山奥ニートの3月、バレーボールとミニコミ誌
どうも下界は疫病で大変なことになっているみたいです。
こちらでは山にかすみがかかるようになり、いよいよ春です。
今年もきれいに桜が咲いています。
2月に「山奥ニート本」の原稿が完成しました。
ニートが本一冊をほとんど書き下ろしで仕上げたのは奇跡です。
本なんて僕のような凡人が手を出すものじゃないと思いました。
とはいえ、山奥ニートの生活自体が面白いので、本もきっと面白いはずです。
発売は5月後半くらいとのこと。
車で30分の、この辺りでは一番大きな集落にある小学校の体育館で、スポーツ同好会ができました。共生舎から4人、地元の人6人くらいです。
週に一度集まって、主にバレーボールをやります。
僕は運動が苦手だけど、たまに体に動かすのは気持ちがいいもんです。
なんたって、ふだん自室とリビングの往復しか歩かないですからね。一日100歩くらいなんじゃないか。
この体育館、コンクリートの立派な小学校のものなんだけど、数年前に廃校になったまま、他の使い道もなく放置されている。
もったいないなぁ。僕らに任せてくれたら、ニート100人住まわせるのに。運動場で畑ができるし、温水プールもある。なんとかならないのかな。
前々から、ミニコミ誌を作るのが夢だった。
住人が前いたところのミニコミ誌が届いたのをきっかけに、その場にいた数人に声をかけて、ノリだけで作ってみた。
締め切りは今日の深夜12時に決めた。6時間ほどしかなかったけど、あまり丁寧に作っては、完成が遠のく。
結果、16ページのこの冊子はぴったり12時に完成した。
僕がはじめの4ページに共生舎の概要を書いて、残りは漫画やレシピ、映画の感想、ボードゲームの攻略記事を書いてもらった。
20部作ってみた。デジタルデータは存在しない。
これをどうするのかも決まってない。
とりあえず、地域の連絡所にでも置いてもらおうかと思ってる。
地域の人たちで共生舎の存在を知らない人はいないと思うけど、何をやっているのか、どんな人が住んでいるかは全然知られていない。
ここから、また何かに繋がって行くといいな。
本が出来上がったときから「ここをこうすればよかった」とみんな言っていたので、第二弾も近いうちに作ってみよう。
日記3/1
冬の始めにやってきたてんとう虫が、冬眠から覚めて部屋を歩き回っている。
小学校へ入る前の頃、昆虫図鑑を見るのが好きだった。甲虫のページには、かぶと虫やくわがた虫に並んで、てんとう虫が載っていた。幼少の時分からひねくれ者だった僕は、いかにも人気がありそうなかぶとやくわがたより、てんとう虫を好きになった。てんとう虫の赤や水玉模様や丸っこさはなんとなく女を連想させる。だから他の男子はてんとう虫に見向きもしなかった。しかし、僕はてんとう虫は肉食なのだから、木の蜜なんてものを啜っているかぶとやくわがたよりも強いと主張した。遊び仲間がそれに納得していたかは覚えていないけど、僕はその主張に満足していた。ああ、いつの日か、このてんとう虫という素敵な甲虫を生で見てみたい。それが小さな夢だった。
庭でいつも見ている、5mmほどの小さな虫がてんとう虫だと気づいたのは、小学校に入ってからだった。
だって、図鑑にはかぶと虫と同じサイズで載ってるんだもん。あれくらいの大きさだと思うじゃんか。真実を知ったときはがっかりしたが、そんな思い出もあっててんとう虫は今でも好きだ。
起きたのは10時ごろだったが、布団の中からネットをだらだら見てしまい、リビングに行ったのは15時だった。ウィンナーを炒めて適当に昼飯にする。気分を変えようと風呂に入る支度をしたが、ちょうどヨシくんが入るところだった。リビングでは『シティ・オブ・ローマ』というボードゲームを4人でやっていた。
