嫌いな食べ物は少ないほうだと思う。
でも、切り干し大根は嫌いだ。
元々茹でた大根の匂いが好きじゃないんだけど、切り干し大根は更にそれが強調されて臭い。噛んだ瞬間、口いっぱいに大根の汁と匂いが広がる。あの茶色のしわしわな見た目も粋じゃない。
切り干し大根とは、半年に1回くらい遭遇する。
自分で頼まなくっても、お弁当の片隅に入っているし、居酒屋のお通しでもたまに出る。
切り干し大根は僕の口に合わない。そうわかっている。
それでも僕は、出てくるたびに食べる。
だって、歳を重ねるごとに味蕾が減って、味に鈍感になっていくと言う。小学生の時は嫌だったピーマンも、今では普通に食べられる。苦味に慣れたのか、舌が衰えたのかはわからないけど、子供の頃に比べて嫌いな食べ物は格段に減った。つまりこれから先も、僕が老いていくたび切り干し大根を好きになる可能性が上がるということだ。
だから僕は毎回、切り干し大根を口に運ぶ。
じゅわっ、もわっ。
うーん。
今回もダメだった。あとは誰かにあげる。
でもこの一口は、僕がどんな人間なのかを確認するための儀式なんだ。
食わず嫌いをするほど、自分に自信がない。
半年後の僕は、今の僕と別人だと思っている。
人間は一ヶ月で30兆個の細胞が入れ替わるそうじゃないか。どうして同一人物だと言い切れる。
多くの人は、自分を知るということを過小評価してる。
自分の好きなものと嫌いなものがわからなければ、どうしたら幸せになれるかもわからないってことじゃないか。
好きなものをたくさん集めて、共通性を見つけて、新しい好きなものを見つけやすくしていくのだ。
ゴールが決まらないのに走り始めるのは非効率的だ。70年の人生を、できるだけ幸せで埋め尽くしたい。寄り道なんかしたくないんだ。
そのために、好きなものと嫌いなものの再確認が必要だ。
好きなものはいい、自然ともう一度触れたくなるから。
問題は嫌いなものだ。
嫌いなものの近くにいる必要はないが、離れすぎると自分の嫌いなものが変わっていた場合に損をする。嫌いなものは少ないほうがいい。逃げるにもコストがかかるから。
別にアレルギーがあったり、ひとくち食べただけで気分悪くなるほど嫌いだったら無理することはない。そこまでのリスクを負う話じゃない。
でも、ちょっと嫌いだなー程度のものは、定期的に今でも嫌いかどうか確認するべきだ。あなたは昔の自分と変わっていないと思ってるかもしれないけど、実は昔のあなたは死んでいて、記憶を持ったコピーと入れ替わってるかもしれないんだから。そのコピーは限りなく昔の自分と同じだが、切り干し大根についてだけは違った反応を見せるかもしれない。
そうじゃない事を確認するために、僕は切り干し大根を何度でも食べる。
そっか、今の僕はまだ切り干し大根が嫌いか。
でも次の僕はどうだろう。