山奥ニートの日記

ニートを集めて山奥に住んでます。

で、なんで沈んでるのかって

何故最近ずっと沈んでるのかって聞かれたら、「なんでもない」としか答えることができない。

ほんとになんにもない。

そりゃ理由を探そうと思えばいくらでも探せる。

実習が報われなかったとか、先生になるのやめたせいでこれからどうしればいいのかわからないだとか。

でもまぁそんなのはこじつけなような気がする。

そういう一つひとつのことじゃなく、なんかもっと根本的な所のような気がする。

わからないけど。

今はとにかく、これからどうするかだ。

考えようによってはこれから何でもできるってわけだ。

普通に就職して会社に行くってのは難しいね。

フリーターになるって道はいつでもあるけど。

実家帰ったときに、両親はあんな大きな家立てて、綺麗な部屋に住んで、最新の電化製品ある生活してて凄いなって素直に思った。

フリーターになったら一生あんな家には住めない。

一生懸命働いたって、正社員の半分もお金もらえない。

果たしてそれでも、幸せと言えるのだろうか。

メンヘラ板で見たけど、鬱の人は「死にたい」ではなくて「幸せになりたい」って呟かないといけないらしい。

幸せってなんだよ!

綺麗で大きい家に住むことか!

美味しいものを食べることか!

かわいい女の子と両思いになることか!

じゃあぼくは幸せなのか。

ほぼニート状態で自分の時間履いて捨てるほどあるし、親のお金で綺麗な部屋に住めてるし、美味しいものもまぁ望めば食べられる。

でも脳みその半分ぐらいはいつも寝てる。

正直いって、今幸せだなぁなんて思わない。

でも瞬間なら楽しいって思うことはある。

一番好きなのは友達と妄想と言ったほうが正しいような夢を語るとき。

就活すっげーみんな頑張ってるけど、未来に希望持ってるんだろうか。

好きを仕事にするんじゃなくて、仕事を好きになれとよく聞くよ。

でも頑張って就職した後、自分の時間なしにあくせく働くっていうのがぼくには信じられない。

それとも、社会人になっても案外今のままでいられるのだろうか。

まあ、それは人それぞれ。環境次第なんだろうけど。

というか楽するためにみんな就活頑張ってるんだけど。

高校のある時期からぼくは勉強が嫌いになった。

ある日いつものように授業を受けていたら、教室の全員が今同じことをしてるんだと気付いた。

先生が教科書を開いたら、教室中に教科書をめくる音が響く。

先生が白いチョークから黄色のチョークに持ち替えると、一斉に全員がシャープペンを置いて赤ペンを筆箱から出す。

そこに自分も加わってるんだと意識したら、気持ちが悪くなった。

その頃は、わざとページをめくるのを遅らせたり、あえて赤ペンじゃなくてそのまま黒で板書したりしてた。

まあ、そんな感じで人生を踏み外した。

体感的には二十歳が人生の折り返し地点らしい。

それって恐ろしい話だ。

ここから40年なんてあっという間なんだろうか。

子ども時代が楽しかったのは、それを大人が守っていたからだって。

これからはぼくらが苦しい思いして子どもたちを守っていかなくちゃいけないんだって。

それが正しいってことはわかるけど、今はそう思えない。

まだまだ子どもなんだ。

「俺は汚い大人になるぐらいなら一生子どもでいてやる!」

と言うのは先のこととか周りのこととかが見えてないから出てくる言葉なんだろうか。

先生になるのやめたのもそれが関係してる。

欠点を直す必要があるのかってことだ。

教師は児童の悪い部分を見つけて正さなきゃいけないけど、でもぼくにはそれが正しいことなのか悪いことなのか判断出来なかった。だからやめた。

実習で「君は人の話を素直に聞かないね」って言われた。

今まで自分はそこそこ良い子だと認識してた。

だけど、そうなのかもしれない。

また別に先生はこんなことを言った。

「最近の子はすぐに自信を持とうとする。『これはできなかったけど、これはできた』って。こっちからしたら全然できてないのに。」

衝撃的な言葉だった。

結局のところ、ぼくが自分の長所だと思ってた所はただの気のせいだったわけ。

そんで、これからどうするのかって。

とりあえず大学は卒業することにして、在学中に何ができるかなんだ大事なのは。

今までだって好きでだらけた生活をしてたわけじゃないけど。

ただのオタクとサブカルチャーの違いは、外へ何かを発信するかどうかだと思う。

だからこの気持ちをぶつける何かを探しているわけです。