風呂から出た後は、少し部屋に戻ってネットを見てしまった。夕方、リビングへ出ると、ヨシくんとジョーくんがこたつでお酒を飲みながら、新型コロナウィルスのせいで無観客となったライブを見ていた。HIPHOPだったからよくわからない。ときおり、NUMBER GIRLに変わった。ヨシくんはZAZENのほうが好きだと言っていたけど、僕はナンバガのほうが好きだな。と言っても、高校生の頃、同級生にCDを借りたきり、あまりちゃんと聞いたことがない。このCDを返すとき、ケースにヒビが入っていて、同級生から咎められたんだけど、僕は自分じゃないと言いはった。実際まったく心当たりはなかった。でもせっかく貸してくれたのだし、心当たりがなくても自分のせいでケースが割れた可能性は高いわけで、その時の態度をずっと後悔していた。その同級生とは、それからあまり親しくなることもなく、卒業してしまった。一昨年、同窓会でその子に会ったとき、この話を謝った。もちろん、その子は覚えていなかった。なんだかいい話風なようだけど、結局のところ僕は「同窓会でどうでもいいことを謝る」というなんとなくエモい儀式をやりたかっただけなように思えて、新たな後悔が生まれた。
2人がお酒を飲んでいるのを見ていたら、なんだか羨ましくなったから、僕も部屋からウイスキーと炭酸水を持ってきた。
新型コロナのおかげで、なんだかちょっとしたお祭り気分だった。
酔った勢いで、前から使いたいと思ってたディズニーデラックスを契約した。ディズニーのサブスクだ。一ヶ月700円。
晩ごはんは炊き込みご飯だった。お酒を飲んでいたので、サラダだけ先に食べて、炊き込みご飯は深夜に食べた。リビングでは麻雀が始まった。不慣れな人がいたので、横から「これ捨てたらリーチですよ」と教えた。しかし、フリテンになっていた。僕が人生でやった麻雀回数は両手で数えられるほどだ。出過ぎた真似をした。ゲームをしている横から口出しするとろくなことがない。
そのせいなのか、それからお酒を飲んでもあまりいい気分になることがなく、部屋に戻ってもだらだらとVtuberの動画を見ながら気づいたら眠っていた。
書籍化の初稿完成とM-1
山奥ニート本の初稿が来て、修正して提出した。
たぶんもう一回修正する機会があると思うけど、とりあえず完成したっぽい。
やりきった感じはあまりしないけど、今の自分にできる限界はこのくらいなんだろう。
自信を持って面白いと言える部分はいくつかあるので、まぁそんなに悪い本じゃない気がする。
ここ一年くらいはずっと本書かなきゃということが頭にあって、何をしたかあまり覚えてない。
解放された昨日は昼からずっとM-1をみんなで見てた。
「ぺこぱを応援している」と公言していたので、ぺこぱの出番が近づくにつれ自分まで緊張してきた。
ところが漫才が始まってみれば、涙が出るほど笑った。
ラグビー選手が「ゴー☆ジャスとぺこぱが好き」と言って、化粧した芸人が好きなんだといじられていたけど、この2組は人を馬鹿にせず笑いを取るところが共通していてそこが好きだと言いたかったんじゃないかな。
去年のM-1は「殺す」とか「ブス」とか強い言葉があってぎょっとしてしまった。別にけしからんやめろと言いたいわけじゃないけど、強い言葉を聞くとそれが気になって集中できなくなってしまう。
和牛が優勝できなかったのはそれが原因だったと思う。
今年はそれがまったくなかった。プロの芸人の適応力は凄い。
敗者復活戦から準決勝戦までの間に、2001年のM-1を見ていた。中川家、フットボールアワー、キングコング、おぎやはぎと豪華メンバーなんだけど、絶対に今の芸人のほうが面白いと思う。
あるいは、20年の間に僕らの価値観が変わってしまったんだろうか。
『キャプテン・マーベル』で感じた戸惑いを忘れないでおこう
準新作になったからツタヤで借りて観たんですよ、『キャプテン・マーベル』。
面白いと言われていた『ワンダー・ウーマン』が、ただの女版マチズモでいまいちだったから、正直あまり期待してなかった。
ところがどっこい、ものすごい攻めた映画じゃないですか。
これは『タクシードライバー』や『カッコーの巣の上で』みたいに、観客に「この考え方ってどう思う?」と問いかけるタイプの挑戦的な映画ですよ。
でもそのことに言及してる記事が全然見つからない!
