿は自体がわかってないのかおとなしい。
村の人が、お手本として親を仕留める。
赤ん坊のような声で悲鳴をあげる鹿。
そして覚悟を決めたヨシ君がいく。
一回では殺せなかった。
何度か突いているうちに、だんだんと鹿の動きがゆるやかになっていく。
もがくように空中を蹴って二、三度ビクンと跳ねたあと、鹿の荒い息は聞こえなくなった。
この時は、意外にもあまり可哀想だとかは思わなかった。
うちの畑の夏の農作物は、鹿に9割くらいやられた。鹿は多くなりすぎた。殺るか殺られるかだから、罪悪感はない。
和歌山県では、県内で1年間に1万6000頭を捕獲することを目標にしている。ただしこの目標は、達成すれば現状を維持できる、という数字だ。
しかも、ほとんどの猟師は鹿はまずいと言って食べない。そうした鹿は捨てられるだけだ。
それならぼくらに獲られて、食べられるほうがいいはずだ。
自分に言い聞かせてるだけかもしれないけど、そう思う。
止めを刺したあとは、川まで運んで解体する。
以下の記事に続く。