MARVEL映画はこんなに人気なのに、まったく。
しまむらで買ったMARVELロゴ入りのパーカー着てる奴ら、お前ら本当にMARVEL映画の凄さわかってんのか!
しょうがないから自分で書くしかないじゃないか。
『キャプテン・マーベル』のテーマ
作品のテーマってのは、作中に何度も出てくるもの。
『キャプテン・マーベル』では、3回も同じ内容の話をしてる。しかも冒頭・中間・クライマックスの3回。
1回目:冒頭、師匠と訓練する中で能力を使う主人公
2回目:旧友から、レースで近道をする奴だと聞かされる主人公
3回目:素手で勝負しようと持ちかける師匠に能力で勝つ主人公
要するに「キャロル・ダンバースは手段を選ばず勝ちにいく女」ってことです。
それをこの映画は肯定的に描いている。
これって凄い攻めたことですよ。だって、ヒーローって普通、正々堂々と戦うものだから。キャプテン・アメリカがこの話聞いたら怒りますよ。
だけど、キャロル・ダンバースみたいな女性っているよなーって思うんです。
ある瞬間で、すごく現実的になる女性っているじゃないですか。
ネットで有名になった『東京タラレバ娘』のこのシーン。
アメコミ映画に対して「ケーサツと軍で一気に捕まえりゃこんなん10分で終わる」と言う女性。
僕は、妻とボードゲームしたときにゲームが盛り上がるような行動をする時があるんですが、妻は周りの空気を一切読まずに貪欲に勝ちに行きます。
お母さんなんか、全然そういう男の精神の充実といったものを理解してくれないですからね。安かったからってパンツを買ってきてくれたのはいいんだけど、この歳でクマさんの柄はちょっと…。「そんなもん、見えないんだから一緒でしょ」。
男には、昔から騎士道精神や武士道と言った価値観が伝えられています。
敵を後ろから撃たない。自分に得がなくても弱い者のために戦う。武士は食わねど高楊枝。正々堂々、真正面からの決闘。
もしかしたら、そういうものが格好いいという価値観は男性特有なのかもしれません。
だって女性は男性より力が弱いから、正々堂々なんて言ってられないわけです。
浪漫ってのは余裕がないと生まれません。
涙や外見や生まれなど、女性は使える物はなんでも使って、生き延びなければいけなかった。もしかしたら今も。
しかし、同じものを男性が使うと、非難を浴びます。だから男は極力それらを使わないし、使うのを恥だと思っている。
女性からしたらこう思うのかもしれない。
「男が勝手に美学だと決めたものに、女が付き合う必要ある?」
それが『キャプテン・マーベル』って映画なんじゃないだろうか。
『キャプテン・マーベル』を認められない自分
いや正直、キャロル・ダンバースみたいな人、苦手なんですよ…。
これは女性に限らず、ホリエモンみたいな男性でもそうだけどさ。
「近道を使っちゃいけないとルールで決めなかったから、近道した」ってドヤ顔で言うけどさー。そういうルールの抜け穴つく人がいると、すべてのことをきっちり完璧に決めておかなきゃいけなくなるわけよ。そうするとあらゆる事のコストが上がるわけ。だからみんな、「常識」の範囲内で行動してるわけじゃんかー。
だけど、多様性っていうのはそういうことなんだよな。
その「常識」って奴が通用しなくなるわけだから。
「常識」に囚われない、自分と価値観がまったく違う人ってのは宇宙人ですよ。何考えてるかわかんないんだもん。
作中で、フューリーとコールソンはただ驚いてばかりだった。観ている僕もそうだった。
だけど、自分がどう思うかに関係なく、社会は進んでいく。
多様性を認めることは、今の社会の流れであり、それに逆らうことはできない。
コストを上げてでも、共通のルールをはっきりさせておくのは必須事項だ。
…でもやっぱり、僕は男の浪漫とか武士道精神は尊いことだと思うな。人間を人間たらしめているのは、そういう誇りなんじゃないの。
だから、キャロル・ダンバースの価値観を認めるのは、自分の価値観がゆらいでしまいそうで怖い…。
そしてその価値観って、今までMARVELが描いてきた物でもあり、この映画はそれを否定してるんですよ。こんな意欲作ありますか。世界一のブランドは伊達じゃないですよ。
『キャプテン・マーベル』が出した答え
イケメン師匠のヨン・ロッグは、最後までキャロル・ダンバースの価値観を認められなかった。
フューリーとコールソンも、キャロル・ダンバースを理解したとは言い難い。
結局、旧来の友達を除けば、作中でキャロル・ダンバースを一番理解していたのは、スクラル人だったんじゃないか。
あのスクラル人たちって、モテない男たちのことだと思うんです。ブサイクだし、オタクだし。
でも、スクラル人はキャロル・ダンバースに偏見がなかった。
キャロル・ダンバースもスクラル人に偏見なく接した。
果たして、オタクはキャロル・ダンバースみたいな女性と仲良くできるのか。うーん。正直わからない。オタクの一人である僕自身が戸惑っているんだから。
ただ、いわゆる「男らしい」たくましさや強さを持たないオタクたちは、同じく「女らしい」優しさや弱さを持たないキャロル・ダンバースみたいな女性とは対偶の立場にある。
そこに希望はあるだろう。
さて、突然地球に現れて、それまでなかった価値観を披露したキャロル・ダンバース。
フューリーとコールソンをはじめとした男性は困惑する。これから、いったいどうやってこの価値観と共存していこう…。
この新しい価値観のために、いろんな仕組みを変えていかなきゃいけない。これはおお仕事だぞ。
そう慌てる男たちを尻目に、キャロル・ダンバースは「じゃ、わたし別の用事あるから」とだけ言い残して去っていく。
そんな問題自体も、男が勝手に作り出したものだと言わんばかりに。
フューリーはS.H.I.E.L.D.を作ることを決意するけど、それもキャロル・ダンバースにしてみりゃただのお遊びにしか見えないんだろうな。
この戸惑いを忘れないでおこう
視聴後に思い出したのは『かぐや姫の物語』だった。
あれもまた、女性という宇宙人が地球にやってきてかき回していく話だったから。
僕はかぐや姫を「無茶振りして結果死人を出してて酷い奴だな」と思っている。
けれど、僕の妻はあの映画が大好きで、大変共感するらしい。
今の僕にはまだ『かぐや姫の物語』の素晴らしさが分からない。もしかしたら、男である自分には一生わからないのかもしれない。
だけど、妻をより理解するためのヒントとして、これから何度も繰り返し見ようと思っている。
『キャプテン・マーベル』も同じだ。
この映画は僕の価値観を不安にさせる。
「フェミニズム」というものを考えるたび、僕はこれからこの映画を思い出すだろう。
それが正しいのか間違ってるのか、今の僕にはわからない。
だけどとりあえずは、この戸惑いを忘れないでおこう。
(ダンバースのキャラ紹介が少なすぎって感想もあるけど、僕はブリー・ラーソンの歩き方と、予告でも使われてる立ち上がるシーンだけで十分描写されてると思うね!)
(先に『エンドゲーム』観たんだけど、『キャプテン・マーベル』観た後だと「もうちょっと地球に愛着持ってもいいんじゃないのダンバースさん」と思う)
近況2019/09/30
この前の誕生日で31歳になりました。
21歳の人へ。あんまり31歳になっても変わらないです。しんどいことはしんどいままだし、好きなことは好きなままです。
41歳の人へ。体は痛くないですか。僕はいま2年に1回くらい腰痛になります。これが1年に1回になり、1ヶ月に1回になるのでしょうか。嫌だなぁ。
9月22日には岐阜の若者・ひきこもり共同実践交流会に出てきました。
ずいぶん立派な会場で、参加者も300人くらいいたらしい。
びっくりした。
ぼそっと池井多さん、格好良かったなぁ。
僕はいつものように、最初はおどおどしながら、途中からは調子に乗って、あれこれ喋った。
30分だけだったから、疲れないかと思ってたけど、やっぱり疲れた。
最後まで参加するつもりだったけど、体力持たなかったので、サンドイッチだけ頬張って逃げてきた。
この交流会の前後は、瀬戸さんの岐阜最強ビルに滞在させてもらった。
名鉄岐阜駅から徒歩5分。ビルからホールで電車を待つ人が見えるほど近い。
中はこんな感じで、がらんどうの部屋ばかり。
2階のコワーキングスペースも、誰も使ってないので、ほとんどここに入り浸って原稿をした。
夜はビルの屋上で寝た。
実は、これがちょっとした夢だった。
街の真ん中で横になってるのに、誰からも怒られず、奇異の目線も向けられることなく、安全が確保されている。
夜風が気持ちよくて、すぐ眠ってしまった。
岐阜最強ビルは、まだ空いている部屋がたくさんあって、どうするか決まってないみたいだから、岐阜や名古屋のニートは瀬戸さんに挨拶したらいいと思う。
シェアハウスもやるみたいです。
瀬戸さんとってもいい人だから、上手くいって欲しいなぁ。
夏の3ヶ月やってたかき氷屋さんを閉めると言って、在庫をたくさんご馳走になってしまった。ありがとうございました。
岐阜は本当に良いところです。まとまりがある分、名古屋より都会なんじゃないかと思う。
その後は、西成地区行ったり、和歌山電鐵のうめぼし列車乗ったりしています。
いい加減に原稿を終わらせないと、いつまで経っても本が出ないので、原稿がんばります。
終わったら、youtubeやりたいなぁ。
山奥ニートと8月
今年の夏もやっぱり暑くて、じっとりとTシャツを背中に張り付かせながら書いている。
それでも山奥は平野に比べればずっと涼しくて、クーラーを動かしたのはまだ3〜4回だけだ。
川が近くにあるんだけど、毎年行くのが面倒で川遊びし始めるのは夏も終わりかけた頃になっていた。今年は5月から川に行くようにしている。水は冷たい。真夏でも、1時間浸かっていると凍えるくらい冷たい。
ほしいものリストに入れていたシュノーケルを送ってくれた人がいたので、試しに潜ってみたら数十匹の魚が手の届く範囲に見えるもんで、とても楽しい。芸能人がハワイや沖縄に行ってダイビングしたがる理由がわかった。
ニートなのに、徒歩3分でダイビングスポットへ行って泳ぐというブルジョワな遊びができるのは贅沢だ。まぁ南の海に比べたら魚は地味だけど、それ以外変わらないんじゃないかと思う。ありがたいことに、ここ最近来た見学者の人たちがお酒を持ってきてくれているから、川で一杯と洒落込むこともできる。
*
旧暦ではそろそろ秋ってことになるらしい。
この旧暦って奴、子供の頃から納得できたことがない。
「今の8月=葉月=旧暦の秋」って言い方は正しいんだろうか。
だって今からぴったり200年前、7万1200日前は暑かったんでしょ。秋じゃないでしょ。
2ヶ月くらい旧暦と新暦の季節のズレがあるんなら、睦月や如月を「数字+月」って呼び方に変えようって時に、ズラせばよかったんじゃないの。睦月が3月で、如月が4月だ。
そもそもこの「数字+月」って言い方って実は珍しいんじゃないか。
だって、英語じゃAugustじゃん。入力欄では「08/20/2019」みたいに使われてるけど「8th month」って言ったら変な奴だと思われるんでしょ?
日本の昔からの暦の呼び名を廃止して、わかりやすく「数字+月」制にした人は偉いね。
きっとアメリカじゃ、子供がヒイヒイ言いながらAugustの綴りを覚えてるんだろう。かわいそうに。カエサルはたくさんの子供に恨まれてるだろうね。
そういや、英語で10月はOctoberだけど、Octoってラテン語で8なんだよね。
だから、これも2ヶ月ズレてるの。古代ローマじゃ、一年の始まりは農業が始まる今の3月だったからなんだって。太陰暦とは違う理由でズレてるのに、そのズレがだいたい一致してる。
面白いシンクロニシティじゃない?
*
どうでもいい話をしてしまったけど、ここ数日の山奥は少し涼しくなって、ひぐらしがよく鳴いている。
盆と正月はなぜかニートも忙しくなるもんで、もろもろ所用で少しの間、僕は山奥を離れることになる。
つまり僕の夏はもう終わりってこと。暦通り。
だって街なかの夏なんか夏じゃないよ。あれは季節じゃない。災害の一種だ。
戻るのは9月半ばくらいだと思う。
暑いけど冷たくて、混沌だけど秩序で、賑やかだけど静かな、いい夏だったな。
いい秋が来ることを祈る。